アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

どうして日本では、名字呼び捨てが多く、名前呼び捨ては少ないのですか?

 欧米では、先生→生徒、
友達同士、兄弟同士でも名前呼び捨てが主流ですが。

質問者からの補足コメント

  • ムッ

    名字呼び捨てって、冷たい印象無いですか?
     山田!鈴木! って。

      補足日時:2023/10/11 21:04
  • どういった伝統ですか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/10/11 21:05
  • うーん・・・

    私は兄弟で呼び捨てで呼び合っても気にならないですね。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/10/11 22:53
  • 伝統の言葉の意味を聞いているのではなく、
    なぜそういった伝統が出来上がったのか文化的要因を聞いているのです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/10/12 11:13

A 回答 (6件)

2つに分けてみます。

 名字と名前、接尾語的(さん・くん・ちゃん・っぺ・ち)

接尾語的(さん・くん・ちゃん・っぺ・ち)
例外はあるものの、乳児や幼児に「ちゃん」を付けるのはポピュラーで、母親も「チャン」を我が子に付けて呼びます。親しみを込めていると解釈するのは間違いで、込めるために「ちゃん」を付加するのではなく、「ちゃん」そのものが「親しみさ」を表出する発声になっているのが、日本語の言語文化だと思えます。 「ゆう・ちゃん」「ひろ・ちゃん」「すみ・ちゃん」「ひい・ちゃん」「めぐ・ちゃん」などの場合、「・」の部分で分かれて発声され「ちゃん」の方に強勢があって、「・」の前の部分は名前の一部でしかなく、しかも小さく低いフラットな発声であることが多いです。 「あっちゃん」「かよちゃん」「たっちゃん」「さっちゃん」だと最初が強く「・」の部分が目立ち憎いですが別れていると思えば別れているようでもあり「ちゃん」の部分はハッキリ発音されることは確かです。このような呼び掛けを受けながら言語を習得していくと、「自分に注意関心を寄せてコンタクトしてくるのは《ちゃん》の声」と理解するでしょう。保育園や幼稚園でも、先生も他の親も自分のことをそう呼ぶし、同じような児の相互の呼び方も「○○ちゃん」です。その後成長すると「○○さん」や「○○くん」などに巡り会うことが増えますが、「○○」の部分が「ちゃん」のときとで異なっていたりすることも多いです。「さん」や「くん」は、「ちゃん」とは少し用法が異なることも多く、中には相手に呼び掛けているのではなく、単に注意したり、個人をそれぞれに識別するときという使用状況のものが多いと感じるでしょう。 ちゃんに比べて、さんやくんは、直接的な個人関係での交流というよりも、個人を指す言葉でしかない感じのものだという印象を記憶の中に定着するのだと思います。 「さん」「くん」には、「距離を感じる」ものが内包されているのだと思います。 特に「かよちゃん」「ゆうちゃん」「こうちゃん」から「かよこさん」「ゆういちさん」「こうじくん」となったときには、その感じは強いのでしょう。
愛称⇒名前⇒名字
さらに「乃木さん」「後藤くん」「桜田さん」のように呼ばれる年齢とか呼ばれる環境とかになるときには、年齢も幼児期は終わって児童期になっていたり、個人的に濃密な関係があまりないが塾や教室などでは知っている関係での呼び方、公的な関係での、《マナーを意識した呼び方》となることが多いでしょう。
中高生でも、大学生や大人でも、個人的に親密さが増して、その親密な関係であることを強く認識すると、「(名字+さん)を使うのはまだ距離を感じているからに違いない。 この私達の関係を重視する私的な状況では(名字+さん)を使うべきではない。(名前+さん)(名前+くん)を使うか、(名字だけ)(名前だけ)(愛称・あだ名・2音呼び)が好ましい」というようになるということが多いように思います。 それがあって、恋人的な関係であることを意識したり、友人・親友であることを協調したり、同じ職場で一体の同僚である、部活などで言葉で言わなくてもわかりあう関係であるという意識が出てくると、さん・くん・ちゃんさえもなく、名前や名字や愛称的コードで呼ぶのでしょう。

名字でも、個人の名前でもなく、職階名・職種名・組織名・属性名である(係長・課長・部長・市長・学生・店員・看護婦・運転手・牧師・大工・八百屋・パン屋・ヤマト運輸・○○銀行etc)でも「+さん」を付けて呼ぶのは、尊敬とか敬意とかではなくて《さんはマナーを意識した呼び方》だからでしょう。
部下が「係長!」、生徒が「先生!」と呼び掛けても、敬意を持ってないからと思う人はいないでしょう。マナーが問題になる状況ではないと思っていれば「さん」なしで良いのです。仲間内で「中村!」「有希江!」と呼ぶのと同じで、マナーが問題になる状況ではないと思っているのです。
    • good
    • 1

あなたはすべてのことの文化的要因を説明できるのですか?

    • good
    • 0

私の経験上は、習慣だと思います。



『そうしないといけない』というほどの縛りはないように思います。
ただ、『常識』という種類の縛りはあるようには思います。

それと、質問には二つの要素があるように感じました。
『姓』なのか『名』なのかと、『呼び捨て』です。



日本の場合、分別のある常識的な大人と言われる人が、特に慣れ親しんだという訳でもない第三者の人のことを指し示す場合には、『姓』+『さん』という表現がもっとも一般的でしょう。

それは、少なくとも、私が長く暮らしてきたアメリカでも同じです。
『Mr. などの敬称』+『Last Name』です。

それが親しさを込めるなどして『さん』や『敬称』を外し、『下の名』だったり『Middle Name』や『First Name』だったりします。

さらに親しみを込めたり親近感を込めるために、『ちゃん』付けしたり『~y
』という表現を使ったりします。

上下関係をつけたい場合も、上の人が下の人を呼ぶときとその逆で、『敬称付け』と『呼び捨て』が使い分けられます。

しかし、そこに明確な決まりがあるわけではなく、『そうする人が居る』ぐらいのものでしかないと思います。

なので、そうすべきでもないのに『呼び捨て』をすると、『この人は私を下に見ている』などと言って反感を買ったりする。



また、こんなこともあります。

私が生まれ育った東北の田舎の地域は、歴史的に人の流入や移動が少ない地域で、そこには、いわゆる部落と呼ばれる『数戸から数十戸の家族が固まって暮らす地域』全体が同じ性と言う地域がいくつかありました。

そういう地域では『姓』は人の個体を特定する目的には使えません。
なので、個人を特定するには、家族を特定し、その家の誰それ、という呼び方をしていました。
つまり、たとえば『佐藤太郎さんの息子の佐藤一郎君』ならば、『太郎さんちの一郎さん』と言う具合です。

その時も『さん』をつけるか『呼び捨て』にするかどうかは信愛度や話す相手に対する表現の丁寧度が決めると思います。



もう一方のアメリカの場合にもこんなことがあります。

当地では、子に親と同じ名前を付けるのは特に変わった事ではありません。
例えば、親が『ジョージ』で子も『ジョージ』と言った具合です。

その時、親を『一世』と呼ぶことにして、子の名に『二世』とか『ジュニア』という表現をつけることはあります。
ただ、その時、親の方はすでに名はありますから、その時になって新たに『一世』という名を付加することは普通しません。
でも、何らかの場合に二人を区別しないといけない場合には、もともとの『名』にはない『一世』とか『シニア』というのをつけることはあります。

また、『二世』とか『ジュニア』と言う名をつけず、全く親と同じ名前と言う人たちも居ます。
その場合、親か子のどちらかを全く別の名で呼んだりします。
私の知り合いの場合、父親と息子が同じ名前で、息子さんの方は『バッキー』と呼んでました。
そんな名前はどこにも登録されていないんですけどね。
学校などの家族外の世界でもその名がまかり通ってましたが、いろいろな手続きをするときなどには本名を使います。
『バッキー』はただの『あだ名』なんですが、しっかり世間に通用させていて、それで社会が回ってるんです。



名前の呼び方と印象ですが、質問者さんがおっしゃるのはその通りだと思います。
確かに『呼び捨て』は冷たい感じは与える『感じがする』とか『場合がある』と思いますが、それも人によってや場の雰囲気なんかで変わる受け取り方でしょう。

親しみや可愛さを表現する『ちゃん付け』も、時と場合に依ってはそこにふさわしくない『なれなれしい』とか『幼稚』と言った感じを与えます。



『欧米では、先生→生徒、友達同士、兄弟同士でも名前呼び捨てが主流』とおっしゃいますが、そこにも信愛度の表現法がないわけではありません。

その代表が、名前を省略形にしたり、名の一部に『Y』をつけたような『あだ名』を使うというものです。
たとえば、本名が『Michael(ミハエル)』なら『Mike(マイク)』と呼んだり、さらに『Micky(ミッキー)』と呼んだりします。

名前の頭文字をとって『BJ』なんて言うのを『あだ名』にし、それを仕事上でも使うなどと言うのも普通にあります。

また、もとは日本語圏の名前で英語的な発音がしにくい名だったりすると、その名の『読みの音』に近い英語で発音しやすい全く別の名を『あだ名』にし、『私をxxと呼んで』と言ったりします。
日本語名の場合に限らず、言語や宗教の違いから発音が難しかったり長い名だったりスッるとこういったことがよく使われます。

名刺をもらうと、名前の最後にカッコ付きでそういった『あだ名』が書いてあったりするのは当地流です。



このように、名前については土地によって扱いはかなり違います。
質問者さんがお感じのことは確かにあなたの暮らす世界ではそうなのでしょうが、世界は広く、あなたの感じているものがすべてではありません。

世界なんてそういうもので、ある意味、それがあるから世界は常に新鮮で面白いんじゃないかと思います。

私はプロファイルに記した通りの在米の隠居爺です。
既述したように、日本の東北の田舎で生まれ育ち、大学進学で首都圏に出てきて社会人初期の数年までその地域に暮らしました。
その後、考えるところがあってカミさんと一緒に当地に渡って来ました。
幸い、早くに生活を安定にすることができ、ネットが普及し出した時期とも重なって、今で言うリモートワークを組み合わせた働き方が出来るようになったため、どこに暮らすのが良いかを実際に住んで考えるため、全米のいろいろなところを経験しました。

仕事柄、取引先と深く付き合うことも少なくなく、先方の事業所のある土地に家を借りて何か月も長逗留するなどと言う経験も随分しました。
そんなことで滞在した経験も入れると、中南北アメリカ、日本、北西南ヨーロッパ、東南アジア、大洋州のかなりの地域なんかも入ります。

私のコメントはそんな経験からのものでした。
いろいろ思い出させてもらった質問でした。

日本では外国の世界で使われる名前と言うと、英語圏や欧米のキリスト教圏、中国や韓国といった文化圏のものだと思います。
それだけの中でも日本の方々が見たり聞いたりしたことがある名前やその呼び方や意味や使い方なんて、ほんの一握りです。
世界の人々は名前にさえいろいろな価値観を持たせていますから、それを調べてみるのは結構面白いと思います。
そんなのを通して他の人や文化を知ることはあなたの将来の何かいいことにつながるかもしれません。
楽しんでみられてはいかがですか。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

Thank you

ありがとうございます。

私ももう少し世の中を勉強しなければなりませんね。

お礼日時:2023/10/14 18:26

たとえば、あなたが年下の弟や妹にあなたの名前呼び捨てにされても気にならなかったら、日本の習慣が身についていないことになるでしょう。



日本の習慣では、年上の人に対して名前で呼ぶことはなく、まして呼び捨てにはしません。その立場の「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」、「お父さん」「お母さん」などで、父や母の名の呼び捨てはこれまでの習慣にはないようですが、最近少し耳にするようになりました。まあ、冗談としての会話でしょうが。
この回答への補足あり
    • good
    • 0

伝統という意味が分かりませんか?


「昔からうけ伝えて来た、有形・無形の風習・しきたり・傾向・様式。特に、その精神的な面。」
この回答への補足あり
    • good
    • 0

日本の伝統です。


欧米とは違いますし、そもそも揃える必要もないです。
この回答への補足あり
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A