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田中優子が次のようなことを書いています。
  *
有名な芭蕉の
「古池やかはず飛び込む水の音」
には本歌があったそうです。

それは、古今和歌集・読み人知らずの
「かはづなく井出の山吹散りにけり 花のさかりにあはましものを」
その変更は
1.山吹の花を消し、カラフルからモノトーンに
2.井出の澄んだきれいな水の川を古池にひっくり返す
3.かはづに泣かせず飛び込ませる
だそうです。

その後、狂歌ができたそうです。
四方赤良の
「山吹の口なしめしやもらんとておたま杓子(じゃくし)も井出の玉川」

質問は、「古池やかはず・・・の本歌は、古今和歌集の「かはづなく井出の山吹散りにけり・・・」でしょうか?

A 回答 (2件)

芭蕉は西行を慕って、東北を旅したと言われていますね。



歌枕という伝統がありまして、ところに当たって歌を詠む。本歌取りにも関係してくるところです。

井出の玉川と言えば、京都府井手町で、かはずと山吹はセットです。華やかでうきうきした歌が多い。

伝承では、古池の句は滋賀県大津市の岩間寺で詠まれたと言われています。西国三十三か所の有名なお寺です。静寂が漂う句です。

場所違いであり、世界観も全然違っています。そして、井出は玉川。。。川で、古池は、当たり前ですが、池です。

芭蕉には、井出の句もありますが、割とそっけないものです。

山城へ井出の駕籠借る時雨哉

雨が降ったので、せっかくの歌枕なのに、通り過ぎたという句です。
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この回答へのお礼

早速の御解答ありがとうございます。
<場所違いであり、世界観も全然違っています。>ですね。
それだけに、俳人達は、したりとにんまりかもしれませんね。
<井出の句もありますが、割とそっけないものです。>ですね。
井出は材料にしか過ぎないのですね。

お礼日時:2020/10/13 16:27

「本歌取り」は和歌の世界の話で、俳諧には適用できませんが。

「本歌」という言葉には、ごく短い川柳俳諧から見て本来の歌=和歌という意味があります。本歌取りではなく、和歌を本に新たに俳諧をひねり出したという意味であれば、あり得ないことではありません。
ただし、その和歌は恋の歌であり芭蕉の句の風雅な自然描写との乖離が甚だしくとても本歌とは呼べそうにありません。

過労死や社畜飛び込む泥の沼
https://twitter.com/yonlee/status/94532132079902 …
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<「本歌取り」。は適切な言葉とは言えないののですね。
和歌と句の<乖離が甚だしく>ですね。
ただし、それだけに、芭蕉は思惑通りだとほくせえんでいるかもしれません。

お礼日時:2020/10/13 16:17

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