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この哲学カテを拝見していて、疑問に思うことがあります。

<「平等」という言葉は不公平ですか?>という質問を例にとりますと、
質問や回答において、「平等」とか「公平」とかの言葉が、お互いに・共通の意味を持ってない(定義されていない)まま、無用な食い違い・言葉遊びをしているだけのように、私には見えます。

質問は、哲学とは言葉の意味を求める行為なのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

「平等」とか「公平」とかの言葉が、お互いに・


共通の意味を持ってない(定義されていない)まま、
無用な食い違い・言葉遊びをしているだけのように、
私には見えます。
 ↑
御指摘の通りです。
学問としては、まず定義を定めておかないと
議論になりませんね。

ただ、こうしたサイトで、そこまでの
厳格性を要求するのは無理だと思います。




哲学とは言葉の意味を求める行為なのでしょうか?
 ↑
そういう哲学もあります。
言語哲学。

ウィトゲンシュタインは、言葉や言語の使い方を
正しく理解することで、
哲学的問題を解決しようとしました。


考えるのは言語で考える。
その言語は事実とセットになっている。
だから、この世界は言語で出来ていると言うことが出来る。
と、いうのが前期ウィトゲンシュタインです。

その後、この考え方は間違っていた。
科学的言語はセットになっているが、日常的言語は
セットになっていない
というのが後期ウィトゲンシュタインと
言われるものです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
このカテでは<そこまでの
厳格性を要求するのは無理>ですね。
言語哲学に共感しています。(入門段階で難しく挫折しましたが)
<言葉や言語の使い方を
正しく理解することで、
哲学的問題を解決しようとしました。>ですね。

お礼日時:2023/06/03 10:18

孔子は「私が世を収めたならばまず名を正す」といいました。



例えば公務員は「公共の為に務める者」という意味があります。
この「公共」という名の持つ意味を考えないと単なる安定した職業に成り下がります。
だから自らも公務員でありながら「滅私奉公なんてばからしい」「公務員を叩くならお前らも努力してなってみろ」などという輩が現れるようになります。

正確には儒教は哲学ではありませんが”その名の持つ意味を考える”というのはとても大事なことです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<その名の持つ意味を考える”というのはとても大事な事>なのですね。

お礼日時:2023/06/04 17:45

と言うよりも


質問への回答を自己主張するための機会と捉えている人達が質問の趣旨を理解しようとせずに好き勝手に回答しているからです  
質問の趣旨を理解しようとすればそれの為に質問に用いられている言葉の意味や解釈などの確認が必要となります。確認をすればそれによって言葉の意味や解釈の共通化が図れるのです
他方質問の趣旨を理解しようしないなら質問に用いられている言葉の意味や解釈等の確認をする必要がありません。よって質問に用いられている言葉の意味や解釈等の確認をしないので言葉の意味や解釈の共通化が図られる事はない
と言う事です
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
質問も回答も<自己主張するための機会>と捉えているのですね。
したがって、<言葉の意味や解釈等の確認をする必要がありません。>になりますね。

お礼日時:2023/06/04 17:49

哲学が言葉遊びに思えるってな話なら


哲学が遊びにみえるわけではなく

コミュニケーションや会話などの行為が遊びに見えてるだけなんじゃないかなぁ~

哲学って、何らかの哲学を他者に伝えるためにあるから哲学として認知されてるわけであって

何らかの哲学を他者に伝えないなら
言葉や会話は必要ないもんね

言葉を深く考える人もいたら
言葉を深く考えない人もいてて

言葉を身勝手に解釈する人もいたら
言葉の解釈が身勝手に成らないように気を付ける人も居てる

そういったすべての事を捉えるのが哲学なんじゃないかなぁー

全体を知らなきゃ~個を知ることもできない
個を知らなきゃ~全体を知ることもできないもんね
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうござました。
<そういったすべての事を捉えるのが哲学>なのですね。
哲学は寛容で、何でもありで、フリーサイズなのですね。

お礼日時:2023/06/04 17:44

ここは質疑応答の場であって議論する場ではないので言葉に対する回答者夫々の解釈が異なったままであってもそれは至極当然の事です。

ここは何故ならば一人一人の考えを尋ねる場だからです。一つの答えを出す場では無いからです
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとございます。
<ここは何故ならば一人一人の考えを尋ねる場>なのですね。
思考プロセスの説明・詮索は無用なのですね。

お礼日時:2023/06/03 13:24

学問とは哲学も含めて、言葉の定義付けから始まります。


学術用語の定義が曖昧では、学問研究で一番重要な検証も批判も成立しませんから。

現実問題として何かのまだ名称のない新発見で新しい言葉を造語する場合は、その新しい言葉の定義に膨大な時間を割いて、すべての専門家・研究者と共通認識を持つ必要が生じます。

閑話休題、「平等」の質問は参りました。
何を言っているのか回答を読むまで理解できませんでした。
理解してからは笑い話の質問かと思いましたが、そうでもなさそう。

哲学ってここまで深遠かつ浅近なものだったとは驚きです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<学術用語の定義が曖昧では、学問研究で一番重要な検証も批判も成立しませんから。>ですね。
私は、時によって、喜劇を観ているのかな、と感慨に陥ることがあります。

お礼日時:2023/06/03 10:18

ふむ、遊びになっていないし、食い違い以前の問題で、言葉の意味を深く考えようとか、真理的なものを求めようとかいう姿勢を全く感じられないものが近頃多いと思う。


そんな人達が何故、哲学カテにこだわるのかわからん。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<言葉の意味を深く考えようとか、真理的なものを求めようとかいう姿勢を全く感じられない>ですね。
私も自戒せねばなりません。

お礼日時:2023/06/02 18:03

>哲学とは言葉の意味を求める行為なのでしょうか?


哲学とは人生の意味を求める行為です。言葉の意味は言語学ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<言葉の意味は言語学>ですね。
たとえば「平等」という言葉もお互いに意味が合っているのかどうかが、出発点の(最初の)作業ですよね。

お礼日時:2023/06/02 18:01

哲学は真理の追求ですが、言語化できない要素は評価考察できないですから、言葉自体は目的のための手段に過ぎません

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<言葉自体は目的のための手段に過ぎません>ですね。
私も自戒せねばなりません。

お礼日時:2023/06/02 17:57

言葉は、あくまで記号です。

それが指し示す真理を
考えないといけません
「あそこに月がある」と指を指せば、指が言葉で月が
真理です。
指を観察しても無意味です
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<言葉は、あくまで記号です。>ですね。
あいまいな言葉の詮索で、事足れりとしているのが多いですね。

お礼日時:2023/06/02 15:39

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