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20代後半男です。
10代から20代まで、周りのみんなは楽しい経験をし、
彼女を作り結婚し、幸せになっていますが、
僕は10代から20代まで、貧乏くじを引いたみたいで、
楽しいと思った事は一度もありません。
周りが羨ましく、周りを見ていると悔しく、この年になるともう取り返しがつきません。
もうこの年なので、楽しい思いや交際、結婚も無理だと思うので、
諦めますが、僕は楽しい思いや幸せになる権利は無かったのでしょうか?
それが今回の質問です。
よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 低身長163cm
    顔カッコよくない
    体もきれいではない
    低スペック人間です

      補足日時:2023/05/20 14:22
  • 前向きになれる様には、どうすればいいですか?
    よろしくお願いします。

      補足日時:2023/05/20 15:17

A 回答 (30件中1~10件)

まあまあもっと気楽に生きてくんろ‼️(^◇^)

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趣味を持ちましょう♪


趣味を通して人と巡り会う事も有ります。

それから、「楽しい」と思うかどうかは貴方次第なんです。

チョットした事に感動し、楽しい。嬉しいと感じる人になると人生も違ってくると思います。

幸せは売っていません。

「貧乏くじを引いてる」と書いておられますね。

つまり悪い事ばかり拾ってるのだと思います。

嬉しい事、楽しい事は必ず目の前にあるはずです。それは小さな事かも知れませんが

小さな喜びを見つける癖をつけると
もっと幸せな貴方になると思います。
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振り返ってみれば、男性の脂が乗り切るのは30歳前半、だからまさにその直前にいることになります。

現在60さいの私からすれば羨ましい限りですね。
 あらためまして、結論から言えば人生まさにこれからです。10代から20代にかけて彼女や結婚に縁がなかっただけです。人生友人関係にしろ結婚にしろ就職にしろ全て縁です。今までは縁がなかっただけ。あなたが今後まえを向いてなりたい自分になる努力を続けていれば必ず良縁に恵まれてます。但し下を向いて落ち込んでいたら、近くに良縁が来ても気づかず逃してしまいます。ですので明るい人生を信じて前向きに頑張って下さい。まだまだ若いんだからこれからの長い人生「面白きこともなき世を面白く」なるように頑張って生きて下さい。その努力を怠る人間には嘆く資格も、ありませんよ。あなたが幸せになろうとどうなろうと他人の私たちにとってどうでもいいんだから、自分自身のために甘ったれてないで頑張れ!まあ好きに生きて下さい。
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「楽しい思い」のベクトルが恋愛や結婚に向いているから


「楽しい思い」をする権利はないと思ってしまうのでは?

「恋愛」や「結婚」、子どもが出来て「子育て」
「家族」を作ることも「幸せ」のかたちのひとつかもしれませんが
私は(結婚に3度失敗しているので)
「結婚」を幸せだとは思えないですね。

それよりも、ひとりでいられることの自由
好きな様に時間もお金も使えて
服を買ったり、ゲームをしたり、本を読んだり
近いうちにPCで絵を描けるようになりたいと思っています。

それ以外にも、アウトドアでもインドアでも
「楽しい思い」をできることはたくさんありますから、
色々チャレンジしてみるといいと思いますよ。
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勉強と筋トレをした人だけが、楽しく過ごすことができている世の中だと思います。

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大丈夫、まだまだ望みはあると思います。

私はブサメンでもてないとコンプレックスから女性に声をかけることなどできず悶々とくらしてきました。
地方公務員として真面目にやってきたおかげか30代になってから上司などから縁談が持ち込まれるようになり、そのうちのひとりとお見合いし結婚することができました。30過ぎて結婚して童貞を卒業しました。
振り返ってみますと顔やスタイルなど見てくれは、人生においてほんの一部分の事です。あきらめてはいけません。
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言い忘れました。

人が苦手なら犬か猫などペットを飼ってみましょう。
私はいまひとりなのですが、昨日は犬を自転車に乗せて河原まで行って一緒に釣りをしていました。
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できることから始めましょう。


誰とも自分を比較しないことです。
自分ができることから。これが大事です。できないことをできるようにしてから次の行動を起こすのはやめ迷う。
まずできることから始めるわけですが、自信がないときは何もできないような気がします。
まず自分が楽しめることを自分だけで始めましょう。
それを続けていくといろいろとできることが増えていきます。
なんでもいいのです。自分が好きで楽しめることを続けてください。
つぎはそれを誰かと一緒にやってみることに広げてください。
異性でなくても異性でもいいです。
だれかと楽しみや好きという感情を共有してください。
リアルがだめならネットでもいいです。
そのように自分が楽しみ、誰かと楽しみを共有できるようになったら
あなたは今の自分ではもうなくなっていると思います。
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まずは元気を出してください。



ここ最近の気候変化で気分が落ち込む人が多いようですよ。
ご質問の内容に関しては重要な内容だと思います。20歳代だとアイデンティティの確立が必要な時期だそうです。この時期に自分の存在意義などを自分で決めておかないと後々辛いそうですよ。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

楽しい人生だと思えなくても「立派な人だ」と言われる人生にはしたいと思いませんか? どちらも手に入らないと成ったときは愚痴をこぼしても良いと思いますよ。貴方が羨む人達だって、この後も楽しんで生きられるか保証がありませんし、立派だと言われる保障もありません。今まさに同じ立場で苦しんでいると考える方が現実に近いと思いますよ。

「40歳になっても同じことを言ってる俺。
 そして10歳も年下の男に慰められた。
 情けないのはついつい甘えちゃったことだ。
 俺より立派に見えたんだ・・・愚痴をこぼすのを我慢できなかった。
 あとになって、そいつが年下だと知った。
 もうこんな俺は嫌だ。俺を捨てたい」

これが一番怖いんですよ。誰にでも起こり得ます。生きていてこれだけは不味いと思っています。楽しい事があったかどうかなんて、まだまだ優しい次元ですよ。年下に哀れまれて慰められる。逆に年上を哀れんで慰めるかもしれません。そういう未来が来てはいけないでしょう。それを遠ざけるために今この瞬間も努力をしていないと行けないんですよ。

「どうすると立派な大人に成れるんですか?」

これは誰もが悩むところです。誰もが悩むのだとしたら人類の歴史の中の偉人でさえ悩んだはずです。そして既に答えを出しているのではないでしょうか? 私はそう考えました。そしてふと論語の一つを思い出したんです。道徳の開祖である孔子はどう思っていたのか? 彼が言うには(本当かどうか知りませんけど)「心の赴くままに振舞って人の道を外れなくなったのは70歳過ぎてからだ」とのこと。

孔子は73歳で死んだそうですから、

暗に、

「一生無理だ」

と教えたんです。

孔子は「この行動や言動は立派なんだろうか?」と考え続けて自分を律していただけなんです。孔子以上の聖人など滅多にいないでしょうから、恐らく仏陀もキリストもそうだったのでしょう。そう考えて彼らの人物像を思い描きましょう。すると「どうしてそんな事をする?」と常に弟子たちを見てイライラしていた師匠の姿が思い浮かびますよね。彼らは自分の教えを守る事よりも「自分を律する」ことを求めており、そのために理屈をひねって道理を説いていたのです。しかし、殆どの人は教えを守ればご褒美が貰えると解釈したという事です。

「自分を律するってどういうことですか?」

「孔子が言うには反射で言い返したりしてはダメだという
 事だね。自分が俳優になったつもりで、自分でセリフを
 考えて物語を描いていく。そういう心構えだね」

「具体的に良く分かりません」

「そうだね。実は私も分かってないんだけど、ただ一つ言
 えるのは、今の君と私の会話を聞いて、どちらが立派な
 人物に見えるか? 第三者が判断するって事だよ」

「え・・・そりゃずるいっすよ。この話はノーカウントで
 すよ! いきなり過ぎませんか?」

「ほら。そのセリフは反射で出してるだろう?
 で・・・それを言っちゃう前の君と言っちゃった君を比
 較してみよう。第三者にはどちらが立派に見えるのか?」

「ちょ・・・まって。止めて・・・」

「いやいや、他の人はずっと見ているよ。今もこの後も」

「辞めろ。俺を見るな! 記憶から消せ!」

「ほら。また心の赴くままに反射でいっただろ?
 最後のセリフはそれを言った事で余計にダメな人物に見
 える。最初のセリフは『自分を律するとは・・・』だっ
 たよね? これを質問した人物と『記憶から消せ!』と
 言っている人物は同じに見えない。つまり、自分で自分
 の見え方を悪くしたって事だ。現実においてノーカウン
 トが適用できると考えていた。それこそ頭が可笑しい。
 ノーカウントが適用できない本番だという事を君は意識
 していないということだよ」

「・・・自分を律するてことは、こんな話だったんですね」

「そう。誰かに質問するとか意見するとか。そういう時は、
 ノーカウントが適用されると思い込んでいる間抜けが多
 いってことだね。孔子はそれを言ってただけだよ」

「じゃあ僕の質問に回答してくれる人も立派な人物ではな
 くて、どういうと立派な人物に見えるかだけを考えてい
 る人って事ですか? それ随分レベル低くない?」

「孔子が『俺もそうだった』と保証しているんだよ。現実
 問題君が思い描く立派な人ってのはサンタさん程度に珍
 しい。すごくショッパイあたりが立派な人の真実さ。
 それなら出来そうだと思って私はやってるよ。
 立派に見える人の殆どが私と同じはずだ。
 だけどそれに気づかずサンタさんには叶わないと思って
 諦めてしまい、心の赴くままに自分下げをしたうえで、
 あれはノーカウントだと心の中で言い訳をしている間抜
 けさんがいるってことだなあ」

つまり貴方と同じ境遇であり、貴方と同じ悩みを抱えている人は無数にいるはずなのですが、言葉にして質問した貴方はその方々より評判が爆下がりしているという事です。この不条理さを受け入れて、これをゲームとして考える。ノーカウントを要求したくなる自分を抑え込んで、少しでもマシに見えるように全力を尽くす。これが今この時この瞬間努力をしているという実態になるわけです。

「立派になるってことは・・・立派には成れないと諦め
 た間抜けさんを餌にして、立派な言動や行動を第三者
 にアピールするってこと?」

「実態はそう。ただ立派に見える行動と言うの責任の遂
 行やチャレンジ。丁寧さとか思いやり行動なわけ。な
 ので本人は芝居の積りでも積みあがっていく。
 そして最後は、
 『あれまあ、期待してなかったけど・・・』
 という具合に良い事も起きるんだよ」

孔子の実績もすべて嘘から出た真だったという事です。彼が教えたかったのは自分の経歴はそういうものの副産物だという事なんでしょう。

「でもそんな旨いことあるんですかね?」

「う~ん。実践してみての経験で言うと。
 不戦勝? 全員が模範的な意見で一致する事ってない
 よね。自分だけって場合の方が多い。でまあ、全体が
 不味い事に成らないようにと心配して助けてくれる人
 が集まってきてだな・・・。何だか楽に成功する」

「き・・・汚ねえ。それって偽善ジャン」

「また、心の赴くままに発言してるよなあ。ダウト。
 助けてくれる人も俺のスキルや能力が凄いって思って
 無かったらしい。ヤバいって思ってたようだ。だけど
 手を挙げた事を立派だと言ってたね。あとは逃げ出さ
 ないようにと頑張るのが辛かった。みんな他人事だか
 らね。俺だけが本気で心配する。そのストレスで他人
 を憎んだこともあるよ。
 ああ、君は楽しい人生が貰えなかったという事で、や
 はり他人を憎んでいるんだよね。同じだね」

「同じじゃないっすよ! また俺をアテウマにして自分
 を上に見せたでしょ? そういうゲームかよ」

「そういうゲームだろ?」

「でも、手を挙げた上にやり切れずに失敗したら?
 みじめじゃないっすか?」

「内容が誰かの暗殺とかだったらヤバい上に惨めだ。し
 かし、勇気を出しての善行(本気じゃないにしても)
 だったら、その意欲だけで間抜けさんたちはビビると
 思うよ。『お前らとは違うんだよ?』ってメッセージ
 さえ発信できれば勝確だろう?」

「・・そうだね。俺だったら悔しくて心の赴くままに
 否定する書き込みをネット等にするだろう。
 いやだわあ・・・我慢できるか自信がないわ。
 自分を律するってここかあ。つまり簡単じゃないんだ
 あ。やっとわかった。でも我慢出来たら、我慢できな
 かった奴らと比較して爆上がりってことだよね?」

「正確には我慢できなかった間抜けさんたちが爆下がり
 してるってとこだな」

「・・・あ、でも肝心な事を聞き忘れた。
 立派な行動とか言動ってどうやって判断すればいいの?
 其処が分からなければ意味ないじゃん」

「第一に法に触れる行動をした人を擁護しない。ここは
 第一の原則。ここが緩い人は頭が可笑しいと思われる。
 知識人であっても異常者はいる。次に善なる思いや行
 動であっても自分から誰かを攻撃してはいけない。応
 戦するのはOK。応戦であっても紳士的にやるんだよ。
 攻撃と言うのは批判であっても同じ。助言に見えるよ
 うにと『やり方を律する』人が立派に見える」

「ああ、そこも律するが出てくるわけね。
 全部ゲームジャン。一瞬もノーカウントが無いんだ」

広島サミットは歴史的に見ても大きなイベントですね。これをどう感じても良いです。しかしこういう時こそを自分を律してみるべきでしょう。余計な事を言わなければ良かったのにという人が沢山います。

「嫌がらせで正論を言う人がいる。
 その意図を感じさせてしまえば負け確だろ?
 流れを読めない間抜けは、やはり間抜けなんだよ」

ゲームと捉える人は冷たい人間に見えるかもしれません。しかし、思いやりの巨人である孔子も自律しか無いと教えています。自分を律する事は「不可能を可能にする」様な凄い事じゃありません。しかし一生続けるとなると難しいでしょう。それでも「そうしたいと思う人」は立派に見えるという事です。

頑張りましょう。

以上、ご参考になれば。
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男性ならば、40歳からでもやり直せるそうですよ。


20歳ならば、七転び八起き、七転八倒、でも大丈夫だそうです。
何かを始めましょう。
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