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私が手でリンゴに触れたとき、そこにはリンゴの丸くて硬い形状の感覚、ひんやりとした冷たい感覚、そして確かにリンゴがそこに存在するという圧力の感覚があります。
しかしこれらの感覚は、全て私の感覚に還元されるものであり、本当に目の前にリンゴが存在するのかを証明してくれるものではありません。もしかすると私の感覚がそう見せているだけで、リンゴは丸くて硬い形状などしておらず、それどころか、そもそもそこにリンゴが存在していない可能性もあります。

目の前のリンゴは存在しているのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

例えばスーパーで並ぶリンゴはみな同じ色や形をしています、それはなぜか。



それは我々が「リンゴとはこういうものだ こうでなければならない」という共通の認識や概念があるからです。
ですからそれと大きく外れた色合いや形のものは規格外として排除されてしまいます。
例え味に問題がなくともです。

もちろんどんな形でも我々はそれをリンゴだと認識することはできます。
問題は無意識に格付けが行われているという事です。

リンゴが存在していても、それが典型イメージに近いかどうかでそのものの価値化が頭の中で勝手に行われてしまうのです。

しかしそのイメージは時代や国によって変動してしまいます。
リンゴがその人にとって理想的な形でも他者にとってそうだとは限らないわけです。
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質問者さんの捉え方で言えば眼の前にリンゴが存在しているかどうか確認する事は不可能です

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tjamさんが普通の感覚の持ち主なら、そこにリンゴは存在しているでしょう。


但し、人間の感覚はあやふやなものです。
お風呂のお湯加減を見る時、体温を常温で見るのと、あらかじめ水で冷やして感じるのとでは、大いに違いが生じます。

tjamさんの感覚が、リンゴをそのように捉えているのであって、実際のリンゴは少しばかり違うかも知れないのです。

人間は、客観物を正確に捉える事は出来ません。
自身の感覚に頼るしかないからです。

心は鏡。
或いは印画紙。

明治から大正にかけて活動された、山崎弁栄(べんねい)上人は云っています。
『人間は客観物を、そのままダイレクトに認識しているわけではなく、心が捉えた映像を見ている(認識している)のだ』と。

我々は、自分の心に映った映像を認識してるんですね。

その心と云うものは果たして、一点の曇りもなく、真っ平らで歪みもない、正確無比な「鏡・印画紙」と云えるでしょうか?
もし、正確無比ならば、真の姿を捉えていると云ってよいでしょう。

※ 釈尊は、修行を通して「正確無比」な心を確立しました。
  そして、迷いのない悟りの世界へと、入っていったのです。
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新豚はどうしたのかな。


ニュートンでしょう。

リンゴは確か
最近は
3個100円でお目にかかったかな。

食べ終わって今年は終わった。
花より団子の回答でした。
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自分自身で認識できないなら


他人にリンゴなのか?リンゴではないのか?
確認してもらうだけかなぁ~

世の中に自分と他人が存在してる必要性って

そこら辺の事柄かなぁ~
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貴方の目の前にある物はリンゴではなくタコかもしれません


と言うことは海で泳いでいるタコはリンゴになりましたリンゴに足が八本生えています
しかし海で泳いでいるリンゴは目の前には有りません。
見える触れる事が出来なければ有るか居るか全く分かりません確率があるだけです。
もし目の前に有るリンゴを食べるとタコの味がするかもしれません
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あなたにとっては確実に存在している。


他の人でも、そのリンゴが見える人、触れられる人にも存在している。見えない人、触れられない人には存在していない。
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私は、「哲学音痴」なのですが、


私にとっては、「簡単」です。

「目の前のリンゴは存在しているのでしょうか?」
  ↑
答えは、百年たっても、確定できないでしょう。

しかし、リンゴは、三日もすれば、痛み出して、
放置すれば、食べられなくなる。

そんなことを考えずに、美味しいうちに、
食べるべきだ。

これが現実です。

仮に、リンゴでなくとも、ボールペンでも同じ。

「存在」を疑っても、その答えは、百年たっても、
確定できない。

その疑問は、「何を生み出すのか?」を考えると、
「何も生み出さない。」し、「何の役にも立たない。」

リンゴは、美味しく食べるものだし、ボールペンは、
宅急便の受け取りに、サインできればいい。

「真理を追究する。」と言うが、「何も生み出さない追求」は、
ただの、道楽だし、暇つぶしに過ぎない。

「哲学」とは、何も生み出さないものだ、と思う。

勿論、昔は、哲学は、「多くを含んでいて」、役に立った。

しかし、役に立った要素は、皆、「学問」として、
独立していって、今残っているのは、「成果を出さないカス」
だけだ。

結局、「神が滑った転んだ」と、百年一日のごとく、
騒ぐだけで、「何も生み出さない。」

ご質問者が、リンゴを認識しているのなら、
美味しくいただくべきで、無駄に、時間を浪費しないほうがいい。

哲学の「真理」なんて、犬も食わないだろう。
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★ 手でリンゴに触れた・・・リンゴの丸くて硬い形状の感覚・・・があります。


☆ という現象が起きています。また リンゴが見えているという感覚もある。

そこでもし リンゴだけを取り出し 自分が自分としてある〔と意識し捉える〕のと同じように認識するならば リンゴがある(存在する)と 人間の言葉では 表現します。


言葉は シルシであり そのシルシで知覚したものごとを――シルシゆえ仮りに――あらわすものです。(色即是空)

すなわち:
★ 本当に目の前にリンゴが存在するのかを証明してくれるものではありません。

☆ 以上が 〔現象にかぎっていますが〕人間にとって現実です。



★ 目の前のリンゴは存在しているのでしょうか?
☆ 言葉による表現〔なる仮構〕として そういうことになっています。

仮構というのなら まぼろしではないか?

でも まぼろしとして 生活現実です。(空即是色)
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リンゴは存在しています


でも人間はそれを認識できません
視覚、触覚を使って、脳が作り出したリンゴの
イメージを認識しているだけです。
イメージは幻なんです
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