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ニーチェがキリスト教を否定した気持ちが、分かりますか?

A 回答 (23件中11~20件)

奇しくも、私は今年でニーチェが没した56歳になる訳ですけれど・・・。



最愛の女性(ルー・ザロメ)に失恋した、ニーチェはスピロヘータを患うことで、精神病院で最期を遂げることにもなりますので。

ざっくばらんに言うと、女に捨てられて、自暴自棄になった、ニーチェは娼婦を買ったのでしょうね・・・。

それで、梅毒を感染したが、当時の医療では・・・。
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三島憲一の見解を紹介します。



ニーチェが キリスト教道徳を無意味だとして批判したというだけでは 不十分であると語っています。

▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) 〜〜〜〜〜
ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。

  寒くなってきてはいないか?
  これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?
  昼前から行燈を灯す必要はないのか?
  神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?
  神が腐る臭いがまだしてこないのか?
  ――神々といえども腐るのだ。
  神は死んだ!
  死んでしまい 蘇ることはない!
  しかも 我々が殺したのだ!
  殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたら
  いいのだろうか?
  これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その
  神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。
              (『喜ばしき知識』125番)


大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。


しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。


実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。


《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。


ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。
 ・・・
再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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この回答へのお礼

う〜んかなり難しいですが、何か気になる解説ですね。折に触れて読み返させていただければ、と思います。ありがとうございます。

お礼日時:2023/03/28 16:24

煮詰めた議論としてですが



ニーチェは 道徳に対して意味がないとして否定したのだと考えます。


ところが すでに聖書ではパウロが言います。:

▲ (ローマ人への手紙3章20節)
なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。

☆ 律法が 倫理規範でありキリスト教道徳ですから ニーチェの《道徳批判としての〈神は死んだ。 / われわれがナイフで刺し殺した〉》というセリフは パウロの二番煎じでしょう。


すでに無意味で要らんことを言ったというかたちでは 《気持ち》が分かりません。ただの阿呆だと思います。
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信者の多くがルサンチマンに苛まされていらっしゃるのでしょうね。



ニーチェの超人思想とは、ルサンチマンの克服に尽きると思えますけれど。
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ギリシャ哲学など合理的哲学の研究者であれば、キリスト教は欺瞞に満ちた思想でしかなく、神も否定するしかない。


即ち、キリスト教を含むソクラテス以後の西洋哲学との決別だ。

そういう人々、特に芸術系の欧米人は、何故か仏教やウパニシャッド哲学など古代インド思想・哲学に傾倒する。合理を超越した合理性というか、西洋の表層的な思索展開ではなく、もっと深い内面思索の末から生み出された言葉では表現しがたい精神世界に没頭させられるらしい。

ニーチェ以外のそういう著名人で代表例を挙げると、例えばジョン・レノンがそうだ。
彼はビートルズ時代からキリスト教を否定していたが、日本人女性オノ・ヨーコに出会って禅などの仏教思想に出会い、反戦運動にも注力していく。
そして、ビートルズ解散後に世界的に反戦ソングの金字塔となった名曲「イマジン」を発表した。この曲は妻となっていたオノ・ヨーコの詩集から着想を得て、詩の一部を借用したものだ。
つまり「イマジン」はキリスト教を否定し、仏教にかぶれてしまった英国生まれのミュージシャンが生み出した曲ということになる。

ある意味、ジョン・レノンは音楽界のニーチェということになるのだろうか。
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ワシの尊敬する市川雷蔵様が映画「眠狂四郎」の中で、「神が人を創ったのではない、人が神を作ったのだ」と言うセリフがあって、若かったワシは大いに感ずるところがあった。


 この言葉が原作者の柴田錬三郎の創作ではなく、元はニーチェの言葉だと近年知って愕然としますた。
「ニーチェがキリスト教を否定した気持ちが、」の回答画像8
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要するに


神はいないと言っています

坂道で思い荷を背負わされたロバが
人夫に鞭でたたかれているのを見たニーチェは
ロバを抱いて泣き崩れ
そのまま発狂して亡くなった

この気持ち、わかりますか?
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解かります



醜い この世が 平和になると困るもんね・・
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ニーチェならずともキリスト教はカルト。

デタラメというのは分かります。何であんなに信者多いのかな。そうだ、金儲けに使えるぞ。選挙に使えるぞ。
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処女は子は産めんもんな…

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