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豊臣秀吉は、なぜ明国を征服しようと考えたのですか?普通に考えれば無理なことは分かると思うのですが。やはり認知症が進んでいたのですか?

A 回答 (7件)

中華王朝の征服は、王朝の衰亡期であれば案外無理でもないのですよ。


要は実数20万〜30万の精鋭軍でなるべく速やかに各地の官軍を撃破し、首都(長安なり洛陽なり開封なり北京なり)を抑えて「旧王朝に代わって天命を承けて統治す」と宣言してしまい、後は知識人(儒学の徒)を味方につけるような政策を行えば大体治まります。何なら圧倒的な恐怖を叩きつければ、儒学者は要らないかもしれません(元/モンゴルのように)。遼や金、モンゴル、清は概略こんな調子で華北を制圧しました。

兵站も別に現地調達で無問題。やり過ぎると勢力が衰えたと見えたときに現地の人々に背かれますが、どのみち軍隊とはそういうものだという諦念がある国です(賊は梳くが如く、兵は剃るが如し=山賊は髪の毛を櫛で梳かすように子女財物を奪うが、(官軍の)兵は髪を剃るようにすべてを奪い尽くす)。官軍より少しだけマシなら現地調達でも問題ありません。

もちろんまあ、永続的な支配につながるとは言えませんが、100年や200年なら華北地方に限れば案外支配してしまえたりします。うまくやれば清のように全土を抑えられます。

但し、戦国日本の常識のように小荷駄で補給を続け、現地住民を宣撫して治めるようにしていくと時間が足りなすぎます。そう考えると「常識的に考えて無理」となることでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2023/10/13 19:56

対馬の殿様など経由の情報が間違ってた。


その情報をもとに半島制圧は楽勝と判断。
実際は、半島側の海軍に優秀な武将がいて、兵站に使う輸送船を徹底的に叩いて反撃、海戦は想定外だったので、それだけでやられました。
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普通に考えると、人は無理と分かるようなことでもやろうとするものです。

 認知症とは関係ないです。 偏差値が低くても良い大学を目指したり、事業を大成功させたいと頑張ったり、上部で健康でぽっくり死にたいと思ったり。 日本の軍部や政治指導者はアメリカを攻撃したり、最近では景気を回復させ日本国際経済競争力を上げようとしたりします。
私なども、パズルの難問に挑戦しては敗退を繰り返してます。
多くの女性は、肌の衰えを止め、若々しさを保とうと無理を承知のうえでやります。
ムリだから止めるというのは、そういうひともいますが、少ないでしょう。
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明国征服が元々は信長の構想だったことは、信長からその話を聞いた宣教師の手記に書かれているので間違いない。


多分、秀吉もそれを知っていたが、明国が秀吉の要求した朱印船貿易を認めなかったことに怒って明国征服を実行する気になったのだろう。

明国は秀吉の朱印船貿易の要求に対し、朝貢貿易なら認めるとしか返答しなかったが、倭寇に苦しんでいたこともあって、台湾倭寇攻撃作戦を実施することになり、秀吉にも日本国内の倭寇取締りを要求した。そのときに協力してくれたら朱印船貿易も検討するとか適当なことを秀吉に言ったのだろう。

それで秀吉は海賊禁止令を発して、九州の水軍を取り締まった。しかし、明国は結局朱印船貿易を認めなかった。
まあ、秀吉じゃなくても頭に来ますわね。

それで朝鮮半島経由で明国首都の北京を攻略し、明国を屈服させようとしたのだろう。明国全体を征服しようとしていたかどうかは分からない…。

ちなみに北京攻略成功の可能性は充分あったと思う。
前半戦は秀吉軍に意思疎通の乱れがあったことと、全羅道の朝鮮軍制圧に失敗したことから、北部に突出した主力軍への補給が停滞して苦戦に陥った。
しかし、後半戦は周到に戦略戦術を練っており、緒戦で朝鮮水軍を壊滅させると返す刀で全羅道を一気に制圧し、悠々と明・朝鮮連合軍を蹴散らしつつ首都漢城を威圧。そこで冬に備えて半島南部の守りを固め、主力は九州に戻って休養。翌春に総攻撃をかけて半島全体を制圧して北京制圧する段取りだった。

この作戦は見事に上手く行き、主力が九州に戻って静養するところまで行った。
そこで明朝連合軍の大軍での大反撃という想定外のことが起こり、虚を突かれたものの、加藤清正などの奮戦で却って明朝連合軍は壊滅してしまった。
これで予定通り主力の大軍が翌春に渡韓すれば簡単に半島全土は制圧され、予備兵力が枯渇していた明軍では北京を守るのも相当難しかっただろう。

しかし、そこで秀吉の寿命は尽きてしまった。
もし、もう1~2年ほど秀吉が長生きすれば、北京占領までは実現していたのではないだろうか。
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日本一の成り上がりなので、そういう場を無くすのは自分の否定になる、といった感じだったのではないかと、私は思っています。



”明国を”と書かれているように、なかなか調べられたのではないかと思うのですが、戦力的には拮抗していたのではないかとも言われています。明もこれを機に衰退し滅亡していますからね。
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武士が仕事をすると褒美に土地を与えなければなりません


日本全土はもう持ち主を決めたので 褒美のやれる土地がなくなったから
よその国に行って戦ってその土地をやろうと思ったんです
武士は戦わせないといつ自分をつぶしに来るかわからないが他国に行かせたのですよ
神功皇后の三韓征伐という故事を見習って
あそこには広い土地があり自分もできると勘違いしたのです
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これ、色々な説があります。



戦争に明け暮れ、戦争しか出来なかった
連中に職場を与えた、という説が有力です。

そういう連中を鎮めないと、折角平定した
日本がまた戦国時代に逆戻りして
しまうから。



これに対し、第三の元寇を阻止するためだ
という説もあります。

元寇は、日本の歴史上最悪の出来事です。
日本のトップに立った秀吉ですから
日本の安全保障を考えるのは当然です。

元寇は、朝鮮半島経由で日本を侵略
しています。

だから、明治政府も、韓国を併合したり
日清日露戦争をやったりしたわけです。

あそこに強力な軍隊が駐留するように
なったら非常にヤバいです。

キューバにソ連のミサイル基地が出来たら
ヤバい、ということで、
米国は第三次大戦覚悟で
ソ連の艦船を封鎖しました。
キューバ危機と言われるものです。

半島は、安全保障の要なのです。
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