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1. 自然本性にもとづく自己規定としての《世界‐内-存在 In-der-Welt-Sein 》であることをおぼえその人間性を自覚したのは 日本では イリ(世界への入り)歴史知性です。

1-1. 言うなれば日本人の歴史は この基本思想から始まったと見られるのですが そのあと その考え方の上をゆく――とにかくあらゆるものの上を天翔けりゆく――スーパー歴史知性なるヨセ(寄せ)思想が出ました。

1-2. アマアガリ・シンドロームに罹ったワケ/タラシ思想とも言います。《神のごとく如何なる者の下にも立つまいと堅く誓った》というキャラクターです。

1-3. うまやとの聖徳ボンクラ太子は 『隋書』によると みづからを《姓は阿毎(あめ) 字は多利思比孤(たらしひこ)》と名乗ったそうです。

1-4. ですから 天皇家の歴史は イリ系のイリ歴史知性とその後に興ったワケ/タラシ系のヨセ超歴史知性とのふたつの思想の系譜があると見ます。




2. イリ歴史知性・・・・・・・・・・ヨセ超歴史知性(ワケ/タラシ)
____________________________________
① スサノヲ(S)市民        もっぱらのアマテラス(A)公民

② 《 S-A 連関構造》どうしの共生  《 A-S 連関》を超え出て(アマアガリ
                   して)人を引っ張る
                   

③ 中にアマテラス予備軍症候群あり  アマアガリ・シンドローム

④ 世の中は 平屋建ての家      二階建て+雲の上

⑤ けんかをするほど仲がいい(和を  和をみだすなと説く(自分たちのけん                        以って貴しと為せと言われなかった   かは秩序をまもる統治のための冷戦だ
なら和をみだすことを知らなかった)  からよいと思っている=アマアガリ症                
                   候群)

⑥ 《われも生きる なれも生きる   《人びとを王の徳によって感化しつく
かれも生きる みづみづしいいのち》  すまでは 神の如くいかなる者の下に
                   も立つまいと堅く誓ったたましい》
                    




⑦ 第十代崇神ミマキイリヒコイニヱ   第十五代応神ホムダワケ(400)
  (CE300)            + 神功オキナガタラシヒメ(母)
  + S 市民オホタタネコ       + 雄略オホハツセワカタケル
 〔ネコ(根子・S)‐ヒコ(日子・A)   (→ 全国制覇大作戦 ↓)
  の連携〕               + 継体ヲホド (500)   
                   

⑧ オホモノヌシ=ヒトコトヌシのカミ   アマテラスオホミカミ
 〔もの(質量)=こと(エネルギ)〕
 〔ただし コトバという主題もあり〕

⑨ やまとの三輪山なる大神(おほみわ)  伊勢神宮(=内宮。
 神社                  外宮は元イリ系)




3. はてさて 日本人のこころのふるさとは いづこなるや?



☆ 自由なさらに自由なもっともっともっと自由なお考えをどうぞ。

A 回答 (93件中91~93件)

大阪は古くは大坂、その前は逢坂と書いた。



誰か忘れたが、誰か二人が待ち合わせに使った坂だったと聞いた。
百人一首の歌になかったかな。
夜を込めて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
清少納言
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この回答へのお礼

そうですね。

・ 逢坂→ 大坂 / 大阪

☆ この移行とぎゃくの変化があるようですよ。:

・ おほ(大)まが(禍)とき(時):大禍時
→  おほ(大)ま(魔)が(の)どき:大魔が時
→ おう〔=あふ(逢)〕ま(魔)がどき:逢魔が時

お礼日時:2022/12/19 03:02

天皇は日本で一番偉い人。



国会議員・総理大臣は天皇が任命する。
法令・法律も御名御璽でスタート。
異は唱えないが最後にサインすることで
日本を治める最高責任者という位置になる。

日本という国号は日の神たる天照大神の子孫が治める本津國という意味。
だから天皇がいなくなれば、もう日本は終わる。

悠仁親王は大丈夫かな。
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この回答へのお礼

A 宮家は だいじょうぶぢゃありません。

悠仁氏がダメなら 文仁氏のタイ国にいる隠し子を戴いたらどうか などとさえ言っているとかいないとか。



ひのもと
もとは 大阪湾の入り江の港口であったクサカ(草香すなわち日下)のことを言ったらしい。(昔は そこまで海が入り込んでいた)。

すなわち:
草香(そのタテツ=港)は 海外から 知識や技術がもたらされる《ヒノモト(日本)》と捉えられていたのではないかと想像されるからです。

おそらく この《ヒノモト(日本)の草香》を 《ヒノモトの /もしくは ヒのシタの》と解し直して 《ヒ(アマテラス・オホキミ(またはスメラミコト)のモトの草香》と定め 漢字では《日下》と書いて《クサカ》と読むというふうに 事は推移していったのではないだろうか。(西宮一民説)


たとえば:

《飛ぶ鳥の明日香》
 → 《飛鳥=アスカ》
《春日(はるひ)の〔かすむ=〕カスガ》
 → 《春日=カスガ》
《隠(こも)り処(く)〔隠口つまり長谷(ながたに)〕の初瀬》
 → 《長谷=ハ〔ツ〕セ》

《日の本の草香》→ 日の下の草香 
 → 《日下=クサカ》

といったように枕詞とそのあとの地名とが 漢字の読み方としてくっついた。


あるいは 《山処(やまと)》が 漢字による表記によってその社会の内実(人間関係)を意味表示させようとしてのように 《養徳 / 大和》などという表記の慣用を持ったことと似ている。

崇神イリヒコと市民オホタタネコとの社会は もともとここが《和を以て貴しと為した》のであって そのあと ニ階建ての社会になったとき その国家を 《大和(やまと)》と書き読むこととした。

イヅモ八重垣なる市民社会に対してその上をゆくというので 内裏を九重と呼んだのかも。

ヤマトは 中国人は《邪馬臺》と書いたけれど。


かつて ジャパンアズナンバーワンと呼ばれたころ 日本人は ユダヤ資本家の上をゆくということで 《イレヴン》と言ったといいます。十(ジュ―: Jew )の上だから。

お礼日時:2022/12/19 03:30

清少納言は本名を清原諾子:諾はナギと読み、伊奘諾尊=イザナギのナギと同じ文字。



清原ナギ子という。

晩年は宮中を出て結婚したが、その後は尼となり四国で死んだという。

宮中に居た時代が花。

清原元輔の娘。

といっても少納言が誰かは浮かんでいない。
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この回答へのお礼

この情報は 知りませんでした。


不幸ではないが あまりめぐまれた後半生でもなかったんですかね。

お礼日時:2022/12/19 03:32
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