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宇宙ができて、物質ができて、その塵やガスが偶然集まって組み合わさり、人間で生まれました。
寿命まで生きて亡くなりました。
また、元の塵やガスの状態に戻って行きます。
実は、人間でいる時間など比べ物にならないくらいの一瞬で、たかが約一世紀です。
塵やガスでいる永い時が、実は本当の姿なのではありませんかね?

A 回答 (5件)

塵やガスも人間もすべてが本当の姿です。

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この回答へのお礼

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お礼日時:2023/04/06 18:26

QRコードさん。


「無辺光」の冒頭の一節を此処に載せて見ます。

如来の本體は絶対の大心霊體である事は己に説きぬ。(すでに説きぬとは、光明体系十二巻の内の第一巻“無量光壽”に説いている、と云う事です)
大心霊體には相大と用大との二属性を有ってをる。個人の心に知力と意志の二属性を有する如くである。

相大とは心霊體の上に明るき象相なので即ち大智慧である。心霊體が鏡の體とすれば、智慧は鏡の明浄に喩へらる。用大とは大心霊の有する能力にて人の意志の如くである。如来の心相は法界に徧照する大智慧の光明である。喩えば日光の徧ねく六合に照り渡る如き心の光明である。

無辺光の四大智慧は個人の心理の観念と理性と認識と感覚の四分類に例すべきものにて、無辺光に法身の四大智慧と報身の知恵との両方面あり。法身の四智は天則秩序の理性として自然の一切萬法に徧く亙れる理性である。

四大智慧とは一大観念態と一大理性と一切認識の本源と一切感覚の本源とである。斯の四智が萬物に内存して自然界の主観客観の本元と為る。また萬有を生成する統一摂理の本源と為る。また因縁相成し陰陽交換の造化の妙用の本源と為る。また感覚作用たる客観の色声香味觸の相と為る。

この四智が自然界の一切萬象の根元となる。また一切衆生の知覚も運動も悉く如来四智の万物内存からして、吾人の感覚等と為り乃至一切の心の作用の相象を現はせるものである。法身の四大智が萬物の中に存在してをるから人類の精神作用も其れが分に応じて顕現したのである。

法身の大ミオヤが一切衆生てふ子等の智を向上させて、而もまた更に進みて如来の自境界なる佛智の光明界に帰趣させん為には報身佛の四大智慧の光明を以て衆生の四智を開発させて如来の自境界の中に攝めて一切の真理を覚らしむ。

更に云はば自然界の物質心質と依正色心の相と為り、また萬物を生成する秩序と為りたり或いは衆生の五官の感覚と為り、外界の五塵と現るゝも悉く此の法身の四大智の分類現象である。また更に進みて如来の浄き法界に攝められて佛慧の眼開けて如来の妙境界を照見し得らるゝのは報身如来の四智の光が衆生の四智を照らし給ふたものである。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/04/06 18:25

地球の誕生は、生命は誕生は今だの不明なのです。


論理的にも科学的にも数学的にも不可能なのです。
ですから何を言っても裏付けのない、寝言になるのです。

不変性、妥当性を踏まえ、ありのままを、科学的に論理的に考える事が大事だと思います。
例えば
宇宙から極小物質に至るまで、回転している、生命だけ例外と言う事はありえない。
 科学の原因と結果の法則、物質不滅の法則、質量不滅の法則、エネルギー不滅の法則からすると、死んでも無にはならない、チャラにならない。
と,思考していく事なのです。
 又、この世の全ては、意志によって動く。意思のない死人は動かない
ならばこの宇宙にも意志がある、と、思考していくべきです。
 又、意志があれば寝ている時も夢を見る。しかし、全身麻酔の患者は夢を見ない、意志が体から抜けている、その場所は宇宙ではないか。
とか、思考していくことが大事です。
 又、生命をあらゆる角度から精査に観察する事も大事です
生命を立体的 流動的にとらえたり、生命の機能 本体 可能性、
個性化の原理、区別化の原理、深層心理等です、

 それらを無視し、一足飛びに、釈迦も言っていない「霊」を乱発するエセ宗教には気を付けましょう
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/04/06 18:27

因みに「帰趣」とは弁栄上人独特?の表現のようで、私の持っている大辞典(講談社)にも載っていません。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/04/06 00:25

物質として見れば、そう云えるかも知れません。



でも、
生物には(ホントは物質も)精神があります。
そこで、その精神のホントの姿はと聞かれたらQRさん、どう答えますか。

私なら、
宇宙の本当の姿(本体)は《絶対の大精神(二つと無い大霊体)》である、と答えます。

釈尊は宇宙の真実と、精神の本来の姿をお経として残されていますが、その釈尊の「心」を現代の言葉で書き残されたお坊さんがいます。そのお坊さんが《宇宙の本体は絶対の大心霊体である》と云いました。

私の解釈は、宇宙の本体である大精神の意の力、意力がこの宇宙と云う現象を生み出しているのだ、と。
そして、この宇宙の物質は感覚を通して、或いは反応して、理的に運動・変化し、生物に在っては感覚が感情にまで発達したと。

お坊さんとは、明治から大正にかけて活動された我らが日本のお坊さんで、山崎弁栄(べんねい)と云います。
三十年ほど前の知名度は低かったですが、最近は結構知られるようになってきたようで岩波文庫から、このお方の書籍が出版されました。

有名な般若心経の解説本は巷に溢れんばかりですが、このお方は自身の言葉で「般若心経・宇宙の真実」を著しています。
色即是空を“解説”したのではなく、自身の“体験”を自身の言葉で表したものなのです。
書籍としてのタイトルは「無辺光」です。

また、宇宙の本体は絶対の大心霊体である、とは釈尊も云ってはいないようで、これは弁栄上人独自の表現だと、数学者の岡潔氏が云っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/04/06 00:25

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