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仏教用語に「遊戯三昧」という言葉がありますが、これは大乗仏教から発生したものでしょうか? 上座部仏教での釈迦牟尼仏陀の教えとはとても思えないのですが。。

A 回答 (5件)

そもそも「遊戯三昧」という意味は「遊びほうけること」ではありません。

本来は「何ものにもとらわれることなく、自由であること」の意です。「遊びほうける」というのは誤用です。

この言葉は、南宋の臨済宗の僧侶、無門慧開が編著した「無門関」にある言葉です。当然、大乗仏教の中の禅宗から生じた言葉ですよ。ですので「遊戯三昧」という言葉は密教の言葉ではありません。もっとも煩悩即菩提というのが密教の基本的立場ですので、親和性が高いのかもしれませんね。

仏教で不明な点があれば、私の知っている範囲でお答えしますよ。
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大乗仏教や密教の信徒は皆アホなんですか?


 ↑
な事言ってねえよ
経典にない事を勝手に都合よくごねまわすアホ坊主に洗脳されて遊び呆ける奴の事だよ。
経典から逸脱した、邪見偏見僻見のクソ坊主に注意しましょう
誰がどう解釈しようと「遊戯三昧」は遊び呆ける事だよ。
それ以外の解釈は無用
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そもそも「遊戯三昧」という意味は「遊びほうけること」です


エロ坊主の寝言を信ずるアホがいる事に驚きます。
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この回答へのお礼

大乗仏教や密教の信徒は皆アホなんですか?

お礼日時:2023/05/14 10:50

「遊戯三昧」を否定するのが仏教ですよ


どの仏典に出ているのか不明ですが
生臭坊主が飛び付きそうな言葉ですね、
衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)を
勘違いしたエセ坊主が都合よく使う言葉ですね
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「遊戯三昧」という言葉は、大乗仏教の教えに由来するものです。

一般的には、仏教において「三昧」とは、瞑想や集中の状態を指し、一種の精神的な境地を表します。しかし、「遊戯三昧」という言葉は、その意味を転じ、あえて世俗的な遊びや娯楽に没頭することが、一種の精神的な境地に達することを表しています。この考え方は、密教において特に重視され、諸々の行法が存在します。

上座部仏教においては、遊戯や娯楽に没頭することは、迷いや執着を引き起こすものとされています。そのため、「遊戯三昧」という考え方は、上座部仏教には存在しないと言えます。
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この回答へのお礼

遊びに遊び、放蕩の限りを尽くした先にも悟りと達観が開けてきそうな気もしますね。

お礼日時:2023/05/12 11:36

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