誕生日にもらった意外なもの

先日、「哲学を持つ人と、持とうとしない人との違い」を質問させていただき、
多くのご回答を読んで考えましたところ、次のような結論に至りました。

哲学は、実は大多数の人が持っているものである。哲学とは要するに、自分の中
の最高の規範であり、信じているものである。
何らかの信ずる規範がなければ、人は根無し草になってしまう。事実そういう人
は存在する。
そのことを知り、自ら学び、高め、実践に至った場合、もはやそれは宗教と合致
する(宗教とは一般的な意味のことです念のため)。
しかし、大多数の人は、それを意識せずに、何らかの哲学を持っている。

1 . この私の思考について、どのように思われますか?

2. 日本の大多数の人は、どのような哲学を持っているとお考えでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

お礼ありがとうございます。



つらつらと考えて出てきたことを。

昔の日本人と今の日本人の大きく違う所
短期間でここまで大きく変化した一つの要因は
責任を負うか負わないかが、かかわっているように思います。

責任は負わされると、人は逃げたくなりますよね。
自らが責任を負っていたのが、昔の日本人で
責任を負わせよう負わせようとしているのが、今の日本人かなと。

植木等さんが悪いわけでなく、あれは時代の要請だと思います。
戦争は、圧力で責任を負わせ逃げられない状況に
持って行かせられますからね。


昔の日本人は、自らに責を問う。
今の日本人は、他者に責を問う。

潔さは、消えていきますね。

ついでですが、責任を負わずあれやこれやから
逃げようとやっていくと、頭が悪くなります。

責任を取れてるとか取ってるとかじゃ無く
自分で責任を持つ気概で生きているかどうかが
結構大きな分かれ道になると思いました。


植木等さんを知らなければ、スーダラ節で検索を。

では!
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この回答へのお礼

おっしゃる事、間違いないと思います。

「何で私が責任なんて取らなきゃいけないの?」
「どうも、責任を取る気にはならないな」
そんなつぶやきが聞こえてきそうです。

植木等さん?知ってます。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/07 21:58

No.9だ。



>そもそも、私が「哲学」とか「科学」とかの言葉の意味を正確に把握したいと思うのは人とコミュニケーションをとるときに、無駄な食い違いをなくしたいがためです。

大変良い心がけですね。似非学者が大っ嫌いだと言う普通の意見を持っているそこらのオッチャンが学問の指南をして上げよう。

人間が学問の対象で興味を持つような物事って途轍もなく複雑なんだよ。人間単純なことで喜べればそんなに楽なことがないのに、楽して喜べるものがないんだね。多分これ前世の業なんで、皆前世で余程悪いことしたので、今その罰が当たっているんだと思う。

この複雑さが学問の落とし穴なんだ。そもそも皆学問に興味あるのは、自分で何を言っているのか判らないからなんだ。そしてそれを判りたいから学問をやるんだよ。判っちまったら学者なんていきなりその対象に興味がなくなるんだ。判りたいのに判っちまったら熱が覚めちゃうなんて、拷問みたいなもんだ。んで、この複雑さが内部矛盾を孕んだ罠はある。

そもそも、自分で何言ってるんだか判らないのに、どうやって自分の進んでいる方向が正しいかって確信が持てるんだい。まさかお偉いさんがそう言っていたなんて哲学輸入業者みたいなこと言ってたら、そのうち空しくなる何てこと、あんたでも予測がつくだろ?んで、どうするんだ。

実はその罠にはまらないようにするための指針をそこらのオッチャンが見付けたんだよ。物事って複雑だから、それを理解する上で自分で見付けてきた一先ずの理屈の中のどこかに本質的な間違いがあっても、その理屈よりもっと複雑な理屈を誓えば、本質的な間違いを正さずに当面の矛盾が表向き解決できた気になれるんだ。でも、またその新しい複雑な論理の中に矛盾があることに気づく。そこで、前よりもっともっと論理を複雑にしてそれを解決した気になる。で、また問題が出る。そして次から次へとそんな複雑な論理の理解できる自分に恍惚としながら無駄な人生を送ることになるんだ。

実は、たとえはじめは未熟な理解だったとしても、はじめに本質を突いた理解だったら、解れば解るほど説明が前より単純になって行く場合がほとんどなんだ。だから、自分の理解の発展史を振り返って、前より論理が複雑な方向に進んで来ているようだったら、その方向は捨てた方が自分の人生を無駄にしない可能性が高くなるってことだ。

新しい概念を見付けたとき、それにどう言う名前付けるかなんて言うのも人生を誤らせないために結構重要な要素なんだ。xxxて言葉の意味が良く判らない。だからもっと勉強して良く判るようになりたいなんて名付け方は、若いもんの道を誤らせる、学問をする上で、結構重要な要素なんだよ。

生物学って聞いて、これはジェットエンジンの制作に関する学問だと思う初学者はおらんだろう。愛智学と聞いて、食い物の学問だと思う奴はおらんだろう。んで、哲学って聞いて、はぁ、って反応する初学者は幾らでもいるんじゃないの。そう言う時は、理屈を前より複雑にして説明するんじゃなくて、あっ、この命名法は止めた方が良いんじゃないのって考えるのが、そこらのオッチャンなんだけどね。
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この回答へのお礼

おっしゃることは、その通りだと思いました。そして、その結論は何らかの
経験をもとに出されたものだろうと思いました。
私も、そう言われてみれば、おっしゃるような間違いが、学問の世界だけで
なく、大人の世界にはいたるところにあると、感じたことがありました。

そこらのオッチャンではなかったのですね?(-_-;)

お礼日時:2015/07/07 23:28

No.9に書いたもんだが、言葉をわざと判り難くすると素人を煙に巻いて金儲けが出来るっちゅう例をご披露しよう。

まあ、『哲学とは何か』なんて本を書いて金儲けしているのもその例だが、もっと面白いのがある。

以前国連の世界保健機関が世界の各国での死亡原因の調査をしたことがある。んで、その結果を集めてみて、日本の医者たちに文句が出たんだね。

「日本には心不全で亡くなる人が多すぎる。日本のお医者さんもっと真面目に仕事してくれよ」

って言われてしまった。心不全で亡くなるっていうのは、心臓が止まったから亡くなった、ってことだ。国連機関だから、心不全を英語に直してみた。そしたら、ここで訳した以外に他に訳しようがない。ところが、日本の素人の家族さんたちは、聞き慣れない心不全て言葉が死亡欄に書いてあるのを見て、ああなるほど、そんな病気で亡くなったんだって気になって、文句を言う人がいなかった。だから、そんな不真面目なことを死亡欄に書いて置きながら、医者もちゃんと仕事をしているぞってんで、患者や家族から金を取っていたんだね。

哲学に興味があるんなら、こんな言葉の遊びの子供だましの手に引っ掛からないように、難しい言葉が出てきたら、

「あっ、また、この偽学者どもが、学問とは何であるのかを勘違いして自己陶酔の恍惚に嵌っているのかな」

って疑ってみる習慣を付けておくことをお勧めするよ。
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この回答へのお礼

あなたの言いたいことはわかるさ。
世の中、「先生」と言われる人ほど、そんなのが多いからね。

だがね‥

舐めてもらっちゃ困る。言葉遊びに興味はないんだよ、俺は。

お礼日時:2015/07/07 14:53

ここにも、西周っていう江戸末期から明治にかけてもて囃された大馬鹿者の被害者がいるんだね。

あんたも意味不透明な命名法のお陰で混乱している被害者なんだよ。西周っていう男、蘭学なんどやって、西洋の言葉を一杯漢字表記の日本語に翻訳した。芸術、科学、技術、理性、皆この男の考案した言葉だ。まあ、そこそこに巧い訳もあったけど、超失敗作もあった。その筆頭が哲学ちゅう訳だ。また、権利なんてのも駄目訳のトップクラスだ。

そもそも、哲学ってのはphilosophy =philein(愛する)+ sophia (智慧)と言う意味だ。だから愛智ってことだ。だから、「庶民の哲学」って「庶民の智慧」ってことだよ。んで、これ以上何か説明がいるとは私には思えないんだけど。哲学なんて全く意味の不透明な言葉を使っちゃうから、難しい言葉が使えることが物知りだなんて頓珍漢なことを考えている学問の初心者が混乱するんだ。そして、『哲学とは何か』なんてな本を書いて素人を煙に巻きながら商売しているのが、哲学学者とか哲学輸入業者と呼ばれている日本の大学の哲学科の先生達なんだね。考えてみな、『智慧を愛するとは何か』なんて本書いたって、「そんなこと一々本を読まなくても解ってるよ」って言われておしまいだ。

権利だって、rightsの訳だ。でも、rightsには正義という意味がある。ところが、権利には正義を思い起こさせるような意味が全く含まれていない。権利を引っくり返して利権て書いたら正義どころじゃないもんね。西周のこの駄訳には福沢さんちの諭吉っあんも随分と怒ってた。こんな拙い訳を流行らせたら将来必ず禍根を残すぞってね。その予言は正に図星だったね。今じゃ、権利、権利と捲し立てて、利権を貪って社会を混乱させている連中があっちにもこっちにもいるもんね。正義の意味だと分るように訳してくれていたら、まさかその連中が正義、正義なんて言いながら利権を貪るわけにはいかないからね。

哲学って、智慧だよ、智慧。だから、庶民の哲学とは庶民の智慧と言うこと。智慧って、皆自分たちが幸せになりたいから出てくるもんだし、出して来るもんだ。んで、庶民の智慧の何があんたは解りたいんだい?
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この回答へのお礼

「西周」が出てきたから、少し期待したのだが、あなたの言っていることは、その辺の
へそ曲がりのオッチャンみたいですよ。
そもそも、私が「哲学」とか「科学」とかの言葉の意味を正確に把握したいと思うのは
人とコミュニケーションをとるときに、無駄な食い違いをなくしたいがためです。
それがなければ、言葉の意味とか概念の正確さなど、大した価値はないと思っています。

「庶民の哲学」=「庶民の智慧」?いいでしょう。
しかし、今「庶民」は自分たちの幸せのために、智慧を発揮できているでしょうか?
今の日本は昔の日本とは全く違います。あなたが日本を離れているうちに、変わってし
まったのをご存知でしょうか?

「何で、こんなになっちゃったのか?」を解りたいんです。

それから、西周さんの「訳」の責任?とんでもない!
「正義」とか「自由」とか「平等」などの崇高な概念を、自分たちの利権のために繰り返し
繰り返し利用し、ボロボロに汚してしまった「権力者」たちを憎む心はあなたにないので
すか?

お礼日時:2015/07/07 14:09

1 拠り所としての哲学は主義であり


  それに基づいた人生は一つの宗教的実践のひな形である
  と思います。
  意識せずに何らかの主義を持っている人もたくさんいる
  と思います。
  誤解がなければ基本的に同感です。

2 日本人的にはやはり「和を以て貴しとなす」でしょうね。
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この回答へのお礼

「和を以て貴しとなす」、確かに強く残っているでしょう。しかし、
随分と、変形しているように思います。

お礼日時:2015/07/07 13:39

こんにちは~ 今書いてる時は夜だけど



1.私は、哲学って自分の頭で考えるって事だと思っています
  生きるって事は哲学を生きるようなもんじゃないかなぁとも思っています
  自分で見て聞いて感じて考える…誰でも持ってるものだと
  自分は今世界をこう受け止めてるよ、って事かなぁと、だから変化してっていいとも思っています
  立ってる大地みたいなもの、根無し草になってしまうって言うのは近いものを感じます。
  でもまだ固めてないだけで、漂いながら考えている人もいるでしょう

  だから宗教って言うのとは違うような気がします 上手く説明できないけど
  その人の人生、生き筋みたいなものと思ってるからかな?


2.う~ん、これは聞いてみないと判らなそう 十人十色だしね
  でも哲学って聞くと、難しそうでそんなん持ってないよって答える人が多そうだよね
  「見て聞いて感じて考えて思って生きてきて、どう思う?」と聞いたらそれぞれがいろんなことを語りそう
  人生は一人一人違うからね

  ただ、宗教として聞いた時、絶対神とか宗教を持ってなかったり学んだりして来てない日本人(実際には持ってない訳じゃないとは思う)は、自分で考えて学んで自分の神を探さないとならないから、それなりにこの考えの宗教的なものを持ってる方々が実は結構いそうとも思います


なんかちゃんと質問に答えてないような気がする、ごめんなさい
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この回答へのお礼

「自分の頭で考える」「そこから逃げない」、みんながそうなったら、
人というものが、信用できるようになるかな、と。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/05 19:59

おじさんです。


1 . この私の思考について、どのように思われますか?
→いいと思いますよ。
ただし「そのことを知り、自ら学び、高め、実践に至った場合、もはやそれは宗教と合致する(宗教とは一般的な意味のことです念のため)」
→そこは少し疑問があります。
つまり、行き着く人もいますが、必ずしも宗教には行き着かないでしょう。
2. 日本の大多数の人は、どのような哲学を持っているとお考えでしょうか?
→日本の大多数の人の哲学は、親からの教えでしょうね。
ほとんどの人は子供の頃に学んだことを一生大切にしています。
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この回答へのお礼

親の教えですか‥
確かに私も、一度は拒絶したものの、大事にしてます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/04 22:18

お礼ありがとうございます。



>しかし、日を追うごとに、人々は哲学、信念
>というものを、捨て去っているように思えます。

確かにそうですね。
自分を変えるのは一番容易いですが
全体には、どうアクション起こして行こうかな〜って考え中です。

とっても長い時間をかけて、準備して行こうかと考えています。
やってみたい事の延長線上にあるので、長い長いプロジェクトですね。

まずは、今やる事を今やって行くだけです。
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この回答へのお礼

そうでしたか!
壮大なプロジェクト、素晴らしいです。

お礼日時:2015/07/04 15:47

目は外側を見つめるようについてて、


見えないものは意識する必要がないけれど、
どんな人でも自死を意識することがあるはずで、
それで自分の姿を見つめるように内側に向けた「心の目」で見る。
歩いてきた道、行き先、そして自分を運び続けた自分の足。
道(君)と足(僕)の区別がつかなくなれば、
それが取るに足らない普通と呼ばれることであっても
幸せの意味、形をとる必要もないほど心地いいはずだと。

そういう意味で(?)哲学は日常の繰り返しの中でも、
最も悲観される時でも
傷つく恐れが無いように整えるってことだと思います。
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この回答へのお礼

あなたのことが、よくわかった気がしました。

お礼日時:2015/07/03 21:30

>1 . この私の思考について、どのように思われますか?



「人生哲学」と言う意味では正しいのでは。
そんな学問あるのか知りませんが、検索にはいろいろでますね。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4716/tetsu …


>2. 日本の大多数の人は、どのような哲学を持っているとお考えでしょうか?

分りません。
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この回答へのお礼

「人生哲学」、いただきました。

お礼日時:2015/07/03 21:26

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