プロが教えるわが家の防犯対策術!

世阿弥の一生は権力者に翻弄され終わりました。
最後は佐渡流罪に。流罪になり後世に能の仕組みを書物に遺した。ライバルの犬は消えて。
世阿弥はメンタル強いですか?
12歳で将軍から目をかけられ、
途中ライバルに持ってかれ、佐渡流罪、
罪犯してないのに、理不尽です

A 回答 (3件)

世阿弥は60を過ぎて佐渡に流され、80で逝去。

生前に京に戻ったと思われる。比較的平和だった義満時代に全盛期を迎え、多くの能作品と世界的な不世出の芸術論「風姿花伝」を残した。
乱れ始めた世の中で流されたが、佐渡では「雨乞いの舞」の伝説を残し、最後は夫婦揃って仏門に帰依して静かに世を去っている。

決して大衆芸能ではなかった能(猿楽)が伝統芸として現代まで残ったのは、世阿弥の偉大性に負うところが大きい。
室町期は戦乱の激化に従って、分かりにくい能に興味を示す有力武家が乏しくなって下火になったのはやむを得ない。世阿弥も諸行無常を感じつつの仏教帰依だったのだろうか。

理不尽は理不尽かもしれないが、世の乱れは個人的理不尽を超越した理不尽でしょう。

とはいえ、彼の作品群と芸術論は、荒んだ世を生き延び、戦国末期から江戸時代に入って細々ながらも復活していった。それは彼の芸術が本物であったからであり、それを彼も知っていたがゆえに、静かな精神世界の中で余生を送れたのではないでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます

佐渡流罪から戻って静かな余生を過ごしたのですね

ライバルは後世に遺さないでさりました

世阿弥は書物のこし

現代まで芝居を遺したあたりが偉人ですね

佐渡には、座ってた石も伝説であるとか


権力者が変われば恩賜ありますからね

お礼日時:2023/02/15 22:12

昔は芸能人は被差別身分でしたからね。


エライ人か寺社の隷属民という位置付けでした。
能役者が士分に準ずるぐらいまで上がったのは江戸時代になってから。歌舞伎役者が被差別民から庶民になれたのは江戸中期からです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

歌舞伎も河原とかの掘立小屋でやってたらしいです。
今や15000円、、

お礼日時:2023/02/15 19:28

芸術は有力な権力者がパトロンとなってくれなければ、花が開きません。


パトロンの機嫌を損ねると死罪に成る事も有ります。
天才とか才能が豊かな人は同僚から嫉妬や嫉みの対象になります。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは同僚による毒殺説が
未だに語り継がれています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2023/02/15 19:22

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!