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あの世の世界って宗教でさまざまだけど
性格悪い人とかいるじゃない?
独り身の人とかもいるじゃない?
ダブルだった場合もあるじゃない?
死ぬこととかは怖かないけど
死んだ後のことが怖い
例えば現世で悪行を積み重ねたり独り身だったりした人は浮遊霊として成仏出来なくなって成仏できたとしても前世の悪行を反省して反省することができたとしても人間にはなれない
虫けらからスタートして家畜
人間となる2chであったけど善行と言うものは人によってさまざまで、
良かれと思ってやったことが悪行となり悪行と思ってやったのが善行だったケースも無きにしも非ず
みんな三途の川があるとか言ってたけど
身寄りも息子も娘も居ない無縁仏は、死んだらどうなるんだろう
今の少子高齢化の時代を見ていると死んだ後を想像して怖くなる

A 回答 (12件中1~10件)

死後の世界は無だと思いますけど



だけど今生で身寄りなくても
その人は両親居るからこの世に誕生
してるんです

死んだら 魂 だけになるとして

あの世に行けばその生命を産んだ 魂 の
元へ行くでしょう

人間は人間から作られたのだから
魂も人間です
他の生命になることは在りません

虫は死後の世界在るとは考えないとして
死後の世界観を構築してない

虫になるとか家畜になるとか
思考する人の概念で生きてたら
それで本望でしょう?
その概念を持たなければ良いじゃない

無縁仏として埋葬されようとその生命は
御両親が居るから産まれてるんです
その元へ帰る
すると
人違いだから 病院のベッドへ戻ったと
言うのは在るかもしれませんね

宗教思想の
生きてる時こそ修行の場で
善行も悪行もこの世で魂の浄化をして
あの世に逝くから
死後の世界を極楽浄土
だから自殺は修行の放棄で地獄へ落ちる

稀に
地獄へ落ちるべき魂へは自殺を約束させてる
場合も在るかもしれませんけど
自殺を約束で誕生した魂生きてたら
この世の終わりとか
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生命の問題については、仏教に優れる物は他にありません。



結論すると「身口意の三業」により決定されるのです。
身業とは身体的行為、口業とは言語的行為、意業とは意思的行為です。 これを身口意の三業といいます。 釈尊は「生まれによって人となるのでなく、行為(業)によって人となる」と教えられました。

仏教での「一念三千」の生命観は、ありゆる角度から解き明かしています
生命活動を 立体的 流動的にとらえた十界互具論
個性化の原理を説いたを説いた十如是論
生命の機能 本体 可能性を説いた、五陰世間
深層を解明し、九識論
運命を解明した、(縁起の法)があります。

その中の十界論(個別化の原理)をみても・・・
十界論は生命観と言う生命の我の主体的な実感を柱として成立しています
この点のみを見れば 主観的カテゴリーと考えられます
しかし その生命観と言う主観的なものをとらえた基準は客観的なものです
このように 主観と客観の上に展開されたものであるがゆえに
十界論は いかなる人といえでも その見事さに
心の底から納得せざるを得ない 生命哲理なのです

仏教の生命哲理を少し学ぶと
キリスト教やイスラク教の生命感が、園児の作文に見えます

参考・・・
https://rokusann.sakura.ne.jp/newpage21.html
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同じ宗教であっても、実態としては各地でさまざまな宗派に分化していき、同じキリスト宗教でもカトリック教徒や清教徒などでは死後の考え方も違いますし、もちろん宗教を信じない人々にも人それぞれに死んだらどうなるんだろうという個々人の考えはあるものです。



例えば中世のころのカトリックでは、死後はまず煉獄のような地獄と天国の中間に位置する世界に行って、そこで前世の種々の行いを苦痛とともに焼き払われて、その後に天国へ行けるという考え方が発明され、多くの人々はミサによって死んだ人の魂に祈ってもらうことで、より早く煉獄を抜け出せるように教会にたくさんのミサ費用を生前に調達している人は多くいました。
中には、毎日1回のミサではたりず、一日に連続してなん度もミサを行う(累積ミサ)ことでさらに早く天国へ行けるという考え方も発明され、生前にはそれだけまとめたぶんの寄進が行われていました。
いわゆるミサの会計学といわれるものです。

その後も宗教の思想は時代を追うごとに変化を遂げていきます。

死者は「眠る」と世間では表現されますが、
もし死後に夢が見れるなら、自分の死後にはどういう夢を見たいと思うでしょうか。

どういう夢を見たいのか。それが今生きているこの世界でどういう生き方をしたいかにも繋がっていくのではないかと思ったりします。
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日本にも戦国時代があって、戦いで敵方を殲滅するということはあったようです。


東洋でも、西洋でも、アメリカでも、繁栄していた町や集落が殲滅させられたということはたくさんあったでしょう。壮年も、老年も、青年も、幼児も、全滅です。 日本でも、東日本大震災の津波、原爆投下、空襲、江戸の火災で、その地域の住民が老若男女皆死んでということは多々あったでしょう。
日本では、江戸時代になって寺が住民管理をするようになるのですが、それ以前には、極く一部の最上級の階層以外のヒトは、死んだら、そこらに捨てたり、埋めたりで、それで終わりで、墓は造らないし、子孫や係累が祀るということもなかったのです。 むしろ、死んだら「穢れたもの」として早々に廃棄処分されたようです。 
https://www.leafkyoto.net/makai/2020/02/torinobe/
https://www.sugiurahonten.com/column/grave-history
https://www.kaf2.org/josetsu/nara_heian/nara_hei …

「無縁仏」こそが、ポピュラーなスタイルです。
人口密集地で、死人も毎月多くでるようなところなら、埋葬も間に合わないので、処分専用の寺もできたのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E3%81%92 …
今20歳ならば、この先100年は生きてないでしょう。死んだ後のことなど恐れてないで、今日や明日、来月をたくましくしぶとく生きることに目を向けて、どうでも良いようなことに気を向けたり、2chに時間を割いたりしないことです。
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死後の世界については存在が証明されていません。

無いと言い続けていたら「実はあった」となるかもしれません。なのでどちらでも大丈夫な様に生きるのが大事だと思います。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

また仏教で輪廻の話など出てきますけど、仏教の中期以降で作られた説法の一つだと思います。どうも肉体を構成する分子(または原子)は消えて無くならず「いずれは別の生物に再利用されるかもしれない」と言う話の様です。消えてなくなる(死体を保存したり墓を作ったりして何とかとどめようとした人達が多かった)と考えていた古代の人々にとっては「大きな慰めであった」ようです。

そのため「確率的に次も人間の体を構成できるとは限らない」と言う話のようですよ。古代の人達は「その程度」であっても嬉しかったんです。なので現代の人が期待する様な「意識を持ったまま生まれ変われる」という話ではありません。

「意識を保ったまま楽しめるのは今生のみ。死は無では
 ないが自分の肉体の分子や元素が別の生物に再利用さ
 れることはありえる。そこにロマンを感じる人はそん
 なにいない。釈迦くらいだろう」

仏教は非常に現実的な話ばかりをします。科学を言い換えたものが多く特に思想の基本である「因縁果報」は物理法則だけが存在する世界を「人間が観察して(好きに)解釈している」だけであり、根底にある現実世界を「人の思い」で変えることは出来ず「同じように物理世界に働きかける」方法を知るべきであると(おそらく)考えているようです。つまり科学的な思考を一般の人へ伝えたいという思いが根底にあります。

「死後の世界には期待できないと言い切ってしまうと精
 神が崩壊してしまう人が多い。どうするべきか?」

「辛い状況に会うと受け入れがたいものだよ。話して聞
 かせても効果が無い場合が多い。現実にあるその人の
 生活を楽にして上げないと考えも変わらないだろう」

「誰かが面倒を見るべきか?」

「自分の力で人生を楽しめる所までは助けるべきだ」

「その話をしても聞いてくれないのだ」

「死後に困る内容として伝えて上げなさい。理由が死後
 に対する怯えであっても、善行を為せばその人の周囲
 が応えるだろう。そうやって徐々に環境が整ってくれ
 ば今生に興味が出てくるものだよ。また他の方の迷惑
 も減るだろう」

「私は私の気を付けている人付き合いのポイント等を説
 明し、それを無視すると精神の病に掛かると伝えてい
 るのだがやり方が間違っているのかもしれない。一部
 の人には『死後の地獄』として説明するか・・・」

「そうだね。例え話が一番分かりやすい」

こんな事を思いつく宗教家は幾らでもいたという事です。内容が突飛であっても推奨している行為は有益なので御上に見逃されていたという事です。その逆であれば排除されていたでしょう。

「宗教って嘘を語って良いんでしょ?誰でもできるって
 ことにならない?」

「知識人が感心する様なものでないと知識人が協力しな
 いだろう? そういうものは力を得られず消え去る」

「知識人が感心するってどういう辺り?」

「知識人や成功者が気を付けているポイントを教義の中
 に混ぜ込む事。その整理整頓された内容をみて自己流
 でやってきたハイソな方々が『この人はタダモノでは
 ない』と感心するわけだ。つまり一般人では無理。
 それを整理整頓できるくらいの力がある人は宗教を選
 ばない。だから稀有に成るという訳」

では人生について一つの悟りを得て見ましょう。

「自分の今の気分を色で表してみよう。そして24時間を
 秒単位でわけて1mmを1秒とする。今の気分を秒単位
 で色を付けていく。1日全体のカラーが分かるだろ?
 今度は1年を日単位で1mmとして先ほどの色を塗って
 みよう。1年のカラーが分かるだろ? 次に1年を1m
 mとして考えて先ほどの色を塗る。自分の生きて来た
 人生のカラーが分かるだろう? その色が君の人生だ」

「えっと特に不満はないけど漠然と不安であるという色は
 何色だろう?」

「明る色ではないだろうね」

「少し悲しいんだ。あと少し怒りもある」

「哀しい部分では薄い灰色、怒りには茶色を入れよう」

「なんだか汚い・・・色になったよ。なにこれ?」

「それを毎日やってたらどういう人生カラーになるか?
 どんな状況でも明るい気持ちを保つことがとても重要
 だということだ。流されていると人生が汚物の様な色
 に染まる。精神の訓練がないとダメって話だね」

私も若いうちは漠然とした人生や将来に不安を感じていました。しかし精神力で抑え込み、訓練をする事でセピア色程度に変更できるようになりました。いまは生きていて幸せです。

「僕は、一回で良いので、いつか何か良い事が起きて欲し
 いと思うんだ」

「そういう今の気持ちを色にして見ようよ。それを一生や
 ったときどういう色になるのか予想が付くはず」

「汚い。酷いや。ただでさえ辛いのに。誰かに文句を言い
 たいよ」

「それ今日一日やるつもり?。よし、それを色にして塗り
 明日も同じことをするとした時、どんな人生カラーにな
 るのか見てみよう」

「汚い色になるに決まってるよ。なんだよそれ。何しても
 そうなるってことかよ! 助ける気はないのか?」

「よし、その気分を色にして・・・」

「うるせー。だまれ。ちきしょう!」

「でもさ。そうなっちゃうだろ? どんなに可哀そうに見
 せても、どんなに怒っているとアピールしても、その時
 も寿命を使ってるんだよ。一秒単位で色は決まるんだ。
 10年汚い色で塗りつぶした挙句、ご褒美があったとして
 も一瞬の美しい色で良いのかい? 投資に見合わないぞ」

そうであるならば、一秒一秒を美しい色(幸せな気分)になるように精神を訓練して待機した方が良いでしょう。本当に良い出来事があるかもしれませんしね。待機中が全部汚物色になると大筋で台無しです。

「誰かに貰おうとかいう狡い事を考えてしまうと一秒一秒
 が汚い色になるになる。苦労を避けた得よりも汚物色で
 長期間寿命を塗りつぶす損の方が大きい」

他人の力で自分を幸せにさせようという発想を捨てない限り、汚い色が今この瞬間も塗られているんです。

「転生できてもその発想を捨てなければ転生先でも同じ色
 を塗り続ける事になる。救われる事は無いのだ」

ナロウ系で「転生先ではしっかりやる」みたいな話がありますが「本当にそれが出来るなら今もやれるはず」と誰もが思っているでしょう。

「もう手遅れだと思う気持ちを抑え込んで今からでもやれ
 る力。僕らはそれを尊んでいて、最初からやり直すので
 もう一度チャンスをくれという人には投資をしない」

「一秒一秒を勿体ないと言って大切にする」人にはたくさん寿命を与えてあげたいですよね。「ケチが着くとポイ捨てする人」に時間を与えるよりマシです。

「誰も助けてくれないのは、ケチが着くとポイ捨てする姿
 勢が他の人にバレており、これが他の人の逆鱗に触れて
 いるからではないか?」

「そうかもしれません。僕はどうしたらイイでしょう」

「過去に何があろうとも、今からの人生は自分の今の気分
 を塗るだけなんだ。それだけを考えて今この時明るい色
 を塗るイメージだけを持てば良いよ」

「何か素敵な出来事があるかもしれない」と考えるのは全くの間違いであり、そういう事が無いと「美しい色」を塗れない「出来事依存」の状態が危険であるという事です。

「多くの人が『何があろうとも美しい色を塗るための訓練』
 に人生の大半を捧げているのに『何か良い事が起きない
 だろうか』とズレた事を考えて過ごせば人生が汚い色に
 成るのは当然だ。運が悪いのではなくゲームに参加して
 いないまま寿命を終えてしまう愚か者なのだ」

多くのナロウ系の小説が玉砕するのは「素敵な出来事」を連発してネタが無くなるからです。出来事に依存をして気分を上げようという発想は原始的であり幼いという事です。

「どんな逆境でも『こうすると楽しいよ』というネタをバ
 ラ蒔くのが創作の妙であり、ナロウ系の作者はそもそも
 その力が無いのでナロウ小説をやることになったわけだ。
 もっとも分かって居ない人が描けるはずもない」

という事を(最近似たような話ばかり読み漁ってしまい)思います。

つまり死後の世界に「良い出来事があるのか?」「悪い出来事があるのか?」と考えている段階で発想がズレているという事です。「何がおきようとも汚い色を選ぶ癖」が自分にあった場合は「出来事と無関係」に辛い気分を味わい続ける事に成ります。

死後の世界があろうとなかろうと、そういう癖が自分の中に残っていないか確認が(先に)必要です。もしそういう偏り(汚い気分を選ぶ癖)があるまま転生したら「転生先でもワンモアチャンス」と言っている自分に成りますよ。

死後の世界があろうとなかろうと「出来事に依存せず」明るい気分を維持する訓練をしないと行けないという事です。こればかりは自分でやるしかないです。誰かに変えられてしまった段階で自分ではなくなるからです。自分で頑張って自分を変えるしかない、本当のガチ勝負でしょうね。

「そればかりはズルが出来ない」

以上、ご参考になれば。
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あの世とは来世のことでしょ


天国とは地獄とかは、この世にあると思うよ。
ならば
せいぜい善い行いをして、人のために尽くして、
来世は、ウクライナやガザに生まれないようにしたいですね

無になる、何て言う人、
この世の不公平をどう見ますか。
生まれる前に、自分で原因を作って来た。
と見るのが自然でしょ

今日、犯罪を起こしたら。
明日、警察に捕まる

人を泣かせた人は
来世で今度は泣かされる

人を殺せば、今度は殺される。
100人殺せば、100回殺される

おまけもなければ割引も無い、絶対の科学だ法則だ。
俺は神は信じないが、
因果応報、自業自得、輪廻転生は信ずるよ。

え~余談だが
おれは、前世でよほど良い事をしてきたんだな
だって、平和な国に生まれ、飢える事はない、住む家もある。
欲を言えば、今度こそ
金持ちに生まれて~、イケメンに生まれて、持てたい~。

ちょっと思うんだけど
無数にある生命の中で、人間に生まれる事は奇跡中の奇跡だよね。
自殺する奴は気の毒だけど、再び人間に生まれる事、ほぼほぼないね。
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あの世には住み分けおこなわれているから


地獄から始まって天上界迄良い事ポイントの多い人がそれなりの所に住めるという組織らしい
だから生きている時に良いことをして生きるんだよと教えているだけで
あの世から教えに来た人がいないから真実かどうかは誰にも分りません
未来は誰にも分らないから たくさんの知識を模索して準備をします
備えあれば憂いなし おひとりさまはそれなりの準備をなさっています
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悪い行いしてしまったら、心の中で相手にごめんなさいって念じると、気持ちや言葉は時間や距離を越えて相手に届くから詫びまくってください。

あとそれを上回る善行を今からジャンジャンやって相殺してください
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がんになった時は、病床に二人の死神が来た。

亜人みたいな感じ。で、すぐ前に亡くなった先輩がその後来てくれた。あれで死なないのかなと持ち直した。自殺した人は、夢枕に来たとは聞いたことがない。先輩が来たのは49日後だった。死ぬ直前に見舞いに行ったからかなと思ったな。
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人間の心、意識は脳細胞のネットワークがつくりだしたもので、死んだら無です。


あの世とか天国とかは、人間の気安めと宗教家の飯のタネでしかありません。
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