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長篠の大敗がなければ武田勝頼は領土を維持し武田家は滅亡する事なく上杉のように細々とお家存続できたでしょうか?
それとも長篠がなくても信長に攻め滅ぼされてたでしょうか?

A 回答 (3件)

よほど外交的な妙手を打たない限り、長篠があろうとなかろうと、織田にとって武田は本領の美濃・尾張に対する脅威でしたから滅ぼすべき存在でした。



信玄時代の強国・甲斐を支えていた富の一半は甲斐の山中に点在する金山でしたが、勝頼の代には産金量がかなり低下していたそうです。
金の枯渇や元々の甲斐・信濃の産物の少なさからすると、駿河を領したことによる海運がうまく行かない限り(そして、津島から堺までの良港と、伊勢志摩の水軍を抑えた織田方に対抗して海運で利益をあげるのはかなり困難)、武田の勢力を長篠の戦い時点以上に伸ばすのはちょっとむずかしいです。こうした経済力の低下が強引な戦いの連続としてあらわれ、信玄の旧臣たちと勝頼との間の不和を招いたといいます。
また、勝頼時代にはこれといった調略・謀略に関する逸話、例えば真田昌幸が武田に臣従していた頃には父・真田幸隆のような謀将として活躍していた逸話が伝わりません。調略謀略にはそれなりに資金がかかるため、産金量の低下と合わせ、勝頼時代にはその資金的余裕が失われていたと推測します。

地理的に言いますと、信濃の南部や遠江の過半を武田が抑えているため、織田の本拠地エリアである美濃・尾張が直接戦場になる可能性が高くなります(実際に信長の叔母が嫁いでいった東濃の苗木遠山が武田に奪われています)。川中島を武田が抑えたことが上杉の本拠・春日山城への直接的な脅威となったために5度に渡る川中島の戦いを招いたように、武田が伊那・木曽を抑えていることは徳川家を対武田作戦専従とし、必要とあらば史実長篠の戦いのように織田本軍が出撃しなければならないほどの脅威です。

よって、史実のように長篠設楽原での合戦が起こらなかったとしてもどこかで同規模の戦いが起こったでしょうし、かといって木曽・伊那を失うことは「諏訪」四郎勝頼にとって諏訪への直接的脅威ですから簡単に容認できる事態ではなく、武田も抵抗せざるを得ません。

結局史実のような長篠の戦いがなくとも、信玄の旧臣たちが隠居・死去していくのと歩調を合わせて武田の威信も衰えていき、織田との経済格差が話にならないほど拡大して武田方に属していた信濃や遠江・駿河の武将たちが次々と織田方の調略で切り崩され、最終的には史実と同じように織田の大軍に踏み潰される結末となる可能性が大きいのではないかと推測します。
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別の長篠の戦があったでしょうね。


戦争って思ったより国力を減らすので、苦渋の決断。
そこまで至る事情がある以上は、いずれ戦争になる。
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可能性はありますが勝頼は信玄程の求心力や統率力、戦上手では無い為他の戦いでやはり破れたかも。



上杉は謙信以降も良い人材がいたので生き延びました。
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