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神は人間に対して「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と言ったにもかかわらず、
人々が一つの街にあつまってバベルの塔を作ったので
「ああ、人間たちは同じ言語を話すのでこんなことを始めたのだな。
 もうこんなことを起こさないように、彼らの言葉をバラバラにしてしまおう」
としたということです。
(かなり省略して記載していますが、ご了承ください)

なぜ神は人間が集住することを好まないのでしょうか?
邪推すると
「同じ言語を喋ると、つまり、大勢の人間がコミュニケーションが容易になると、
 力を集結しやすくなり、それは結果として大きな仕事をなす(←バベルの塔を作ったのがそれ)、
 そして最後には神の打倒、という思想を持ち、その実行に着手するだろう。
 そうなったら神は危険にさらされるので、人々は(家族や村程度の人数なら同じ言語でのコミュニケーションも許すが)一か所には集まらずにバラバラにいるのがいいのだ」
という考えなのかな? と思いますが、どうなんでしょうか?

A 回答 (6件)

一匹狼は辛い。


お医者様でも草津の湯でも治らぬ病気といえば
昔は恋の病。
今は孤独病。
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協調体制をとることで最大の威力を発揮することができる人類。


その威力を間違った方向に行使してはいけない。
ということで
一神教の宗教ではその神に威力を向けてはいけない
という記述になっているのだろうと思います。
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同感です。



人間は、単独では非力です。

しかし、組織化された人間は
神も驚くほどの力を発揮します。

ヘーゲルも、これぞ神、と称した
ぐらいです。

人間は、この力により、食物連鎖の
頂点に立つことが出来ました。

人間があまりに大きな力を持つと
謙虚さが無くなり
環境を破壊し、遂には神に挑む
ようになる。

事実、科学が発達し、人間の力が
巨大になった現在、
人間は傲慢になり、神は死んだ
なんてほざく連中も出て来ました。

神を持たなくなった人間は
とことん大きくなり、遂には
自分自身を滅ぼしてしまう。
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むしろ話は逆で、人間は神が自分たちを全地に散らそうとしていると分かっていたからこそバベルの塔を建てたのです。

人間は「最後には」ではなく、最初から神に背き、御心に逆らう傾向があります。集まれば良からぬことしか考えません。人類最初の町を建てたのは、アダムの息子カインです。彼は弟アベルを殺した人類最初の殺人犯でもあります。神は人類を創造された時に人間を祝福された際、「地に満ちよ」と言われましたし、洪水で世界をいったん終わらせた後にも、ノアとその息子たちを祝福して「地に満ちよ」と言われました。従って、集住することは御心に反しており、必然的に破滅をもたらします。もちろん、実際に集まって住むことではなく、神に逆らうことが裁かれているのです。神は人間によって危険に晒されることはありませんが(もし人間によって倒されるならそれは神ではありません)、人間が神に背を向けた結果、祝福を受け損なうことがないよう導かれるのです。
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一神教において神は人間の行動のただし手。


もし群れることが悪しき行為につながるなら、それを禁止しなければならない。

ではなぜ神に並ぶことが悪なのか。
神は人間の行動のただし手でありいうなれば規範であり審判者だからである。
完全無欠になりえない人間ごときが規範になるのは思い上がりである。
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なぜ人間は民族や集団によって言語が違うのか?



この問題が、聖書の作者には難解で分からなかったのでしょう。だから神のせいにしたのでしょう。

聖書の作者たちとその信奉者たちが、自分の頭で人間社会の仕組みや構造を人文科学的な観点から考えなかったかや、考える努力もせずに何でも神の御業にしたがる安易な無能者たちであるか。
そういうことがよく分かる一節です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/10/22 12:46

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