性格悪い人が優勝

京都アニメーションというアニメ制作会社が、放火され大勢の死者が出ました。
犯人は逮捕されましたがその主張は
「自分が作った作品が京都アニメーションによって盗作されたから」
というものでした。
しかし盗作の事実はないようです。

裁判が始まり、被告は争う構えの様ですが弁護側は
「被告人に責任能力はない、あったとしても限定的」
というものだそうです。
(詳しくは文末のリンクなどを参照してください。)

この手の事件をみていつも思うのですが、なぜこんなにも凶悪な事件を起こしていながら
刑事告訴されたとたんに
「事件当時は心神耗弱状態にして責任能力無し」
を主張するのでしょうか?
そんなに命が惜しいのでしょうか?

昔、江戸城末の廊下で刃傷事件を起こした播州浅野内匠頭は、取り調べ官から
「乱心であろう? 乱心ならば無罪だ、乱心であろう?」
と、乱心(心神耗弱状態)を口実に罪を免れるように示唆されますが、浅野は一貫して
「乱心ではござりません。遺恨をもって刃傷に及びました」
と言っています。

現代の犯罪者もこうありたいものです。
しかし、多くの凶悪犯罪者は告訴されると急に
「心神耗弱にして責任能力無し」
と主張します。

なぜでしょうか?
もしかしたら被告人に
「私は覚悟を持って犯行に及んだ。心神耗弱を主張して逃げるつもりはない。
 死刑にするなら死刑にしろ」
と罪を認めてしまうと裁判で勝てず、自分の成績が上がらないので被告人を説き伏せてでも
「心神耗弱にして責任能力無し」
と主張するのでしょうか?

一度でもいいから
「被告人は自分の罪を認め、死刑になることを願っています。
 代理人弁護士としても被告人の願望が叶うような判決を願います」
という弁護士にお目にかかりたいのですが・・・

改めて問います。
なぜ凶悪事件において弁護側は「責任能力無し」を主張するのでしょうか?
責任能力があったら弁護士は困るのでしょうか?

参考記事 やふーにゅ0住寄り
https://news.yahoo.co.jp/articles/fbd22e7de72be6 …
京アニ事件、弁護側が被告の責任能力争う見通し 公判で最大の争点に
36人が犠牲になった2019年の京都アニメーション放火殺人事件で、殺人などの罪で起訴された青葉真司被告(45)の弁護側が、被告は事件当時、心神喪失か心神耗弱の状態だったとして、刑事責任能力を争う見通しであることが、関係者への取材で判明した。被告は過去に精神疾患で通院歴があり、公判では責任能力の有無や程度が最大の争点になるとみられる。

A 回答 (25件中11~20件)

なぜ凶悪事件において弁護側は「責任能力無し」


を主張するのでしょうか?
  ↑
1,心神耗弱なら責任能力はあります。
 責任能力が無いのは、心神喪失です。

2,他に、被告人を助ける手段が
 無いからです。
 無いから、最後の手段として、心神喪失で無罪か
 心神耗弱で減刑を狙うのです。



責任能力があったら弁護士は困るのでしょうか?
  ↑
自分が刑責を負うわけではありませんので
困りません。
弁護士の常套手段です。
ダメ元で主張しているだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>弁護士の常套手段です。
ダメ元で主張しているだけです。

ダメ元なんですね。
そんなことで一分一秒でも裁判を長引かせるのは国民にとって損失かもしれません。

お礼日時:2023/06/11 20:09

傍聴席から飛び出していって裁判所(裁判官)に抗議…取り押さえられて…心神耗弱でした…と言うことはありえます。

それもあなたの権利です。
私はごくふつうに受け止めますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>私はごくふつうに受け止めますよ。

素晴らしい!
貴方は人格者ですね。

お礼日時:2023/06/11 13:48

>なんだか訳が分からなくなってきましたな。


これでは罪に問える人がだれもいなくなってしまうではありませんか。

そんなことないでしょ。宅間守も処刑されたし、加藤 智大も処刑されたし、その他死刑判決を受けた事件はたくさんあります。

というより「責任能力なし」で無罪になった裁判の方が少ないです。

だから問題は「彼らは責任能力がある、普通の人であった」ということで、彼らを「異常者」として《自分達とは違うから安心》ということはできない、ということです。

この部分が、弁護士が被告を「一人の人間」として扱い弁護する理由です。

質問の主旨でいえば「普通の人間ならば行わないようなはずの犯罪を犯すなら、精神的な異常を行うかもしれないから弁護士は精神鑑定を求める」というのが結論です。

で、結果として「責任能力がある=普通の人間である」ということになるわけです。彼らは異常者ではありませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

もうなにがなんだか分からなくなってきました。
むかし、「正直村と嘘つき村」というクイズがありましたが、その問題を解いているみたいですね。

お礼日時:2023/06/11 13:50

被告人が「犯行当時は心神耗弱…無罪」と主張するのは本人の自由意志と権利によるものですから、それはそれでいいんです。



「回答者様は自分の親族がこのような凶悪事件で殺されても 被告人は自分の有利なことを主張する権利がある。心神耗弱という主張も認めよう」は仕方がないことと思います。
もしそれがホントに事実であったら、どうしますかね。

心神耗弱が事実なら、当事者になっていてもショーガナイと思います(残念ではありますが)。そういう人を野に放っている仕組みがおかしいんです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「回答者様は自分の親族がこのような凶悪事件で殺されても 被告人は自分の有利なことを主張する権利がある。心神耗弱という主張も認めよう」は仕方がないことと思います。
もしそれがホントに事実であったら、どうしますかね。

心神耗弱が事実なら、当事者になっていてもショーガナイと思います(残念ではありますが)。そういう人を野に放っている仕組みがおかしいんです。

普通の人が凶悪事件の被害者、犠牲者になり、その裁判を傍聴していて被告人がこんなことを法廷でぬけぬけと言い放ち、それを弁護人が弁護し、裁判所が「それも被告人の権利の内」とみとめるなら傍聴席から飛び出していって裁判所(裁判官)に抗議すると思います。

で、取り押さえられて退廷を命じられて、裁判所(裁判官)に一言、
「すいません、心神耗弱でした これで私も無罪ですよね、テヘペロ!!」
と言い捨てるでしょうね。

お礼日時:2023/06/11 12:01

#7です。

お礼ありがとうございます。

>>で、これを見て質問者様はどう思うでしょうか?
池田小学校の犯人ですか・・・コイツは異常者なので死刑にして良いです。

法律では逆です。もし異常者で「正常な判断=普通の人間としてのまともな判断」ができないなら、その人物は責任能力がないので死刑にできません。

死刑にならない場合、本人にとっていいか悪いかは別として、普通は「命が助り、拘束もされていないので本人に利益がある」と解釈されます。これはパターナリズムと言って、たとえばシートベルトを法律で強制されていることとか、自殺しようとしている人をなんとしても救助しようとする警察や消防などの行動も同じです。

本人が「死を望む」状態でも助けることが「本人の利益」であるというのが社会の価値感なのです。

だから弁護士は異常な犯行であればあるほど「責任能力が疑わしい」という弁護方針をとるわけです。

>世の中に不満を持っていたとしても弱者を襲うのはまともな犯人じゃないですね、擁護するかけらもありません。

それは社会的な認識としてはその通りだと思いますが、法律の適用は「その行為を行う判断が正常にできるかどうか」を重視していますので、質問者様の認識とは異なるといえます。

ちょっと例を出しておきます。たとえば「不法侵入」という法律違反がどこで起きるか?です。

一般的には他人の敷地に入った時点で「不法侵入」だと言われますが、法律では違います。
 たとえば敷地の中の玄関の横にインターホンや郵便受けがあるなら、郵便配達や回覧板や飛び込み営業などは敷地に入ってきます。もちろん無断ですが、それは不法侵入にはなりません。
 しかし、空き巣に入ろうとする者が「あの家を狙おう」と敷地に入ればその時点で不法侵入が成立します。

つまり法律は「行為そのもの」よりも「その行為を行うときの人間の意思・判断」で罰するかどうかを決めるわけです。
 だから「行為としては犯罪を犯したが、犯す意図は無かった」という場合、無罪になることも多々あります。それを判断するのが裁判官です。

「異常者」である、ということは損判断能力に問題がある、ということです。ならば「犯罪を犯す意図」をもっていたと特定するのは非常に難しいことになります。

逆を言えば「異常者なのに、正常な判断能力を持っている人間は存在するのか?」ということになるわけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なんだか訳が分からなくなってきましたな。
これでは罪に問える人がだれもいなくなってしまうではありませんか。
誰が何をしようと
「心神耗弱でした」
「罪を犯すつもりはありませんでした」
となり、どんな凶悪事件を起こしても
「こんな大罪をまともな人間が行えるはずはない。
 犯行当時、被告人は心神耗弱だった
 だから無罪だ」
という主張がまかり通り、ごくまれに被告人が
「私は覚悟を持って犯行に及んだ」
と主張しても弁護人が
「ほら、この人、こんなバカなこと言って頭おかしいでしょ?
 頭がおかしい人は罪に問えませんよね?
 はい、無罪」
と言えば無罪になっちゃう。

これじゃ誰も罪に問えません。
1億円盗んでも、駄菓子屋で飴玉一個盗んでも
「まともな人間はそんなことしない」
で済んじゃうんだから。


「御免で済めば警察要らない」
という言葉がありますが、これでは
「心神耗弱で済めば裁判所要らない」
ですね。

明日から全国の裁判所は倒産ですね。

お礼日時:2023/06/11 11:57

刑事事件においては、弁護士は被疑者や被告人の弁護活動をするのが使命ですから、被疑者や被告人の弁護をしないといけません。


そういう人(弁護士)がいないと、被疑者や被告人を救える人はいなくなることもあり、被疑者や被告人が極めて不利な立場になります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>刑事事件においては、弁護士は被疑者や被告人の弁護活動をするのが使命ですから、被疑者や被告人の弁護をしないといけません。
そういう人(弁護士)がいないと、被疑者や被告人を救える人はいなくなることもあり、被疑者や被告人が極めて不利な立場になります。

いえ、弁護士が付いてもいいんですねどね、法律で認められてるし。
ついてもいいんですが、このような凶悪事件を自ら実行しておきながら
「犯行当時は心神耗弱でしたー てへ!!
 だから罪はありませーん、 てへ!!
 ぼくちゃん、無罪だもんねー てへ!!」
と主張するのは許せない、ということですよ。

被告人「私は覚悟を持って犯行に及びました。
 その結果、どのような罰を受けても構いません。
 心神耗弱を理由に減刑を望む気持ちはひとかけらもありません」
と言ってくれた方が良いです。

回答者様は自分の親族がこのような凶悪事件で殺されても
「被告人は自分の有利なことを主張する権利がある。
 心神耗弱という主張も認めよう、認めるべきだ!」
って思いますか?

またあなたが被告人の親族だとして
「被告人にも人権もあれば主張もある
 どうどうと心神耗弱を主張して無罪になってほしい」
って思いますか?

ま、思うならいいです。

お礼日時:2023/06/11 11:38

No.4です。



> そう考えると弁護士というのは親よりも被告人思いというか、
> 盲目的に被告人の味方をする、

そういう感情的なものではないでしょう。逆に自身は感情で動いてはいけない仕事と思います。
単に被告人の人権と厚生の機会が正当に得られるよう図りつつかつ、被告人の希望(や感情)にそった結果、それを踏まえた結果が得られるよう弁護する仕事と理解します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

民事と刑事とでは違うでしょうが、とある女性弁護士が
「私は男性から離婚訴訟の弁護を依頼されても絶対に引き受けません」
と言っていたのを見たことがあります。

私はそれを見て
「ああ、この女性弁護士は正直な人だな」
と思いました。
弁護士的にはアウトなのかもしれませんが・・・。

お礼日時:2023/06/11 11:29

>「死刑になりたいから無差別殺人をした」


>という犯人は誰一人、死刑にできませんな。

判決として死刑判決は出ますが、死刑執行しません。
死刑囚は生きてる限り未決囚で、刑務所内で教育(?)が行われます。
本当に罪を悔い、反省し、死刑に納得したかどうかを見極めて執行します。
本人の納得ナシに執行することを避けるわけです。
だから日本では判決即執行がありません。

死刑判決受けて、本人が死にたいからと反省したフリをすれば死刑にできます。
死刑囚にカウンセラーとか精神科医をつけるのは反省がウソかホントかを見極めるためでもあるのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど。教育が必要なんですね。

お礼日時:2023/06/11 11:26

> 「自分は死刑になりたい」


 との願望ですので一刻も早く被告人を死刑にして下さい。”
 と言ってください」
というような被告人はいないのでしょうか?

いましたよ。大阪池田小事件の犯人である宅間守は当初は弁護士の弁護方針に従って、精神障害による責任能力を主張していましたが、結局一審の死刑判決の後控訴せず、その後最新願いなども出さずに、異例なほどすぐに処刑されています。

で、これを見て質問者様はどう思うでしょうか?
結局、宅間守は「死刑になりたいから凶行に及んだ」と反省も謝罪もせずに処刑されたわけで、ある意味これは「他者の手を借りた自殺」でもあるわけです。

こういう人間を「精神的に普通の人」だと判断しますか?
私は、情状酌量や犯行時の責任能力という問題とは別に「普通の精神状態の人ではない」と考えます。

たとえば質問者様は「私だったら京アニや池田小のような事件は起こさない」と思っているでしょう。

 だからこそ、質問者様は犯罪者の精神鑑定などに疑問を持つわけですが、それは逆をいえば「普通の意識で普通の責任能力のある人物が、凶行を行うと決心して犯行を行ったのだから、有罪を認めよ」という認識であることを意味します。

これって「質問者様でも私でも、普通の意識で普通の社会能力がある人間が普通の精神状態で凶行に及ぶ可能性がある」っていうことになるわけですが、その点はご理解されているでしょうか?

もし、この部分に質問者様が「いや、違う、俺はそんなこと絶対にしない。まともな人物だ」というなら、これも逆説的に「犯人はまともな人物ではない」ということになるわけで、ならば精神鑑定をする余地も責任能力を検討する余地も十分に存在する、ということになります。

「まともな人物はこういうバカなことをしない」ということと「責任能力を疑う必要はない、なぜなら彼はまともだったから」というのは並び立たないのです。

ここが弁護士が凶悪事件で精神鑑定や責任能力を必ず希望する理由です。

同じ凶悪犯罪でも金に目がくらんだ犯行は「まともな精神状態で犯行を行おうと決意した」と理解できますが、京アニ事件のようなタイプのものは、犯行者に一切メリットがないわけで「普通のまともな人なら、そんなことしない」わけです。

だから、弁護士は被告の利益のために責任能力鑑定を行うわけです。

逆に宅間守のように「俺は普通にまともに責任能力があるが、だからこそ小さい子供を狙って殺してやったんだ。だって殺しやすいだろ」という人を「まともな責任能力がある人間」と考える方が私は普通ではない、と思います。

そこに何らかの要素、毒親だったり、いじめられていたりなどの社会的・外部的な要素があるなら「責任能力はあるが、そのように考えるようになった部分には社会に責任があり情状余地はある」ということになるわけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>いましたよ。大阪池田小事件の犯人である宅間守は当初は弁護士の弁護方針に従って、精神障害による責任能力を主張していましたが、結局一審の死刑判決の後控訴せず、その後最新願いなども出さずに、異例なほどすぐに処刑されています。

>で、これを見て質問者様はどう思うでしょうか?

池田小学校の犯人ですか・・・コイツは異常者なので死刑にして良いです。

>こういう人間を「精神的に普通の人」だと判断しますか?
私は、情状酌量や犯行時の責任能力という問題とは別に「普通の精神状態の人ではない」と考えます。

普通じゃないですね、異常者ですね。

>逆に宅間守のように「俺は普通にまともに責任能力があるが、だからこそ小さい子供を狙って殺してやったんだ。だって殺しやすいだろ」という人を「まともな責任能力がある人間」と考える方が私は普通ではない、と思います。

世の中に不満を持っていたとしても弱者を襲うのはまともな犯人じゃないですね、擁護するかけらもありません。
だからといって強者に対して実力行使するのも許してはいけませんが。

>そこに何らかの要素、毒親だったり、いじめられていたりなどの社会的・外部的な要素があるなら「責任能力はあるが、そのように考えるようになった部分には社会に責任があり情状余地はある」ということになるわけです。

漫画ドラえもんの主人公のび太君がいじめっ子のジャイアンに仕返しするなら弁護する余地はあると思います。ただしのび太君が心神耗弱を理由に無罪を主張するなら擁護はしませんが。

お礼日時:2023/06/11 11:25

障害者施設を襲撃した犯人は自ら死刑を望んで控訴を取り下げた。

それがかっこいいかどうか?いや、かっこよくなんてない。
たとえ京アニ放火犯が自ら極刑を望んだとしても同じ事。
犯罪は犯罪である。
特に殺意を持って自分が正しいんだと、人の命を奪う行為は最低。
かっこいいわけない。
個人的に思う。

弁護士は法廷に出たら如何に減刑を認められるかどうかが勝負だから、「心神耗弱にして責任能力無し」を主張してみるから君もそれで良いだろう?みたいに被告人と打ち合わせる。それが犯罪者でも認められる権利。実際にどう相談してるのかは知らないし明らかにされるのはずっと後の事だと思うけれど。
仕方ない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>障害者施設を襲撃した犯人は自ら死刑を望んで控訴を取り下げた。それがかっこいいかどうか?いや、かっこよくなんてない。

うーん、まあこの障碍者施設での大量殺人事件は、殺された人が社会的にも健康的にも弱者の人ですからね、そういう人を暴力で殺害しようという思想には賛成できないですね。だから途中で控訴取り下げしてもあまりカッコよくはないですね。

「じゃあ、お前は相手が社会的強者なら実力行使してもいいと思ってんのか!!」
と言われたら、
「そんなことはありません。すべての命は平等に尊いものです」
とお答えしますけどね。
実力行使はいけませんが、マスコミなどが政治家や政府高官の汚職を報道するようなことはどんどんやってほしいと思いますね。

>弁護士は法廷に出たら如何に減刑を認められるかどうかが勝負だから、「心神耗弱にして責任能力無し」を主張してみるから君もそれで良いだろう?みたいに被告人と打ち合わせる。それが犯罪者でも認められる権利。実際にどう相談してるのかは知らないし明らかにされるのはずっと後の事だと思うけれど。

まあ、職業観的にそういうものかもしれないが、その姿を見て裁判所(裁判官)、検察官はどう思うのでしょうね
「弁護士の立場としては、このように反論してくるのは仕方ない。
 そのようなことも弁護士の仕事として認めよう」
と思うのか、それとも
「ケっ!!
 裁判官にも検察官にもなれなかった
 司法試験下位合格者がほざいてるぜ!!
 俺たち裁判官、検察官は、あのようにはなりたくないよな」
と思うのか・・・・

ま、司法試験なんて受けたこと無いから、超頭のいい人たちのことは解りませんけどね。

お礼日時:2023/06/11 11:01

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