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私の父親は、小学校中退という学歴の昔気質の頑固な職人でした。母親もあまり知的なタイプではなく、だから私も学問には興味がなかったのですが、父親に「勉強して大学に行け」と言われたので、一応そうしました。

私は子供のころから両親が現実に流されて苦しんでいる姿を見てきました。また、大人になって周囲の人間たち(大抵大学卒)が、観念に流されている愚かさも見てきました。また、私自身も苦しんできました。

現実に流されたくない、同時に観念にも流されたくない。その折り合いをどうつけたらいいでしょうか?

A 回答 (12件中11~12件)

それは流された事が悪いのではなく、自分の意志決定や責任を他人に預けているのが悪いのでは?



他人の指示等に惑わされ過ぎで、それを選ぶのも拒否をするのも自己責任ですべきですよ。

親がその様な学歴で子供を大学まで出すのは大変な事ですよ?
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この回答へのお礼

武田先生のお話にもあったように、他人の評価に一喜一憂する人が多いのは、日本人の特徴でもあるようです。

日本人の文化には「世間様」という神様がいるようです。つまり、他人の中にも神様を見ている、と思う。

両親は無私の努力を私にしてくれました。勿論深く感謝しています。

お礼日時:2022/08/27 00:37

ご参考までどうぞ・・・


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この回答へのお礼

武田邦彦氏が言っているように、他人と言うか「世間様」の評価を気にする人があまりにも多いと思います。

私の両親も全くそうであり、特に立場の上の人に言われたことに物凄く左右されていました。私自身は図太いところがあって、よい評価も悪い評価もあまり気にしない性格です。

私の言う「現実に流される」とは、実は改革の余地があるのにハナから諦めてそれをしないということで、「観念に流される」とは、現実でなく観念を操作しただけで何かやった気になるということです。

お礼日時:2022/08/27 00:26

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