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命は同じ平等だと言いますが、そうでしょうか
産まれたばかりの赤ちゃんと、年老いた老人
或いは犯罪者では。

メジャーで活躍する日本人、アメリカの大統領、
大企業の社長たち。
皆、住む世界が違う人で、あの人たちも子どもの頃があったはずなのにとても同じ人間とは思えないというようなことを考える事があります。
今の影響力とか、持っているお金とか、それぞれのパフォーマンスとか、人脈とは何一つ敵わないし…

自分にはなにも無い。
人間性も、お金も恋人も友人も知識も。。
なんというか、虚しくなることがあります。
それぞれ違って当然ですが、悲しくならない方法はありますか。

A 回答 (9件)

他人と自分を比較することを止めれば悲しい気持ちにはならない。


ただ、己が出来ることをやるだけの話です。
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生命の次元から言えば、平等です。



そこには、仏性が具わるからです。

>自分にはなにも無い。

何も無いという表現よりも、、、『縁』が無いとすべきだと思います。
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エ、・・命は平等じゃないでしょ


ゴミ以下の命もあれば、崇高な命もある
人間性もお金も恋人も友人も知識もない、悲しい命もあれば
困難に全力で挑戦している、充実(幸福)した命もある

悲しくならない方法は
我胸中から偉大な力を取り出すしかありません
いかなる軍隊よりも強力であり、如何なる国王よりも絶対的である力。
この世で最も偉大な力・・・それは希望の力です

希望こそ、我人生の秘密兵器です
希望とは、我人生を励ます魔法の力です
希望は、不屈の楽観主義を生み出す建設のエネルギーです
希望は、自分への信頼と励ましの力です
希望とは、冬を絶え春を呼ぶ忍耐であり執念です

希望のある限り、人間には行き詰まりはない
希望に生き抜く人には
堕落が無い惰性がない、成長がある、充実がある、
向学がある、想像がある、連帯がある
希望は何ものにも負けない不屈の旗である
「どうせ何をしてもダメだ」と言う諦めを克服できる

人生という遠征に向かうにあたって、
最も大切なものは、財産でも地位でもない。
わが胸中に炎のごとく燃えたぎる”希望”の一念です

みせかけでもいいから、ハッタリでもいいから
デカイ希望をもつべきだ。
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命は同じ平等だと言いますが、そうでしょうか


 ↑
そんな訳無いです。



なんというか、虚しくなることがあります。
 ↑
テロなんかやる奴は、そういう心情かも
知れませんね。
殺すことによって、始めて同等になれる。
どんな偉大な人間でも、
小さな金属片が急所に入れば、簡単に
死ぬ。



それぞれ違って当然ですが、悲しくならない方法はありますか。
 ↑
誰でも死ぬ。
死は平等。


決定論はどうですかね。
総ては予め決まっている。

だから、無力なのは俺のせいじゃない。
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その人がその人であるってこと、それが大事なのだと思います。


あとは、燃焼できたか燃焼できなかったと言う点がありますが、それも、いくら怠惰に生きたとしても、その人なりの限界がそれだったのだと見れば、誰しも生き抜いたとも見れる。
人生の終わりに後悔して泣いたなら敗北したのだし、安らかに死ねたなら勝利したのでしょう。
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自分の得意なことを精いっぱいやる。

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>命は同じ平等だと言いますが、そうでしょうか



「平等じゃなかったら?」どうなるでしょう。

質問者様も私も、もし平等では無かったら、誰かの都合や誰かの感情で殺されるかもしれない立場になるかもしれません。

実際、日本でも世界でも古代の奴隷は平民と平等ではなく、虫けら程度の生存権しかありませんでした。

平民も上流階級に比べれば、生存権は低いものでした。

実際そういうことは20世紀初頭まで続いていたので、100年前ぐらいにようやく平等になっただけです。

つまり「命は同じ平等」であるから、何も持たない普通の人間も生存する機会か生きることの権利があるわけです。

質問者様が現にこうして生きている、のは「命が平等」だからですよ。
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人間社会を人体に譬えてみれば、脳細胞は大統領とか政治家とかになるでしょう。

一般大衆は、身体の各部位の細胞という感じでしょうか。

社会の下層に生きる人々は、足の裏の皮膚の細胞とか、肛門の細胞とかになるでしょうが、必要なものです。

犯罪者というものは、かつて無くなったことはないでしょう?犯罪というものは、社会のひずみがあるゆえに生まれるものであると考えられます。ならば、誰かがならなければならないものであり、誰かがなってくれるから、自分がならなくてよくなっているのかも知れません。

そんな風に考えることもできます。

それから、何を考えるにも非常に重要な点があると思っています。それは、人間の命は、一回きりなのか、それとも仏教で説かれるように、永遠に輪廻するものなのかという点です。

仰るように、例えば、大谷翔平と親の脛をかじって、仕事もせずにゲームばかりやっている若者とは、人間として同じ価値があると思えないのはよくわかります。

人間の命が一回きりならば、そう考えざるを得ないと思いますが、永遠ならば、過去がどうであったか分かりませんし、未来にどうなるか分かりません。可能性は、それこそ、無限にあるということになります。

その場合に限り、すべての人は平等であると言えると考えます。

およそ理想的な考え方は、命が永遠であるという前提になっていると思います、意識していなくても。
逆に、現実的・唯物的考え方は、命が一回きりであるという前提に立っていると思います。

しかし、どちらも科学では証明できないことです。
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ジジイに近づいてきてわかったことは、結構ちゃんとしていると思われてるヒトでも、おそらく適当に生きているってこと。

俺もちゃんとしているって思われてんだろうなと思うけど、ズルいし手ぇ抜いてるし適当だし。
みんなそんなもんよ。悲しんでも、レベル俺たちと同じよ。
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