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無という状態は存在しますか?
そもそも有という状態の否定が無だから、そこには素粒子も空間も時間も論理もなにもかもないということになりますが、そんなことあり得るのですか?
宇宙が膨張しているのも、無という状態があり得ないからそこに有が突進していって極限まで広がるからなのでは?
ビッグバン以前の無の状態があり得ないからそれを遠くに引き延ばしてその反作用で時間が生まれたのでは?

A 回答 (14件中1~10件)

湯川、坂田、朝永諸先生は物理学の標準理論とヘーゲル小論理学、自然弁証法エンゲルス、


レーニン哲学ノート必読。ボルツマンの克服。
益川先生らはそのお弟子さんですhttp://takamuratetugaku.org/list.html

願いごとの持ち腐れakb
翼はいらない円環らせん認識
http://takamuratetugaku.org/014/014-4_text.html
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根源と認識論と方法論の内容が下記にあります。


哲学史唯物論と観念論の件がある。
http://y-ok.com/philosophy/
http://takamuratetugaku.org/012/012_text.html
社会保障と財政再建の件は最終的には真の意味の公共である下記の内容を実践、実現されていく過程で解決されていく。

薩摩藩ずしよ広郷の話をするだけ。くだらん内容の番組の話をしている。核の話も同じ。原発のごみも同じ。
物自体の件と不可知論の件もデイドロが人間の意識が物質からどう発生するのか議論しておりあらゆる物質には感性があり、生物すなわち人には生きた感性と無生物の石ころには死んだ感性があり、ある性質が特有の形態をとって現れたと言いたかった、すなわち反映する性質の件を説明し論理のているのを見ると貧弱に見える。宇宙の始まりの件だが、物質の性質の中に宇宙、ビツグバン初期条件も含めてそういう性質が内在していると把握すればいいよいこと。発展の見地、弁証法
論理学は無限なる体系としてくみつくすことのない、自然の対称性、階層構造などを過程として発展、変化、運動するものとして認識する。カント以前の形而上学、形式論理学は一定の範囲でしか通用しない、その範囲ではただしい。範囲をこえると弁証法論理学でないと対応できなくなる、マツハとボルツマンの件はレーニンが物質の定義を

人間の意識の外に存在する、人間の感覚によって、模写され、反映されるという規定で客観的実在の件で解決されている。


なお、
カントの実践哲学は形式的で意志の決定、動機のだけ、行為の内容、結果を課題重視にしていない。定言命令、法、道徳律は役に立たない。奴隷制の時代は奴隷主は奴隷を殺しても犯罪とされなかった。なぜなら、奴隷は物扱い人ではなかつたから。あらゆる時代に当てはまる普遍道徳、倫理はない。カントの二重性は罪です。反動的役割を果たしている。実存主義などと同じことです。知恵とか物自体不可知論と実践哲学道徳論が戦前と戦後において
◯◯制の下での限られた自由と平等と言うにほんの大ブルジョワに都合がよく、カントが

最大の哲学者ともてはやされている。信仰に道を開くものだから。二元論は。ただし、デカルトとは違います。


だから、被支配階級は革命を善と考えるが支配階級は悪と考える。カントには思いもおよばぬことでした。アンチノミー論と反弁証法的思考の限界。この場合悪が歴史を推進する。天動説と地動説。常識とはその時代の諸偏見。革命哲学は常識ではない。偏見ではない。その限界を克服したのがヘーゲル弁証法論理学なのです。この論理学本体を克服した者は未だいません。おそらくでてこないでしょう。http://takamuratetugaku.org/012/012_15_text.html
なぜかといえば中身は絶対精神なんてあるはずないので弁証法的唯物論なのです。科学と哲学の思考の歴史をへーゲルは過程として把握して総括していること。論理学の意義は
ここにある。

歴史の分野には意図的逆立ちしてますが。
ついでに体系に補足したもの資本論は。

資本論は資本の論理学したがって弁証法論理学の特殊な場合をさししめしたもの。
http://takamuratetugaku.org/005/005_text.html
http://takamuratetugaku.org/006/006_text.html
http://takamuratetugaku.org/list.html
http://takamuratetugaku.org/009/009_text.html


ヘーゲルが使用した意味で説明します。形而上学とは形式論理学帰納法、演繹三段論法を採用する考え方。AはAである。同一律。物事を孤立と静止してとらえる考え方です。これに対して、弁証法論理学は、AはAであって同時にAでないという対立物の統一で運動しているとして把握する考え方です。一時的な静止を否定はしませんが絶対的な静止はない。
補足しますがアリストテレスが形式論理学の完成者なので下記を参照してください。
http://takamuratetugaku.org/012/012_04_text.html

ソ連や東欧の件は、下記を参照してください。
http://takamuratetugaku.org/list.html
弁証法論理学の解説がある。
全能なので正しいと把握すること。
社会すなわち世界の問題としては、
機会の平等は相続税や法人格の濫用防止すなわち企業団体政治献金の抑制禁止、高等
教育の無償化などの政策を実現してしていく過程が必要。
自由と平等はセットになっている。
ロックとルソーの社会契約には根本的なちがいすなわちhttp://takamuratetugaku.org/003/003_4_text.html

あり、ルソーは一定の範囲すなわち人間生活に必要となされる程度を基準として私有を認めて後は平等に分配か公有にして格差を是正する。平等でないと自由は実現しない。人民主権と普通選挙とリコール制度により治者と被治者の同一性確保。あるべき理想の形態つまり
ルソーとヘーゲルの一般意志

すなわち普遍的意志の実現をめざしている。ヘーゲルの歴史哲学講義の謎がわかる、フランス革命の所論、人権思想や正義の概念が一挙にわきおこり、旧来の不正義の足場はくずれさつた。こうして正義の思想の上に憲法が打ち立てられた。今後は全ての基礎に基づくことになる。太陽が天空にあり惑星がそのまわりをまわるようになってから、人間が頭でつまり思想でたち、それにしたがつて現実をつくるということはなかつた。アナクサゴラスが知性つまり理性が世界を支配すると最初に言ったが思想が精神的現実を支配すべきと認識したのはこのごろである。ここにかがやかしい日の出がある。思考する人びと、がみんな祝った。崇高な感激が一世を風靡し、精神の熱情が
世界にみなぎった。神と世界の和解が成し遂げられたように見える。
このようにフランス革命を肯定的にとらえて変革を肯定している。現実的なものは合理的なものでり、合理的なものは、現実的なものである。という命題の意味はここにある。
つまり、革命の哲学であって本質的に保守の哲学ではない。ヘーゲルとルソーはセットすなわち組み合わせてとらえておく。ただし、直線的ではなく円環円周らせんのように無限の階層構造でくみつくすということない人類の認識過程とらえておく。でも、絶対的真理と相対的真理は過程のちがいで壁すなわち歴史的制約がある。しかし、さらに壁を乗り越えて前進して行く。


各人がその身体と財産を共同の力で全力で守り保護する結合している形態たる単一の国家意思をさし格差の是正されている形態

後、書籍で宇宙の統一理論を求めて岩波現代文庫が哲学と科学の関係性がわかりやすい。
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物質の因果関係のみでは、宇宙の始まりを説明することは出来ません。

物質の因果関係は、原因→結果=原因→結果=原因→結果・・・と続きます。原因があり、その為に結果が生じ、 その結果が原因となり次の結果が生じると言う順番となります。

しかし、宇宙の始まりは原因なくして結果が生じなければなりません。既に原因があれば、まだ始まりではないからです。

つまり、宇宙の始まりにおいて、無から有が生じなければなりません。しかし、人間には無から有を発生させる仕組みを考えることが出来ません。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/syuukyouhahikagakut …
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「無という状態は存在しますか?」


⇒無という状態は、何も存在していないという意味です。
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優の欠如は可能です。

したがって無も可能と考えなければなりません。
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現実と理論は違うんですね


物理では 時間を逆に戻せる
しかし 現実は 割れたグラスは元に戻らない

観測するまでは 無い
観測し認識すれば 有る 等の量子論等も
実験でわかっても 何故は分からない
人間の知恵がいかに浅いか 知るべきだと思います 

貴方のご質問に 正しく答えられる人がいれば
詐欺師です

最新の科学 哲学と交差してます
それどころか 仏教と似ている
有名なカク教授なんかは 神を想定してる


諸行無常 実に科学の最先端の論理です
因果応報も 自業自得も 縁により結果が変わる
とか仏教だけど科学です

その答えは 科学 物理 天文を学ぶより
仏教を学ぶほうが早いのではないでしょうか

科学の究極の目的・・・空間を知る
仏教の究極の悟り・・・空を知る
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哲学と言うよりも物理学では?



例えば宇宙の端の1cm先は無な気がします。

また、0という数学的な概念は無の存在を示唆しているかもしれません。
というのも、この世の中の全ては数式で表されるという考え方もあります。
現状存在する物の殆どは近似値であればかなり正確に数式で表せます。
日常生活レベルの話なら誤差なしで可能です。
数学で全て表されるなら、無という状態も存在していると考える方が自然かもしれません。
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何でそんな難しく考えるんでしょう。



「無」と「有」は、一対の概念でしょう?
「光」と「闇」と同じで、光が無ければ、闇も存在できない。

「無」は「有」の否定ではなくて、「有」を認識した途端、「無」が発生する。

「素粒子も空間も時間も論理も」も、「有」と「無」の相関とは無関係でしょう?

何か、難しく考えれば、哲学です、みたいな若さ(未熟さ)を感じますが。

後半は、支離滅裂で、関連性がどこにあるのかさへ、解らない。

言葉遊びが、哲学には、多すぎる。
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