大正時代の新聞記者は、どのように取材を行っていたのでしょうか?
また、カメラは当時すでに普及していたのでしょうか?
詳しい方、教えてください。
また、大正時代の新聞、新聞記者について詳しく載っている本やサイトを教えてください。

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A 回答 (3件)

明治時代の新聞は絵ですが、大正時代の新聞は写真が入ってます。

遠方からの輸送手段は伝書鳩ですが、これは大正12年より。戦後しばらくまで伝書鳩大活躍で、新聞社には鳩小屋がありました。あるいは電話通信。取材先の記者が電話を本社にかけ、その電話を受けて記事を書き起こすアンカー記者、という絵柄は戦後間もなくまでそうでした。
http://www.geocities.jp/showahistory/history1/02 …
昭和初期の新聞は以上でどうぞ。昭和初期も大正年間もそう大きな違いはないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
教えていただいたリンク先のページが、とても参考になりました。

お礼日時:2005/04/21 16:28

 新聞社によっては、そこらへんのことを社史に書いてあるものもあります。

新聞社の社史は、大きな図書館であればひとつやふたつ、あると思います。
 また、新聞の歴史についての本であれば、春原昭彦著「日本新聞通史」(新泉社)が、容易に手に入る本の中で良い文献だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
図書館に教えていただいた本があるみたいなので、探してみようと思います。

お礼日時:2005/04/21 16:34

大正時代限定というわけではありませんが、戦前の新聞(東京、大阪圏のいわゆる「大新聞」の)記者は、必ずしも自分で取材するのではなく、小僧さんみたいな人が取材してきたことをまとめて文章にする作家といった趣だったそうです。

特に有名な記者ほどデスクワーク中心で、現在のように「足で稼ぐ」様子ではなかったと聞き及びます。その辺の経緯は、現在の全国紙が出している「社史」の類で読むことが出来るはずです(といっても図書館で読むことが出来る種類の本なのかどうか、定かではありませんが)。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
近くの図書館に、毎日新聞の社史なるものがあるということなので、行って見てみようと思います。

お礼日時:2005/04/21 16:29

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Q軍人が気兼ねした時代。

大正軍縮の時代、軍人(兵隊さんと呼ばれる位の人)には嫁の来手がなかったとか、電車に乗っても白い目で見られたとか聞きましたが、ホントですか。
具体的な事例があれば(例えば新聞・雑誌記事)を教えて下さい。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

投書欄が中心のため偏りがあるかもしれませんが、
下記<研究ノート>にて当時の軍人イメージが集約されていますので、
ある程度はそのイメージが捉えられると思いますが、如何でしょうか?
(欄外注記もお見逃しなく^^)

・「<研究ノート>両大戦間期における軍人のイメージ:新聞投書欄を中心として/谷口俊一」
『京都社会学年報第8号/京都大学大学院文学研究科社会学教室/2000.12』(147-165頁)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000483214

以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^

Q昔の時間の単位を教えてください

昔(明治より前)、日本で使われていた時間の単位を教えてください。

例えば、今で言うところの「10分」とか「1分」に相當する時間はなんと言っていたのでしょうか。

まさか、無かったなんてことはないでしょうね。
そしたら「あと10分で仕事を終わりにしよう」なんて言えないですよね。

時間・分・秒は、明治以降ですよね。

Aベストアンサー

現在のような、分や秒を使った記録はないようです。
九つ、の0時は子の刻、午の刻、現在の子午線、日付変更の基準にしています。
12時を正午(正午の刻)など現代生活に使われている。
明け六つ、暮れ六つ、は簡単にいうと夏時間、冬時間のようである、時代劇ではいつも朝明け、日暮れ時である、これは時代劇の効果ではなく夜明け、日暮れにあわせたそうです。
基本的には、1刻は2時間、1時(とき)は1時間、以下は、半時は30分、四半時は15分、このような値より長いと思うときは半時余り、短いときは四半時足らず、などの表現で生活に支障がなかったようです。

Q大正期の「1円」って今のどれくらい?

 100銭で1円といった単位についてはわかるんですが,大正時代の1円の価値が現在の価値に換算するといくらくらいの価値になるのか知りたいです。どなたかご存じありませんか?

 例えば,「当時の1円は現在の感覚でいえば●●円くらいだよ」というようなニュアンスで教えていただきたいのですが。宜しくお願いします!

Aベストアンサー

こんにちは♪
週間朝日編「値段史年表 明治・大正・昭和」から(参考URLからの孫引きですが)物価水準から比較をすると
【白米10kg】 大正 1年 1円78銭 平成16円 3,500円 から換算で 1,966円
【金地金1g】 大正 6年 1円36銭 平成16年 約1,500円 から換算で 1,103円
【国家公務員初任給】大正15年 75円 平成16年 201,376円 から換算で 2,685円
なので、1,200円から2,500円くらいの価値ということが言えそうですが、スッキリしませんね。
「これ!」というものがあれば教えて頂きたいです。

参考URL:http://www.mof.go.jp/singikai/kinka_kenkyukai/1_auctioncatalog/02.pdf

Q「云う」と「言う」の違いは?

小説で多分作家さんによってだと思いますが、
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これってどう違うんですか??

「聞く」が「訊く」となっているのも気になって
調べてみるとちゃんと意味があるみたいですが、
こっちはわかりませんでした。

Aベストアンサー

はじめまして。

1.「いう」は以下のような、使用区別があります。

言う:
(1)心に思うことを言葉で表します。
(2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。
(3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。
例:Aが~だと言った。

云う:
(1)「伝える」が語源です
(2)人から聞いたことを「云う」
(4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」
例:昔から~だと云われてきた。

謂う:
(1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があります。
(2)「謂れ」=「因縁」「由緒」と考えるとわかり易いです。
例:この家の謂れは~


2.「きく」は以下のような、使用区別があります。

聞く:
物音や人の話を耳でとらえます。
例:人の話を聞く。

聴く:
「(限定的に)身を入れて聴くこと」を言います。
例:音楽を聴く。国民の話を聴く。

訊く:
(1)「訊ねる=問いただす」から来ています。
(2)意味は「尋ねる」ということです。
例:道を訊く。詳細を訊く。

以上ご参考までに。

はじめまして。

1.「いう」は以下のような、使用区別があります。

言う:
(1)心に思うことを言葉で表します。
(2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。
(3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。
例:Aが~だと言った。

云う:
(1)「伝える」が語源です
(2)人から聞いたことを「云う」
(4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」
例:昔から~だと云われてきた。

謂う:
(1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があ...続きを読む

Qマリー、メアリー、メアリという名前は英語では一つ?

マリー、メアリー、メアリという名前は英語では
皆同じMaryのことでしょうか。
よろしくお願います。

Aベストアンサー

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欧州でも、英国はMary、大陸諸国ではMarieもしくはMarrieを使う傾向が
多いのですが(聖母様と同じがよいとMariaにする人もまた多い)、
最近は綴りを好みで決める人が増えてきています。それでも米国に
比べたらまだ聖書の聖人の綴り通りにする人が圧倒的に多いのですが。

Q大正ロマン的な曲でオススメがあれば教えて下さい

明治大正時代に流行った曲でもいいです
その時代にどんな洋楽が輸入されていたか知りたいです

よろしくお願いします

Aベストアンサー

 「クラシック」のカテゴリーなので、どのような曲をあげようかと思いましたが、「大正ロマン」のキーワードで選んでみました。

 1931年の映画なので、時代的には「昭和」ですが、ドイツ映画「会議は踊る」から「ただ一度だけ」に「大正ロマン」のイメージを感じます。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=r8N7OXCDsh4

 大正時代の洋楽ということでは、「浅草オペラ」が流行し、上流階級のものとされていたクラシックや西洋音楽が大衆化していったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9

 私も詳しくは知りませんが。そこではヴェルディ「椿姫」の「乾杯の歌」や、「リゴレット」の「女心の唄」などが日本語歌詞で歌われ、ヒットしていたのではないでしょうか。
 浅草オペラの流れを引く日本の歌では、エノケンの歌があると思いますが、これは時代的には昭和ですね。
    ↓ 
http://www.youtube.com/watch?v=kw2o5jGWxiU
http://www.youtube.com/watch?v=sTaT6KOTZO4

 大正時代の純粋なクラシックでは、逆に当時流行したジャズやダンス音楽を取り入れる動きがありました。ラヴェルの「ピアノ協奏曲」(1929年なので昭和)やドビュッシーのピアノ曲「子供の領分」(1908年)の最終曲「ゴリウォーグのケークウォーク」などがあります。また昭和の時代ですが、ショスタコーヴィチも「ジャズ組曲」などを作曲しています(大正ロマンというより昭和のチープな酒場の雰囲気ですが)。

 「のだめ」のラヴェル/ピアノ協奏曲 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=TZZ1s2sSgLk

 ショスタコーヴィチ「ジャズ組曲第2番」から「第2ワルツ」 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ZYhZVqODYsI

 とりとめがなくてすみません。

 「クラシック」のカテゴリーなので、どのような曲をあげようかと思いましたが、「大正ロマン」のキーワードで選んでみました。

 1931年の映画なので、時代的には「昭和」ですが、ドイツ映画「会議は踊る」から「ただ一度だけ」に「大正ロマン」のイメージを感じます。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=r8N7OXCDsh4

 大正時代の洋楽ということでは、「浅草オペラ」が流行し、上流階級のものとされていたクラシックや西洋音楽が大衆化していったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%...続きを読む

Q明治から昭和初期の住み込み使用人の一生

明治から昭和の敗戦までも、貴族や商家、豪農、あるいは官吏や高給取りの家には、住み込みで使用人が働いていました。
こうした人たちの多くは未婚や単身であるように想像するのですが、そうした人の一生のイメージが湧きません。 住み込み使用人といっても多種多様で地域や主家の事情でも異なるのだと思いますが、代表的なケース例ではどのような一生なのでしょう。
代表的と思える数ケースなどをお教えください。
 
1)中流以下の農家や都市部の下層民の家族の中で誕生し、15,16歳あるいは成人後何かの事情で住み込みで働くようになるのでしょうか。
2)どういった仲介などの方法があったのでしょうか。
3)住み込み使用人を求める側は、住み込み使用人が欲しいことをどのようにしてアピールし、実現させたのでしょうか。
4)住み込みで働くとき、藪入りのような形で里帰りするのだろうと思うのですが、例えば5人の住み込みを使用している主家では、全員がいなくなってしまうようなこともあったのでしょうか。日程をずらすのが普通でしょうか。ほとんど主家に住み込んだまま、時々休暇で私用をたすような人も多かったのでしょうか。
5)住み込みで働いていた人が100人いた場合、何人くらいが結婚したのでしょうか。住み込ん後ではもう結婚しないで一生を終えた人はどのくらいいたのでしょうか。 (感覚的な割合で結構です)
6)住み込みを辞めるということもあると思います。結婚してしまうから。通いに変更するから。単に使用人であることができなくなったから。死んでしまった。 住み込みの主家で一生を終えるというケースはどの程度あったのでしょうか。
7)住み込み使用人が事故、疾病、老齢などで死んでしまった場合、主家は葬儀や遺体にどの程度関与したのでしょう。【住み込み使用人に実家や身寄りで遺体引き取りをしそうな類縁がいないケースの場合で、どうだったのか】 主家はどう扱うことが多かったのか。 葬儀、埋葬や墓はどうしたのか。

明治から昭和の敗戦までも、貴族や商家、豪農、あるいは官吏や高給取りの家には、住み込みで使用人が働いていました。
こうした人たちの多くは未婚や単身であるように想像するのですが、そうした人の一生のイメージが湧きません。 住み込み使用人といっても多種多様で地域や主家の事情でも異なるのだと思いますが、代表的なケース例ではどのような一生なのでしょう。
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Aベストアンサー

 回答者は昭和前期の生まれ、東京のごく普通のサラリーマン世帯で育ちました。

 家には女中と母の妹が同居していました。商家は別ですが、普通の家庭には男子住み込みの家事使用人はまず居なかったと思います。運転手を置くならともかく、かれらの仕事がありません。

 当時は地縁、血縁の結びつきが強固でした。女中は父親の郷里から嫁入りまでの約束でやってきて、礼儀作法、料理、裁縫、子育てに至る女子一般の知識を学ぶことになっていました。こうした知識を教えることは主婦の義務であったと考えられます。

 また身元がしっかりしていることが条件なので、あまり斡旋所(桂庵)などの利用はなかったと思います。

 大家族制で、未婚の弟妹が同居しているのが普通でした。女中が里帰りしていても、家事に差し支えることは少なかったのではないでしょうか。

 詳しいことは、たとえば小泉和子『女中のいた昭和』などがお役に立つと思います。末尾にある読者の書評も面白い。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309727921/chickensoupwi-22/

 回答者は昭和前期の生まれ、東京のごく普通のサラリーマン世帯で育ちました。

 家には女中と母の妹が同居していました。商家は別ですが、普通の家庭には男子住み込みの家事使用人はまず居なかったと思います。運転手を置くならともかく、かれらの仕事がありません。

 当時は地縁、血縁の結びつきが強固でした。女中は父親の郷里から嫁入りまでの約束でやってきて、礼儀作法、料理、裁縫、子育てに至る女子一般の知識を学ぶことになっていました。こうした知識を教えることは主婦の義務であったと考えられま...続きを読む


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