No.2ベストアンサー
- 回答日時:
もし人類が社会生命でなく、個体同士の生存競争が、主な存続
手段であるならば、「完全なる自由」が可能です。
しかし社会生命(分業化+組織化)である限り、その相互作用は
物質的なランダムなぶつかり合いではなく、調整され共通化された、
“社会的な”ものでなければなりません。
(極端な例が、「自由だから」といって各自が勝手な言語を創造
したのでは、言語の意味をなさず、社会活動は不能になります)
「共通」と「画一化」は、イコールではありません。
先の「分業化」は、多様化によって可能になるものであり、それに
よってこそ「組織化」が価値を生じるのです。
「感情教育」と一くくりにせず、その中で、社会性を育てる部分と、
個性を伸ばす部分を、別に扱うべきです(そうすれば答えは明らか)。
回答、ありがとうございました。勉強になりました。私はただの主婦なので「誰か偉い人がやってくれないかな~」と思っているのです。人間の多様さには驚くばかりで、最近は社会生活に参加できないような異常な多様性の一端を担っている人が増えているように感じます。
No.12
- 回答日時:
>自己否定しか出来ず、悩み苦しみ、もがき続けている人々の心情を思うと、たまりません。
>それから抜け出たいという本人の意思しかないのでしょうか。
私の意見としては、外見や生活は人それぞれでも
同種と交流を持ち保てれば自然で満足な暮らしが得られるものを
不幸にも自分の素養と異なる生き方を強要されたり、
教育されると葛藤が起こると考えました。
無礼者Aと分別のある人B
常識人は後者だと思いますが
どちらの人種を「善」とするなどの根拠は未だないです。
世代によって教育も常識もかなり違いますからね。
母の世代だと「抱き癖をつけると自立心の発達に悪い」などといって
哺乳類は母乳を飲んで母子共に心身を成長させるのに、
スタイルを気にしてか粉ミルクが流行。
これは母性の育みも損なう悲劇です。
私は「早期性教育」なんかより「早期育児、母性教育」を!と思います。
「ジェンダーフリー」などどレベルの低~~ぅい教育界、
メディアなどから「女」「婦」「母」という文字が失われつつある中、
母は単に「人を育む人」だけの存在に留まらず、
その存在には「想われてしまう人」という
受動的側面が大きいことを
母親自身が自覚していけることが肝心と思います。
これもまた、貴重なご意見です。確かに、母性は、本能ではなく、教育である側面が強いことは、否めないですね。参考にさせていただきます。
No.11
- 回答日時:
人類はホモサピエンス一種と断定しえないです。
(←学説も不認可)ホモサピエンスも二極化してきており(いつ頃からかは?)
一方は誰もが自分と等身大の同じ人間と認識します(A)。
もう一方は瞬時に自分より上か下かを見極める能力に特化しています(B)。
地域差でも起源でもない遺伝子構造の違い(劣勢遺伝の表層可かも?)になると思います。
この分類に知能や骨格や肌の色での分類は意味を持たず
生活環境や学習や交流関係などの影響も加勢して
脳が「善」となし起こった振る舞いが
混じりえないということのみの人種の分類なのですが。
この説を説いた一個人は(私の先生です)数年前から予見していました。
別人種間で話を進めても平行性ですから、認可されていないだけだと思います。
「哲学すること」は「根拠を膨らませて、犯人の消去法」です。
原因がわからなければ、予防することも次善策の用意も講じられませんから。
No.10
- 回答日時:
>近頃の善の欠如における悲惨な事件が多いため、
としていますね。
それが、今回の質問の発端になっているようですが、事実はどうなのでしょうか?
実際の犯罪件数は減っている。犯罪件数が多いと感じるのは、マスコミによるミスリードである。
と言う声を聞いています。
実際にネットで確認してみました。
犯罪率の推移、原因を検証しているサイトがいくつかあります。私が参考にしたサイトを載せておきます。
中高年以上の方達にお聞きしたいです。今は物騒な世の中になったといいますが
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
犯罪率の推移
http://plaza.rakuten.co.jp/shounenhanzai07/diary …
少年犯罪は急増しているか
http://kogoroy.tripod.com/hanzai.html
これらが共通に言っているのが、犯罪件数は減っているという事です。
また、(感情教育が犯罪減少に効果がないとは言えないのですが)
犯罪を減らすには「貧困」を減らす事が有効であるとデーターは裏付けているという事です。
凶悪犯罪についても、最初のサイトに、以下の記載があります。
>少年事件だけですが、戦前の異常事件が書いてあります。昔の方がよっぽど狂ってました。
>異常犯罪 http://kangaeru.s59.xrea.com/ijou.htm
ここまでくると、冒頭で書いた前提が崩れるので、感情教育を考えることの意味があるのかと言う気がしますが・・
これは、哲学サイトなので、こんな事を検証するのは、場違いと言う気がするのですが、仕方無いですね。
哲学すること(?)は、(自分にとって)結構エネルギーを消費する作業なので、体力の乏しいヘタレな自分としては、(または、哲学する前提を疑うのも、哲学の作業だと思うので)前提をちゃんと確認しないと、いけないと思っています。
偉そうですみません。哲学を、哲学しようとする作業と読み替えていただいて結構です。
とても、哲学していると言えない気もします・・・・
一度、このデーターが示す所の意味を考えてみてください。
ヘタレな自分は、一度に色々考える力はありません。
>教育される対象者の自由意志により、教育内容自体を否定されうるか?
については、別の機会に考えたいと思います。
ありがとうございます。理論と現実の間には、そこに介在する人の思考、心情が影響を及ぼすような気がします。哲学にはさまざまな人の、さまざまな理論が存在するように、人にはその人独自の世界があって、それを構築するために哲学は存在するのでしょうか?
理論と現実の間で、どうも私は迷子になっているようです。引きずり込んでごめんなさいです。でもあなたのおかげで、混沌とした脳みそが整理されかけています。ありがとう。
話は変わって、異常犯罪の件数は減少している、という説は、納得がいきます。昔と今との情報量の差による、錯覚を起こしているのだとも聞きます。心配しなくていい、ということでしょうか?そうなのかもしれませんね。
私も、考えだすと止まらず、体力をも消費するタイプです。疲れてきたら、止めてもいいですよ。ほんと、体が動かなくなりますからねえ(笑)。いつも、考えない人って、元気だなあと思います。
No.9
- 回答日時:
素敵な方とおっしゃって頂いて恐縮しております。
ありがとうございます。#7の者です。
>感情を抑制するのではなく、悪感情をむしろ感じてから、
>肯定的な思考によって感情を変化させるテクニック
SST等認知行動療法?と似通った感じが致します。
また、やはりそれも「感情を変化」と言うよりも、「表現教育」と思えてしまいます。
「感情を変化させよう」とする事、
それはすなわち「初めに沸き起こった感情」を「悪いものとして排除」する試みではないでしょうか。
初めの「自然な」感情を、否定する事、
それは自分自身の全人格の反省から訂正、果ては否定に繋がっては行きませんでしょうか。
それが心配です。
どんな感情も言葉の表現一つでまるっきり異なる伝わり方をする事が多々あります。
相手に何かして貰う事を望む時。
「○○してくれる?」
「何故○○してくれないの?」
「○○してくれないと私が困るのよ」
「わあ!○○してくれようとするなんて、なんて素敵な人!」
「昨日あなたには○○してって頼んだわよね?」
「あなたが○○してくれるととっても嬉しいのよね」
ひとつずつぜんぜん違ってきます。
相手を「殺してやりたい」と思う時だって人間はあります。
でも、その「殺してやりたい」感情を、「あくまで自分の感情だ」という事を認識するだけで行動は変わってくると思うのです。
「あのひとを殺してやりたいと思うほど、今私は苦しい」
「殺してやりたいほど理不尽なことをされた」
「殺したい自分」と「殺してやりたい相手」を、別個の人間だと強く意識する事で行動の選択が変わってくると思うのです。
「自分と他人は同じことに対して同じように感じるのではない」事を、しっかりと認識するだけで感情の、それこそ善悪さえ変わってくると私は思うのです。
殺したい程の事をされたと感じている自分は確かにいるけれど、
往々にして、そんな酷い事をした人間というのは自分の言動の重さをわかっていません。
それは認め難い程に過酷な現実ですが、それを認められるか否か?に抱いた感情の善悪がかかって来るのだと思います。
「あなたがいなくてさびしい」と言われて、
*嬉しいと感じる人、時
*面倒くさいと感じる人、時
あります。
「あなたのことが大好き」は本来とても嬉しい言葉と捉えられがちですが、
実は「嫌いな人間に言われたらうんざりする」「なんとも思っていない相手に言われたら困る」言葉でもあります。苦笑
「感情」は、周囲との摩擦によって自我を認識する為のものでもあるかと思います。
その「感情」が。まずは「他者との共有は不可能」である事を強く認識せねば、調整も変化も表現も無理があると思われます。
でも、きっと、質問者様のおっしゃること
>感情を抑制するのではなく、悪感情をむしろ感じてから、肯定的な思考によって感情を変化させる
と私の不躾な主張は同じ事のようにも思われます。
ただ、「表現」として、「働きかける対象」は感情ではなく表現、とした方が良いように思います。
その理由は冒頭に述べた事です。
「初めの感情」に手を加えることが、その人にとっては全人格的な矯正と受け止められはしないだろうか、と言う心配です。
意固地になって泣き喚く幼児も、「それはそうね、そんな事されちゃ悔しいよね」と初めに一言言ってあげるだけでその後のお説教は聞き分けてくれるし、何よりもその時の状況を自分の言葉でちゃんと説明してくれるのです。
しかも、そう言う時の子どもって、結構公正な事を言います。
だから、
「初めの感情」はそのままで良いんだよ、変わらなくって良いんだよ、
が初めに在るべきかと私は考えます。
ありがとうございます。おそらく、普通の円満な性格を形成できた人で、なおかつ自分の感情が適切に使われているであろう人に、教育はいらないと思うようになりました。私の主張は、ここであらゆる人にい意見を聞くことで、だいぶまとまってきました。
私も、結婚して普通の人たちに会って驚いてしまったのです。何不自由なく育ってきた弊害ですが。
主婦の友達ですが、怒りを調整できず、子供に蹴りを入れたり、髪の毛をつかんで引きずりまわす人が、いたりするのです。本人も悩んでいるのにとめられません。周りを見れば、共働きで子供を学童にも入れず、子供たちはふらふらとそこいらをうろついています。ネグレクトや虐待されている子がいるという話も、ちらほら耳にします。
日常生活をしている中で、自己否定の嵐を募らせ、それに気づくこともなく暮らしている人がものすごく多いのではないかと考えます。
あなたは、幸せで良かった!幸せな人を見ると、心底ほっとするのです。
No.8
- 回答日時:
善や正義や世界や愛…など
観念、概念を把握し判断する(哲学)ソフトは
誰にも生得的になく、成長に必要なものとして好奇心に吸収されていきます。
食事と同じように、かかるソフトを感化する読書や映画などは
血肉に変え、驚きとともに、失念とともに成長します。
好奇心が薄れ方向性が定まってしまった頃には、
いくらご馳走を食べても、よく租借しても
単に知識が増すばかりで
血肉ソフトまで変容させるのは
無理とはしてしまえなくても難しいことでしょう…。
それに絡めて、今の子供には物質的な問題もあります。
現代の赤ちゃんを2万年前に行かせても
別に天才ともならず、おそらく普通に育つ。
天災も人災も人類有史以前からあったことで
昔と今の違いは遺伝子の問題ではなく
人間関係なしに便利さや娯楽が簡単に享受してしまい
疑問や驚きを奪ってしまったのかも。
「肯定的な思考で感情をコントロール」は面白いですね。
思考(健康な肉)と
感情、嗜好(快楽の所有)の違いがわかる頃合も
かなり個人差があり難しそう。
ありがとうございます。人の、性格や感覚、思考の幅といったら、とらえどころのないものです。自分自身のうちにも、完全に光と闇は存在しており、それに絡んで感覚的か思考的かでも感情の捕らえかたが違う。ましてや、それを、十派一からげに教育するとは・・・とはいえ、日常生活で、自己否定しか出来ず、悩み苦しみ、もがき続けている人々の心情を思うと、たまりません。それから抜け出たいという本人の意思しかないのでしょうか。
No.7
- 回答日時:
只今めちゃくちゃな頭になっているので、勘のみで回答することをお許しください。
>感情教育はなされるべきだと思いますか?
いいえ。
「なされるべきではない」と考えます。
>それを、取り入れた場合、個人の自由と経験を奪うことになると思いますか?
はい。
ありとあらゆる感情が沸き起こる事をとどめてはならないと考えます。
ありとあらゆる感情が沸き起こる事、
それを自覚出来る事が、人間が人間らしくある為に必須な事柄であると考えるからです。
で、
>善に反する事件
等として「問題」になるのは、感情が存在するから、ではないと考えます
必要なものは「感情教育」ではなく「表現教育」だと考えます。
湧き出す泉を枯らすのではなく、泉からの水路や、溢れるままに溢れた時の自然の流れを愛でるべきかと考えます。
感情は生きようとする力の源泉とも思えます。
質問者様がコントロール出来るようになった、と実感なさっているのは「感情のコントロール」ではなく「表現のコントロール」の方だと私には思えるのですが、違うのでしょうか。。。
ありがとうございます。感情教育とは、自分や他人の感情に気づき、認識し、調整できるように訓練することです。直情型の人間は、感情と理性が結びついていないので、単なる反応として感情を爆発させてしまうのです。感情を抑制するのではなく、悪感情をむしろ感じてから、肯定的な思考によって感情を変化させるテクニックです。
あなたは素敵な方ですね。このカテゴリーに来て詩人に会ったような気がしました。
No.6
- 回答日時:
教育心理は現場中心主義の世界でしょうから、導入してみて、数値で結果を出して、修正し、何年もかけて問題の性質を分類仕分けしていくというやりかたではないでしょうか。
社会学的に未知数の要因が多く含まれてしまい、推測にはあまり意味がないんじゃないかなという気がします。
しかし、気分としては、教育テレビで何曜日かの夕方に見かける「スキル」を奪われたり貰ったりするという話を視聴するのは苦痛であり、ソーシャルスキルを高めてコミュニケーションを教えてやるしかない子供たちなのかと暗澹とした心持ちになります。
20年ほど前から散見された「ゲーム」感覚で達成感を持たせてやるという子供におもねた指導と、「損得」で感情をコントロールする子供たちが、もうすでに貧弱な感情生活の到来を告げていました。
現在、コミュニケーションの流れを阻害しない感情の自然な発露や感情移入の能力が欠落した児童の多くは、現場では病的と危惧されるレベルであろうと思います。
個人の自由と経験と言っても、集団保育と集団教育の中でおさまるものにすぎないわけですが、集団保育と集団教育を要請してきた戦後管理社会のなかで、そもそも暗黙の了解事項を1から積み上げる家庭教育と地域社会あっての個人の自律であったわけでした。ですから、社会的リテラシーとかコンセンサスを学習しながら、子供は初期の自己形成を成し遂げていました。これらは同時であるわけです。
この自己形成の過程を欠いた顕著な例は、ネグレクトを含む、被虐待児童でした。
第一に信頼を学んでおらず、第二に習慣を学んでおらず、そこに自己が形成出来ない以上は、そのうえに他者も社会も学ぶ素地がないというものでした。自由という充足感情を知らない一方で、好きにしなさいと言われればとことん不自由な恰好や振る舞いを好んでします。
それと比較しうるほど酷い状態ではないと思いますが、現在の子供たちには歪んだ形の虐待が影を落としているのではないかと思わないでもありません。バラバラの狭い単位となった、収入世帯の仮の名である家庭で、信頼であれ習慣であれ、物事はほとんどコマーシャリズム的に薄っぺらく、メッセージが明確になってしまっているのではないかと。雑味や迂回が少ないということが問題なのですが。
まあ、ご質問について考えますと、大人が急にソーシャルスキルで感情制御をはじめたら、不毛きわまりない経験という甘美な経験を失うと思いますが、
初等教育段階にある子供にとっては、教育されたアクションとエフェクトのなかで、自由を認識し経験パターンを蓄積するのだろうと思いますよ。
わたしは、中上流富裕層の家庭で占められる地域の学校でないかぎりは「集団機能的に」あまり意味がないのではないかな思います。
ご意見ありがとうございます。たしかに、中上流富裕層の子供が行く学校ではすでに検討されているところもあります。友達が小学校のスクールサポーターをやっているのですが、それはもう、かわいそうな反応しか出来ない子供が、ほとんどです。一人が、感情を損ねると、一気に普通の子にも伝染する、様なことを言っています。心が痛いです。
No.5
- 回答日時:
検証しやすくするため、質問を以下の2+α分解します。
1)感情教育はなされるべきだと思いますか?
2)それを、取り入れた場合、個人の自由と経験を奪うことになると思いますか?
α)あまりにも善に反する事件が多い昨今、考えてしまいます。
1)単純に考えると、なされるべきだという答えが自然じゃないか?
感情教育とは何か?等、突き詰めないと、本当の事は分からないと思うが・・
先の説明だと、破壊的感情を建設的感情に置き換える教育方法としている。
それなら、建設的感情の方がいいと思われるので、されるべきだと考えるのが自然だと思う。
それを、何故問うかと言う疑問が出る・・とりあえず、2)もあるので保留。
2)これは奇妙な質問だ。何を問いたいのか分からない。
全ての教育は、教育される対象者の個人の自由と経験に影響を与える。奪う側面をもつ。
だから、イエスだ。
すこし、考えればわかる。それを何故問うか?
問題の本質は、奪った代わりに何を与えるかだ。
それを、何故問わない?
α)そうなら、1)の結論より、感情教育を行うべきとの結論になるのではないか?
1)2)α)を分解して検証すると、問いの整合性が無い。
何を問いたいのか分からない。
このコメントを参照に、回答のお礼の欄で、何を問いたいのか、詰めて、分かりやすく問い直してもらえませんか。
ありがとうございます。省略しすぎました。そして私は哲学の弁証法(?というのか)さえわからないのです。ましてや、日常に使われない専門用語さえわかりません。ですから、哲学の同じような形式では答えられないのです。哲学用のすっきりとした切り口では、説明できないのです。私の脳みその中がごった煮状態ですので、ご理解いただけるかわかりませんがやってみます!すっとこどっこいですが、お付き合いください。
問題は(2)ですね。「教育される対象者の自由意志により、教育内容自体を否定されうるか?」ということです。私の問いには、たぶんに教育される側の、教育されたいのか、されたくないのか?という選択肢が入っておりまして・・・あなたなら、感情教育を施されたいですか?ということです。
問題の本質は、奪った代わりに何を与えるかだ。それを何故問わない?というご指摘ですが、「問題の本質」って、そうだったんですか?!・・・奪った代わりに与えるもの・・・自尊、高い自己評価(正当な評価のみ)、あわれみ、慈愛、寛容、真実、善、正義を見極める、愛、友情・・・なのですが、それを問いにするのですか????あほなので、さっぱりわかりません。
問いの整合性がない、というご指摘ですが、まさにそのとうりですね!おそらく私もわかってるのか、わかってないのか・・・怪しいもんです。
順序をそろえて、整理しますと、「私は、近頃の善の欠如における悲惨な事件が多いため、破壊的感情(怒り、憎しみ、恨み、悪意など)をコントロールできるようになるための教育が必要だと思いますが、あなたは、どう思われますか?また、あなたは、それをやる気がありますか?」おまけとして「いったいどうすれば、未熟な人を幸せにできるのだろう、誰も、教えても言うことを聞いてくれない。」、という苦悩が含まれております。
No.4
- 回答日時:
感情教育がなされていないから、善に反する事件が多い。
善に反する事件が多いから、感情教育がなされるべきだ。ということでしょうか。どんな時代にも象徴的事件があって問題視されてきましたが、社会現象の奥の深いところに原因がありますよね。でも、社会なんてものにその実態はなく、その個人の心の闇探しをしてもフォーカスが絞れず、思考、行動が発散するばかりで、有効な対策の成果を見る前に、いつのまにか世の中の方が早く動いているということが多かったと思います。
解決策の一つとして感情教育は効果的でしょう。やるなら早いほうがいい。
時代が変われば、善も事件も変わるのですが、それを変えるのは、私の場合は私であって、あなたの場合はあなたしかいないのです。
自分はコントロール出来るようになってちょっと退屈なあなたが感情教育を強力に推進すべきです。
ありがとうございます。やりたいけど、つてもない、金もない、子供はいる、両親もボケが・・・ついでに英語もさっぱり忘れました・・・。通信教育でカウンセラーの資格もとろうとしてますが、安ーいやつで・・・と、言うわけで、こんな小童より、地位と金と、権力と知識を持っている人がやってくれたほうがいいのではないかと。
善に反する事件の異様さが、人間であるレベルを下回っちゃってるというか・・・原因を考えると家庭が孤立することによって、その家庭の持つ心理的な傾向が世代を得るごとに濃度が濃くなっていってるのじゃないかと。虐待の連鎖ではなく、病理の連鎖、それも本人さえ気づいていない・・・ホラーですよ。私が見たところ、普通の家庭で、子供引きずり回して殴る、ということが当たり前のように行われるのみならず、それを公然と口に出して憚らないとか、PTAでいきなり心理的に脅して効かないとなると、手のひらを返したように持ち上げてくるとか・・・それが家庭で日常で行われている。子供としてはそういう対応を無意識に学び、学校で繰り返す。かわいそうです。
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