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質問です。

小学生の時に英語ができるっていうのは良いことなのでしょうか?

私は現在、29歳一人暮らしで、都内で働く会社員ですが、英語を使った仕事をしておりません。

私が英語を身に着けたのは、小学校1~5年の5年間です。

どうやって身に着けたのかというと、フィリピンのセブ島にある母親の実家に住んで親戚たちと暮らして、その現地の小学校にて入学させられて英語漬けの毎日を送ったって感じですね。ちなみに母親は日本に残ったまま、私と妹だけをフィリピンに送ったって感じですね。

何をするのも英語。聞くのも英語。見るのも英語。話すのも英語。書くのも英語。
360度、365日毎日英語だったので、習ったというよりかは勝手に身に付いたって感じですね。
たまにタガログ語とかビサヤ語が飛び交って、話すことはできないけど、何言ってるのはなんとなくわかるって感じです。

もうこのまま一生フィリピンで過ごすものと思っていたのが、まさかまさかの日本に戻ってそれから日本で母親と一緒に暮らすっていうね。しかも当時の私の日本に対するイメージって、「リング」とか「呪怨」とか「学校の怪談」という行ったら呪い殺される怖い国って思っていたので、「俺が? 日本の? 学校に? 行く???」と心の底から信じられない気持ちと恐怖と絶望で一杯でした。

これはあくまで私の推測ですけど、5年以上外国に住むってなった場合、私と妹の国籍をどうするのか? ってなって、「二人とも日本国籍だし、日本に戻したら? 手続きめんどいし」ってなって日本に戻ることになったんだと思います。本当のところはわかりません。もしかしたら、本気で私と妹をフィリピンにこのままずっと住まわせるつもりだったんだと思います。

なんとか日本の小学校に(しかも5月という中途半端な時期に)転校できたものの、フィリピンに住んでいたころは、毎日ほとんど親戚としか過ごしていなかったので、友達という概念というか、同級生と遊ぶという概念が無かったので、クラスメイトとの距離感がわからず、あんまり馴染めませんでした。当時は私みたいな「純粋な日本人じゃない人」って珍しかったので、余計に奇異な存在として認知されていたというか。壁は少なからずありましたね。

なので、結局「英語しか取り柄のない奴」としか思われませんでした。

高校や大学に入っても、他の教科はダメダメで、結局英語だけが唯一抜きんでていました。いわば、英語だけで成り上がったようなものです。偽物の武器で。そのことが足かせとなり続けました。なぜなら、「自分で全く努力せず、たまたま母親の力周りの力が働いて、それで勝手に身に着けただけの力だったから」です。なので、私より周りの人たちの方が何倍も優秀に見えました。私と違って「自ら進んで努力して身に着けたから」です。

そんな自分が嫌で嫌で仕方がなくて、社会に出てからは、英語ができるということを徹底的に公言しない、知られないように努めています。消したいくらい不名誉だからです。

唯一メリットを上げるとすれば、ハリウッドの映画を字幕で問題なく観れることでしょうか。ディズニーとかドリームワークスといったアニメーションの映画なら、字幕つけなくても9割ぐらい理解できるって感じですね。子供向けで難しい用語は出てこないので。

ですので、達成感も何もないんですよね。そんなことよりも、どうして私の小学生時代がこんなぐっちゃぐっちゃにならなくちゃいけなかったんだろうなあと考えてしまいます。今のところ母親に対して複雑な感情しか抱いておりません。

なので、「若いうちに英語を習わせるべきか」に対する私の答えは、「YES」「NO」どちらもいえない。というか、教えてほしいって感じですね。

教えてください。よろしくお願いします。

長文失礼しました。

A 回答 (12件中1~10件)

フィリピン人の英語は「なまり」が強いからなぁ‼️(-_-;)

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他の科目との優先度はありますが、語学学習は早い時期にやっておいたほうが遥かに容易に身に付きます。



>唯一メリットを上げるとすれば、ハリウッドの映画を字幕で問題なく観れることでしょうか。
これも、大人になってからの学習では、例え血を吐く様な努力をしても、ほとんどの人が結局身に付けられないものですよ。


>なので、私より周りの人たちの方が何倍も優秀に見えました。私と違って「自ら進んで努力して身に着けたから」です。

中学高校で良い英語教育を"普通に"(*)受けてきて、例えば宇宙物理の研究者なのにTOEIC(L&R)で900点以上をあっさり取れてしまう人で、そういうコンプレックス?を密かに持っている人は割といるようですよ。

(*)...と言っても学校のレベル自体が元々高いので、それなりに地頭が良くて努力もしないと実際にはこなせない
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この回答で、少しでも前向きに捉えられるような気がします。

お礼日時:2023/10/16 22:52

善いとか悪いとかは別にして、英語ができなければ国際社会では生き残れない。


英語は国際共通語であり、それができないとは「方言しか喋らない日本人」と同じことだからである。
差別ではなく、コミュニケーション力が大きく低下するということである。
共通語は万人に通じるが方言は分かる人にしか通じないからである。

日本では同質性のなせる理由からコミュニケーション力はあまり重視されないが、しかし国際社会ではそうはいかない。
価値観も生育環境も異なる民族の間では「以心伝心」は通用しない。
きちんと言葉で交流しないといけないのである。
その言葉なしに国際社会での居場所はない。
グローバル経済全盛の現在、居場所がないとは経済基盤を失うということである。

バブル以降の日本の凋落の一因に、確実にコミュニケーション力不足がある。
他人と意志や価値観を交流しようとせず、自分の殻に閉じこもり続けガラパゴス化した結果である。
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小学生の時に英語ができるって良いことですか?


 ↑
これは、功罪あるところです。

幼児の方が、外国語習得には効率が
良いという面がありますが
反面、母国語習得が疎かになる、という
デメリットもあります。

母国語習得は、単なる言葉の問題では
ありません。
人格形成に関係して来ます。

人は、考える時は、言語で考えます。
その言語が不十分だと、思考能力も
落ちてくる、ということに
なります。



母語は母親などとの密接なコミュによって形成されていくもので
肌と肌を合わせ、息づかいを感じながら脳に根付いていくものだ。

赤ちゃんをベッドに寝かせたまま英語のビデオを見せ続けても母語は
形成されず、外界を認識できず、他者とのコミュもとれない。

言葉が解らないだけでなく、甘えて抱きついたり、元気の無い
母の手を握ったり、ほほえみ返すなど、の反応が出来ない。

朝よ、おはよう。と母が赤ちゃんを抱き上げる。

カーテンの隙間からは初夏の陽射しが入り込んでくる。
このとき、赤ちゃんは、朝という言葉の発音体感が与えて
くれる始まりの開放感を透明な朝の光が、赤ちゃんの目に
インプットされる。
おはように乗せられたお母さんの弾むような気持ちも一緒に
インプットされるのだ。

三歳までに母と肌を合わせ、呼吸を合わせ、声を
出して話し合い、笑いあったりすることは、言葉の
基礎を習得するとともに、外界認識の基礎、コミュの
基礎を作りあげる。

ひとは、母語形成の道のりで、人になっていくのである。
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子育ての経験からコメントします。



言語能力の獲得についての考え方ですが、私とカミさんは質問者さんがおっしゃる『習わせる』という方法は意図してとりませんでした。
我々がとったのは『自然に覚えられる環境に置く』という考え方でした。



以下では、ウチの子供たちの言語能力の獲得について紹介します。
言語漬けと言う点ではたぶん質問者さんと似たような環境かと思います。

私はプロファイルに記した通りの在米の隠居爺です。
我が家は私もカミさんも日本生まれの日本人で、我々が若いころに考えるところがあって当地に渡って来ました。
金持ちではありません。

我が家がある町は半径数キロの範囲に約6万の人が暮らすコンパクトなところです。
2~300キロ四方の平野の真ん中にあります。
大都会は遥か彼方で、隣町でさえどちらの方向にも5~60キロは離れており、その間に人は住んでいないという『ポツンと一軒家』のような町です。

しかし、だからと言って過疎の町ではありません。
3万人近い学生・研究者を擁すマンモス大学を中心にした町で、そこそこ優秀と言うことから、世界中から教員・学生・研究者が集まってきています。

人口の半分が学生・研究者なわけですが、その残りもほとんどがその大学の教職員やその家族と言うことで、町に暮らすのは世界中から集まってきたそこそこ教養・品格・民度も高い人達です。

しかし、残念なことに日本人はほとんどおらず、居るのはウチの家族のほかには片手で足りる数の研究者の家族が住んでいるだけで留学生はいませんから、この町には日本人コミュニティはありません。

我が家には当地で生まれ育った子どもたちがおり、まだここの大学院に残っています。

子どもたちは、家の中ではテレビ・ラジオ・新聞を除けば日本語だけで暮らしてきました。
我が家は子どもたちの学齢前に2年ほど日本の首都圏に暮らしたことがあり、その期間、子どもたちは日本の保育園に通わせました。
アメリカに戻った後も、小中高校の12年間、週末の土曜日の午前中だけ近隣の町に開かれる日本語補習校にも通わせました。
なので、日本語はネイティブです。

日本の保育園に通った2年間を除けば、我々はずっとアメリカの田舎で暮らしてきました。
そこで子どもたちはいわゆる現地校と言われる当地の公立の小中高校に通ってましたから、英語とスペイン語もネイティブです。



子どもたちにとってのこの町での日常生活は、近所の幼馴染の子どもたちと暮らすという、どこにでもありそうなものでした。
ただ、その幼馴染が日本やアメリカの他の地域に居るのとは違いました。
ここが世界中から集まってきた人たちのコミュニティということで、付き合った家庭の言語・風俗習慣・食事情などが全く違っていたのです。

よくお付き合いしていたのは、アメリカ人のほか、フランス人、中国人の家族の方々でした。
我々は、子どもたちが良く出入りさせてもらっていた人々とは家族ぐるみで付き合いました。
そこでは、放課後・週末・親が仕事や付き合いで家を離れるときなどに、子どもたちを相互に預けたり預かったりするのをよくやっていました。

その時にはいくつかのルールがありました。
たとえば、他の家で遊んでもらったり預かってもらったりした場合、言葉や食事やテーブルマナーなどの生活習慣はその家に従う、というようなものでした。

なので、我が家に来た場合、言葉は日本語、食事を出すときは和食、食べるときはお箸、飲み物はお水かお茶、と言った具合でした。
言葉がわからないとか、食べ方がわからないなどと言うのは、子ども同士で話し合いをさせて覚えたり自己訓練したりしていました。

そういう生活をしていると、子どもは言葉なんて結構身につくもんです。

ウチに良く出入りしていた子供たちは、日本語も結構流ちょうに話すようになってましたし、食事に焼き魚を出しても器用にお箸を使って小骨を取ってきれいに食べていました。
無作法な日本の大人よりは遥かに品がよかったと思います。

ウチの子どもたちもそうで、中国からの家族が中国に帰省するときにウチの子どもたちを連れて行ってもらったのですが、行った先の中国でも現地の子たちと言葉の壁なく遊べていたと言っていました。

大学になると、単位を早くとりたくて夏休みにフランスの大学の夏季集中講座に行くと言うので田舎の大学に一人で行かせましたが、いろいろな手続きや2か月近くのフランス語での授業や実習をこなしてました。

帰りには数日イタリアに旅行してから帰りたいと言ったので行かせましたが、『イタリア語を初めて聞いたけど、フランス語とスペイン語を足して二で割ったような感じで困ることはなかった』と言って帰ってきました。

彼らは小さいころから本を読むのが好きで、歴史ものを通してギリシャやローマの神話や歴史に興味を持ち、親の知らない所でラテン語も覚えていました。
パソコンやネットがある今日では、やる気さえあれば言語なんですぐに覚えてしまうようです。

ウチの子どもたちやその幼馴染たちは、高校を出るまでそうして暮らし、結果として皆、英語・スペイン語・日本語・フランス語・中国語をほとんどネイティブレベルでマスターしていました。
他にお付き合いした方々から覚えたり、ラテン語のように子どもが自分で覚えたものを入れると、日本の方々の英語程度でよければ、ウチの子たちはラテン語のほか、ドイツ語やオランダ語なんかも使えますね。



私がこの国に渡ってきてから、我々はどこに暮らすのが良いかを真剣に考えました。
今暮らす町は、我々が求めるいろいろな要素を満足できるところとして選びましたが、そこには、子どもたちを『自然に覚えられる環境に置く』と言う観点もありました。

覚えるべきことにはいろいろあります。
たとえば、言語だけでなく、勉強習慣だったり、趣味だったり、友達・年代・人種・風俗習慣などの違う人との付き合い方だったり・・・
ここにはそういったものを自然に覚えられる世界があり、言葉と一緒にそれらも抵抗なく覚えてくれました。

『習わせる』ではこうはいかなかったと思います。
勉強で覚えるのではなく、生活を通して覚えるべきものですから。
『孟母三遷の教え』とか『門前の小僧、習わぬ経を読む』ということでしょうか。




それから、子育て上での親と子の関係について思うことをコメントします。

子育てで、子供が何にどんな興味を持ったかを見極めることはとても大事だと思います。
『伸ばすべきものは伸ばしてやる』という観点で何をしてやるのが良いかを考え、それを実行するのが、親の子に対する責任であり、親と言うものの仕事だからと思うからです。

そのために親は日々子供をよく観察し、必要な助言や対応を適時してやるために、親は常に子供に寄り添っている必要があると我々は考えてきました。

その意味で、私とカミさんには、親が子供と離れて暮らすという選択肢はありませんでした。




他にも、言語学者でもなく、作家や評論家がこねる言語の理論などどうでもいい我々にとって、『言語はただの道具』だと思います。

なので、例えば、子育てでは何を大事にするのが必要・大事なのか、という議論が必要だと思います。

それについて私は、学校で習得するいわゆる常識的な知識以外として、『子どもの個性的な興味と能力を引き出して伸ばすということ』と『しっかり人生設計をさせること』が必要だと思っています。

残りの文字数でそれを説明するのは難しいと思うので、それは割愛させていただきます。

ただ、それをしてきて、今子供たちは自信をもって自分の生活に歩みだせているように思います。
隠居の身故、これから彼らにしてやれることはあまり多くありませんが、彼らなら大丈夫だろうという安堵感はあります。

親バカかもしれませんが・・・
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語学は大人になると簡単に習得できないので


幼いうちに英語を身につけることができたのは
よかったのでは。
あれこれ考えたところで
過去はどうしようもないです。
考え過ぎ?
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いいかどうかは、その人のその後次第ですけど、



デキて損はないこと、ですね。

料理とか、英語とか、そういうもんでしょ。
マイナスにはならないと思うけど、
プラスになるとは限らない、ゼロかもしれない。

資格なんかもそうだね。

>若いうちに英語を習わせるべきか
自分の子供に対して、って話しなら、
その子の特性というか、好奇心とか、興味とか
そういうのによるね。
一般論やべき論で語れる話しじゃない。
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英語に関する質問というよりも、努力できない自分が嫌いといった自己嫌悪に関する内容に見えます。



学校で学ぶことが全てではないと思いますので、好きなことややりたいことを好きなだけやって極めていけば、達成感も得られると思います。

好きこそ物の上手なれです。
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>若いうちに英語を習わせるべきか



もちろんです
子供の頃にやっといたほーが後々楽ですよ
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人間って一つだけでも優れてる取り柄や得意分野があれば社会でも生きていけますし不自由なく過ごせる思います


あと、幼い時に英語は身に付けてたらすごくいい事だと思います
うちの職場の社長の息子さんも小学4年生の時から徹底的に英語を学び今は高校3年ですが高校1年でイギリスへ、、2年の時にアメリカへ短期留学してたらしく、資格も英検準1級取得し話すのも聞くのもペラペラです。
やはり幼いときってのは、のみこみが早い、脳が柔軟らしいです
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