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ピョートル大帝より前までは、日本の漂流民の扱いって捕虜みたいな感じだったんですよね?
ピョートル大帝はジバングに憧れを抱いていて、日本人の漂流員をもてなし、日本語教育に力を入れました。それ以降、日本からの漂流民の待遇が変わり、皇帝への謁見が叶ったり、生活を工面されたり、貴族との交流があったりと、なかなか日本では味わえない良い生活をさせられていました。

質問者からの補足コメント

  • ロシアの極東まで中央ロシアから物資を運ぶのは遠いので大変だったのです。そこでピョートルは極東と隣接する、憧れのジバング「日出ずる国」と貿易をして極東を発展させたかったのです。
    しかし、時代は江戸時代。鎖国ですよね〜
    日本より発展してる外国の文化を民に知らせたくなかった幕府。漂流民は、日本へ帰国すれば罪人として縄で縛られ投獄される恐怖政治。

      補足日時:2022/12/24 20:35

  • まさに、漂流民にとって、
    当時のロシアと日本は、天国と地獄。

      補足日時:2022/12/24 20:38
  • もし南北朝の戦いで南朝方が勝っていたら、王朝文化が花開いて、ロシア帝国のような華やかで開かれた国になっていたかも知れません。

      補足日時:2022/12/24 20:42
  • そしたら、ロマノフ家へ日本の皇族が嫁入り、ロシアの皇后へ、なんて夢のような話も生まれたかも知れませんし、日本との絆が強ければ、日露戦争やロシア帝国崩壊もまた防げたかも知れませんよね?
    因みにピョートル2世の妻だったエカテリーナ2世(ゾフィ)は、昔はドイツの貧乏貴族の娘でした。
    エカテリーナが愛人たくさん作ったり、なんだかんだあって、息子の代に、皇帝は男系男子のみになりましたが。

      補足日時:2022/12/24 20:53

A 回答 (1件)

スターリンを尊敬していることに嫌悪感を持つんじゃないかな。

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