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私がいて不快になる人がいる

私がいなくても不快になる人がいない

私は自分だけ行かなかったとしても不快にならない

なら私が行かないって言うのが誰も不快にならない最善の選択だよね?

A 回答 (5件)

全部、お前1人の思い込み、決めつけだよ。

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最善と言うより次善の策としましょう。



以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

私は年配の方だと思いますが、同じような悩みを持っていた時、年上の人がそっと教えてくれたことがあります。

「今の自分の選択を肯定する時は、
 『本当はこうあるのが最善だけど、自分の状況からし
  て今回は仕方ない』の様に一回は心の中で言い訳を
 するといいよ」

やってみると意外とスッキリします。

なので自分の行動についてモヤモヤする時は、一度は(出来るかできないかは別として)理想を定義するのがいいみたいです。しかし、この理想と言うのは漫画やアニメで何となく感じた「マンガ道徳お化け」のイメージしかないものです。なので本当はどうするべきなのかが正しく分かる方が難しいんですよね。

ですので、

「もっと良い方法があるとは思うんだけど、今回は仕方ない
 としよう。その代わり本当はどうすれば良かったのかは、
 ずっと考え続ける事にします」

と言って自分を肯定する事が良いと思います。

逆に、

「これが最善だよね」

と聞いたうえで「その通り」と言う回答を貰うのは不味いと言われています。一時は安心するかもしれませんが、段々と効力が無くなって来るからです。年を取って負債が大きく成り、心が破綻してしまいます。

何故かというと「そうしないでいる人が幸せそうに見える」という事実を無視できないからです。自分に嘘をつき続けているように感じてしまい、なにか自分に辛い事があったとき、

「自分には無理だ。自分には資格がない。
 他の人は綺麗な世界に住んでいるから私の状況なんてきっと想
 像もつかないだろう。
 その人たちの言う助言は私には効かない。
 私の状態が助言をくれる人の想像を超えて良くないからだ。
 私が普通の人より可成りダメだという事をこの人達は知らない。
 だから普通の人に効果がある助言であっても私には効かない。
 そのあたりをこの人達は知らない。もっと別の人の話を聞かな
 いとだめだ。ダメな私を良く理解できる人の話だ」

と言う思い込みをするようになり、最後は自分を追い詰めてしまうんです。

これは私も若い時に苦しんだ(そういう錯覚に苦しめられた)ので誰もが騙される病気の一つだと思っています。しかし当然ながら「僕もそうなったよ」と年上の人に言ってもらえないと本人は怖いでしょうし、逃れられるものじゃありませんよ。

ですので(年上の人でこの課題をクリアしてそうな人を予め見つけて置いて)聞く事です。

「結局は最善は何なんでしょう?
 勿論、今の自分にはそんな余裕が無いのでその通りにする
 つもりは無いですが、答えくらいは知っておかないといけ
 無いと思うので」

こういう姿勢でいるのが良いと思います。

では、どうすれば良いのかと言う理想を語ります。

法やルールで縛られない個人の自由の中であっても、心に負担が掛かったり、将来に影響しそうだと思えて不安に成ることがあります。こういう内容の殆どは道徳というジャンルに抵触しています。これは無視できません。そこで一度は道徳に照らして自分が遭遇しているシーンでのベスト解を出しておく必要があります。その上で「そこまでは遣りたくないので今は仕方ない」とすることが大事です。

体調の不良など理由を述べてお断りしましょう。

道徳では五常を用いましょう。徳というのは何種類もあって中々運用が難しいです。現代社会では5つの要素でチェックすれば大筋問題ないと思います。

五常は仁義礼智信の5カテゴリあります。

遊びやお付き合いの場合は「信」という部分でチェックすると良いです。

「信」の理想は「最後の一人になっても僕が一緒に居るからね」と言う気持ちの現われであり、その実践に成ります。

最善は未来へ及んで継続し続ける事でしょう。

「相手は私がいて不快だと思うかもしれない。
 だけどいずれは皆が面倒がって離れていくだろう。
 そうなるかもしれない。
 しかし私は、その最終回まで一緒に居たいと思う。
 その時は人数が少なくなって寂しい会になるだろう。
 だけど私はその最後の晩餐の一人でありたい」

これが最善です。

勿論、そうは出来ないと自分を許した後で理想としておくわけです。最善と言うのは何なのか紐解いていくと、それを成し遂げた時、自分に感動し自分を好きになれる行動の事です。

何でも出来るスキルを身に着けたとしても「何をすると自分は自分に感動できるのか分からない」人は自分を好きに成れないんですよ。

「そんな都合の良いスキルは持ってないけど。
 そういうスキルを神様がくれるかもしれない。
 だから自分が自分に感動できる理想的な行動くらいは、
 イメージできるようにして置きたい」

では「信」について同じように他の状況でも想像してみましょう。

「どうせコイツの言う事は後で大変な事になるんだろう。
 でも何でか俺はコイツに付き合うと決めている。
 何だか悔しいなあ。でもまあ一緒に居られる。
 これはこれでいいもんだな」

こんな感じに成るでしょう。「信」という徳は侮れませんよね。こんな風に仁義礼智信の一つ一つは自らを(好きに成れる)暖かい気持ちにしてくれる力があります。それぞれ味わいが違うのでこの5種類の味を楽しみませんと勿体ないです。

理想が分かったとき実際にその通りにするかは体力や気力の問題です。「誰かに許してもらう」と言う方法で切り抜けるのではなく「本来はこうできていたら良いんだけどね?」と考えて理想の自分に感動しておくほうが脳には良いという事です。

「ダメな自分でも道徳に沿った理想形を確認することは出来る」

こう考えて習慣にする事で運命は良くなるでしょう。

何も良いところが無いと悩む人は、特技を得たりチャンスを得たりした時、自分が何を望むべきか考えていない場合が多いです。チャンスが来ても頭が真っ白になってしまいパスしてしまうでしょう。

道徳と言うのはそういう機会損失を防ぐために、

「こういう点で人は人に感動します。
 自分が物語の主人公になったのに、自分を嫌いに成ったり、
 他人に嫌われるような行動しか思いつかない状態では、ど
 んな幸運も意味が無いですよ。
 不幸なうちにそのあたりは予習して置きませんか?」

と言う話でもあります。

暇ならば取り組んでおきましょう。

「復讐は思いつくんだけどその後については頭が真っ白になっている」という可哀そうなライトノヴェル作家がいます。自分もそうなっているかもしれないので「自分に自分が感動する要素」くらいは学んでおきましょう。これらは既出なんですから。

以上、ご参考になれば。
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そうですね

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はい

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そうです。

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