人生最悪の忘れ物

死因となる肉体的な不快があり、死ぬ瞬間にそれから離れる分同じ量の快を得ることになる。

誰からも愛されず醜いものを感じ続けて不健康で不快を長い間感じていた人は死ぬまでにそれから離れる分同じ量の大きな快を短い間に得ることになり、
誰からも愛されて美しいものを感じ続けて健康で快を長い間感じていた人は死ぬまでにそれから離れる分同じ量の大きな不快を短い間に得ることになる。

死ぬまでにどんな快や不快が訪れるのかが分からないから今現在の快をできるだけ大きくするように生物は生きている。


そんな感じの考えをなんとなく持ってます。否定できますか?

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    知らないっす
    錯覚みたいなもんで意味の無いもののような気がします
    リストカットをしても痛みや精神的な痛みと同じだけの快楽が帰ってくるような気がします

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/05/31 13:39

A 回答 (9件)

否定できませんが逆に証明も難しいと思います。

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その屁理屈が成り立つなら、そもそも人間の快や不快に意味が成り立つのかい?

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じゃあ、その理屈から言うと、ウクライナで家や手足を失い家族を失い飢えて最後には死んでしまう子どもたちの快はどこに行ったの?

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この回答へのお礼

多分死ぬときにくる
記憶された不快は意味がなくなるときに快になるんじゃないかって

お礼日時:2022/05/31 19:23

そもそも他人の生死観を否定する気はないですが、まず「死ぬ瞬間」って、察知は非常に難しいと思います。



ほとんどの死の手前には、意識の喪失,混濁,低下などを引き起こすので、臨死状態の人が、覚醒状態で死の瞬間を自覚することは、ほぼ不可能と思います。

私自身、交通事故で臨死体験に近い経験がありますが、痛みや恐怖を感じたのは意識回復してからであり、事故の瞬間には意識を失っているので、痛みや苦しみとか、死の恐怖なども、全く感じていません。
すなわち、もしそのまま死んでたら、快も不快も無かったでしょう。
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>リストカットをしても痛みや精神的な痛みと同じだけの快楽が帰ってくるような気がします



これはないね。

自分で種をまいたものは関係ないと思うよ。
時間をおいてあとから快感を得るなんてシステムは
生物にはない。
腕がブチ切れたとか、足が吹っ飛んだとかいうなら
脳内から快感物質が出るみたいだけど。
生物は生きぬくためにいろんなシステムを持っていますが
死ぬためのものは何ひとつありません。
しいていうなら子のために
自分をエサにする昆虫くらいでは。
それも次代のための犠牲として。

>死ぬまでにどんな快や不快が訪れるのかが分からないから今現在の快をできるだけ大きくするように生物は生きている。

これもない。
あるならば年間3万人も自殺なんてしない。

でもそういう私も
「人生は終わってみたら±0」と思ってます。
快楽がということではないですよ。
しいて言うなら幸せ度かな。(ランキングの幸福度とは違います)
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快や不快は、外からやってくるんじゃなく


自分が作ったイメージです。ですから、どうにでもできます。
恵まれてるのに、不平ばっかり言う人もいます。
貧しくても感謝のうちに暮らしている人もいます

快と不快が同じ量なら、快を大きくすれば不快も
大きくなるので、人は快を大きくしようとするというのを理解できません
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> 錯覚みたいなもんで意味の無いもののような気がします



まぁ個人それぞれの感覚によるという事ですね。


> リストカットをしても痛みや精神的な痛みと同じだけの快楽が帰ってくるような気がします

貴方個人は、そう感じるという事ですね。それが全員に当てはまるかどうかは別問題ですね。
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そもそも快や不快をどうやって計測するのですか?

この回答への補足あり
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否定しません。

おもしろいです。
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