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蜀漢の第一次北伐の際、魏延は長安急襲作戦を諸葛孔明に進言したが、
無謀で危険すぎると却下されました。
この魏延の長安急襲作戦を実行していたら、
戦局はどうなっていたでしょうか?
長安急襲作戦はかなり無謀な策だったのでしょうか?

A 回答 (2件)

魏延は漢中太守として魏との最前線にいた一流の良将です。

少なくとも蜀軍の中では劉備も認めた最高の将軍でした。魏延を漢中太守に任命したのは劉備でしたからね。

魏延は、魏の守備体制や将軍の資質など敵情に最も通じていたはずですし、決して無謀で蛮勇だけの将軍ではありません。魏延としては、かなりの成算があったのでしょう。実行すれば長安を陥落させていた可能性は高いのではないかと思います。

一方の孔明は、まっしぐらに魏軍主力を破りつつ長安から洛陽に迫るという戦術重視の作戦ではなく、遠大な戦略構想を以て魏に圧力を加え続けることで魏に安全勝ちする作戦を練っていたようです。魏延と違って武人ではなく、当代一の文人らしい作戦です。

元々、孔明は蜀と荊州の二方面から魏を中原を魏から奪還する構想でした。
しかし、関羽が敗北して荊州を失ったことで、孔明は魏を負かす兵力と軍を維持拡大する経済力が圧倒的に不足していると判断していました。

おそらく、孔明の第一次北伐の戦略目標は、長安以西の涼州を中心としたエリアを魏から奪い取ることで、兵力と経済力の格差を相当部分埋めてしまおうと画策していたのでしょう。ある程度国力を五分に迫ってから、呉とともに中原に迫ろうとしていたのではないでしょうか。

そういう孔明の遠大な戦略からすれば、魏延の急襲策は成功確率が高いとしても自分の作戦よりはリスキーであり、成功したとしてもその直後に涼州や洛陽の守りを固められて反撃されれば、いずれ兵力と経済力の格差が利いて敗勢に追い込まれかねない。ましてや、自分の遠大な構想からみれば、余計な戦闘でしかない。そういう判断ではなかったのかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/05/03 11:14

小牧・長久手の戦いの時、秀吉側が、別働隊が迂回して三河に進出、徳川の本拠地を急襲するという作戦を実行しましたが、結局は失敗。


それと同じパターンになるでしょう。
敵側に感づかれたら一巻の終わり。反撃された時の被害が半端じゃない。
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