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人は、何のために生きるのですか?生きるために生きるという人がいますが、それだと分かりにくいです。

A 回答 (35件中21~30件)

人で考えたら 解らないかもしれない


生命で思った事が在ります

人間の様な思考しない文鳥を飼ってます
名前付けてますけど

注意喚起在りますけど文鳥は逃げます
空を知ったら羽ばたく?感じ

ぶTHと名付けた鳥逃げた時 なにも起こりませんでした
捕まえられなかった それだけです

ラファエルガブリエル 天使の名前を付けた鳥
逃げた時 空は ラファエル ガブリエルは天に召された
様相でした

人は死す為に生きてるんじゃなくて
生きる為に生きてるんじゃなくて自分を全うしてく為に
生きてるんです

誰かの邪魔在れば
邪魔者は潰す その為に生きてるんだと思った空
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人が生きる為に生きるとは、生き物は運命共同体ですから、人があらゆる生き物の生命を繋げて行けるように行動することです。



神様が天変地異で生命を絶滅しようとするのに対して、人は生き物を間引いたり選別したりする、謂わばワクチンを使って対抗しています。
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自身を“完成させる為”です。

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初めまして



人類は?・・・という事でしたら、本当の答えは神様じゃないとわからないのでは、一般的には自己成長の為・・・と、なっているのではないでしようか・・・

個人の事でしたら、自分の生きる目的は自分で決定すべき事だと思います

他人に聞いても意味がないし、ましてや他人に決定されるべきものではないと思います
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愛するものの為に生きます。


愛とは、壊れるかも知れない大切な物を、守りたいと思う気持ち。
(例)
妻を愛する。
夫を愛する。
家族を愛する。
国を愛する。
自分の幸福の為だけに生きても、人は生き甲斐を得られません。
よって「何のために生きる」と言う問いは、現在愛する対象が無い事を意味します。愛する対象を見つけて、これに尽くすことが出来れば、生き甲斐も生まれますが、それと同時に責任と苦労も背負います。
現代人の多くは、リベラリストであり自分自身を尊重し、完全なる自由を当然の事として求め最上位の価値としていますが、この思想では「何のために生きる」かという事には答えられません。自分自身を真に愛する事は不可能で、愛は束縛を伴い完全な自由と矛盾します。
古代人が、生き甲斐を持って懸命に生きた筈であった事に、思いを馳せてみましょう。
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「人は何のために生きる?」



これは、やはり愚問と言わざるを得ないと思う。
これに迷うということは、「ここに生きたい!」というものが無いということで、これが無いということは、「生命力」が弱いということになると思う。

「生命力」が弱いということは、自分が大好きで、本当は行きたいところへ行くモチベ―ションというか主体性が弱いということで、そうなると、周りの毀誉褒貶ばかり気になってしまい、あまり幸せではなくなってしまうと思う。

だから、どうすれば高いモチベーションを維持させ、主体性をもって自分が大好きなところへ行けるようになるか?を求めることではないだろうか?
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死なないために生きています

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囚われている、暗い洞窟から,外へ一歩踏み出すためです



人は、と言うが、自分の事が分からなのに余計なお世話です
と言いたいが
「自分(人)は何のために」それが真理です、それが分かれば賢人です、覚者です。
自分は(人は)何処から来て、何処へ行くにか、何のために
そのためにソクラテスは「汝自身を知れ」なのです
釈迦の「汝自身を省み訪ねるが良い」なのです
デカルトの「我の存在を論証した」なのです
近代哲学というものは、「自我の自覚から始まるのです」
人間は案外自分のことを知らないものなのです、いや
例え、他人の事は分かっても
自分の事が、一番分からないのかもしれません、
夢遊病者やボケ老人の様に、さ迷っているだけで、
人生終わりたくないですね

ソクラテスの弟子のプラトンの喩え話ですが
生まれてから今日まで 暗い洞窟で生活している人達がいました
その中の一人が勇気をもって一歩外へ出ました
青い空に緑の大地、太陽に照らされた七色の花々
彼は歓喜しました。
彼は歓喜したまま洞窟に戻り、その事を人々に話しました
誰も相手にしません、誰も信用しません 
批判され 迫害されキチガイあつかいにされるのです

汝自身を知る事はこれと同じです
一瞬ですべてを理解する事なのです

汝自身を知るとは、生死の法則を知る事です
大我に至ることです。
これこそ絶対的幸福であり、歓喜の中の大歓喜なのです

常識を改め、思い込みを捨て、サングラスを外して
一歩踏み出す勇気があれば、分かります
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カツオやマグロなんてな魚は、止まる死ぬからね



寝てるときですら泳いでいる

生きる為に生きる

生きるってな事柄が、明確な目的になってるんじゃないでしょうか?

どのように生きるとか、何の為に生きるとかってよりも

とりあえず生きる

てな感じで考えてみたらわかるんじゃ~ないかな?

たとえば

飯を食うてな目的も
何の飯をたべるのか?
何時ごろたべるのか?
何処でたべるのか?

てな明確な事柄は書かれてないけど

飯を食べるんだぁ~

てなてな事柄は伝わりますもんね
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人間、、、と言うよりも、生物には命(生命)があり、『宿業』を持って生まれてきます。

その『宿業』が縁に触れ生きる上で様々な現象を引き起こすのが人生です。あくまでも『宿業』と言うものは、個人的なものなのですが、同じ『宿業』をもつ者同士が、一定の地域に集まる、存在するという事も起こりえます。

現世においては、そうした『宿業』の上に善根を植え、生まれた時の生命状態から少しでもより良い生命状態で死んでいく事こそ、再び生を受けた目的でもあります。また、『宿業』の上に善根を植えることで、それまでの『悪業』が弱くなり善が現れることで、生きる上での生命状態、生活環境も良い方向へと変化して行くのです。

さて、それとは別に究極の生きる目的と言うものは、人生の上で『法』に縁し、『法』を保ち、『法』を広めて生きていく事です。上記で書いたように沢山の生命がこの『法』の存在を知らず苦悩の中で迷いを持って生きています。こうした人達、あるいは生命に対して正しい『法』を説き、苦悩の淵から救っていく事こそ、人間に生まれた最善の生き方なのです。
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