【3月6日実施】システムメンテナンス実施のお知らせ

宗教を知らない日本人はどこで善を学ぶのかと聞きます
本当の善は温かく奥底から滲み出るものであり
「みんなそうしているからそうする」といった集団性の善とは違う物だと思います
戦争で拷問したりする時不必要なほど痛めつける時本当の善悪は現れるように思います
原爆やおしつけがまかしい平和主義などで人格がねじ曲がるのも分かりますが
本当の善悪が必要なときがあるように思います
と思うのですがどうですか

A 回答 (29件中1~10件)

宗教を知らない…のでしょうか、昔から伝わる神道、八百万の神を信仰する考えはとても良い考えだと思います。


素晴らしいのは仏教も受け入れる懐の深さ。
日本は素晴らしいと思います。

善悪は人間が自分ありきで勝手に作ったものが多いとおもいます。善悪にこだわりすぎるのは良くないと思っています。
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この落書き帖ではめずらしく良い質問だと思う。



しかしよく考えてみよう。
宗教が前提なら善悪も自然と導出されるので、くろうはしない。
宗教に代わる価値基準というものを無宗教者が持っていないと言えるのか?

ヴィーガン。
最近のヴィーガンは仏教などの「殺生を禁じる」宗教の信者ではなく、
人間以外の動物の殺生をむしろ礼賛するキリスト教徒も多い。
すなわち彼らは宗教によらず、他の価値基準から哺乳類の殺生がイケないという判断にたどり着いたわけだ。
ヴィーガンにとって、哺乳類の殺生は悪だが宗教由来ではない。

ということで、宗教以外でも善悪の価値基準を学ぶことはできる。
どこで学ぶのか?と問われればどこでも学ぶことができると回答するしかあるまい。

でも、良い質問だと思う。
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伝統と生活から学びます。


日本の宗教は水と油のように分離することなく、カフェオレのように伝統や風習のなかに溶け込んでいるからです。

日本人は無宗教だ!という人もいますが、初詣に行ったり落ちていた財布のネコババが後ろめたく恥だと感じているのならばその人の中にも宗教のリテラシーがきちんとあるのです。
日本人ならば誰の心にもお天道様という絶対善がいるからです。
それが「神は天から監視していると」考える外国人との違いです。

同調圧力による大衆善も半分は正解です。
日本人は周りとの関係悪化を恐れてついついそれに合わせてしまいます。
それは事実です。

しかしよく言われているような「個性がない」「自分がない」というのは誤りです。
例えばフランス革命は大衆達は同じ行動をし熱狂の余り我を見失う者が続出しました。
しかし明治維新では同じ攘夷派でも違う考えの者達が多くおり、民たちはせいぜいええじゃないかとお祭り騒ぎをしたくらいです。

日本人は表面では周りに合わせていてもない面では違う事を思っている国民だからです。
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>宗教を知らない日本人はどこで善を学ぶのかと聞きます



親の教育や周囲を見て身につけたもので、学ぶのでしょう。宗教もそれらの一つですが、その比率を大きく扱う国民は、神父に懺悔すれば許されるとか、非ムスリムには人権がないとか、「ものすごく偏った善」を学びます。

>「みんなそうしているからそうする」といった集団性の善とは違う物

そうですか? カソリックの道徳観、ムスリムの道徳観、正教の道徳観は、まさにこれじゃないですか。

>戦争で拷問したりする時不必要なほど痛めつける時本当の善悪は現れるように思います

中国人や朝鮮人、ロシア人には、まさにそれが表れていますね。

「日本は戦時中、こんなことをした」と彼らは主張するのですが、日本人のメンタリティとはかけ離れすぎていて、「は?」となることがしばしば。そして彼らの話は、ベトナム従軍時にやったこと、日本人の集落を襲ったときにやったこと、法輪功信者、ウィグル人、香港のデモ隊にやったこと、ウクライナに侵攻してやったこと、国内の強制収容所で国民を弾圧することと瓜二つなので、「あぁ、彼らの経験談なのね。自分達がやるから他民族もやるはずだ」と思い込んでいるのだね、と納得してしまうのです。

売国奴の日本人は、こういった中国人や朝鮮人、ロシア人とメンタリティが同じなので、性格が歪んだというより、特異点として見るべきかと。
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「いざという時にどの様な行動を取るか?」で善を定義したいのならば、頭で考えて導いたものや「他人から教わった事」は(脳の仕組みに照らして)意味がないのじゃないかと思います。

結局実践できない善を大事にしても仕方ないでしょう。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

「どうするといざという時、道徳に根差した行動がとれるの?」

これに関しての答えは(疑似)科学的に分かります。人の脳がAIと同じように(と言うかAIが人の脳と同じなんですけど)学習型のコンピューターであるわけですから「サンプルを食わせて覚えさせるしかない」となります。

「猫の画像ばかり覚えさせた画像識別AIは猫発見器となる。
 何を見せても猫率でしか回答しない」

つまり人間も「その時にうまくやる」なんて出来ないんです。普段から集団の中で「こういう風に行動する」と同調圧力をかけ続けないと、体に(脳に)染み込まないんです。

「俺は人に指図されるのが嫌いだ」

と普段からやっていますと、災害などが起きて「皆で協力しよう」等と呼びかけられても協力できないんですよ。怒りが湧いてしまうんです。

「俺の脳は同調圧力発見器として学習済みのモデルなんだ。
 その呼びかけは同調圧力80%だ。認められない。
 あれ・・・こういう時こそ協力しないと俺自体が世間に
 見限られるって分かってるのに。頭で分かって居ても内
 から来る衝動が消えない。な・・・なんでえ~?」

という具合になっちゃうと思います。こういう人が善とは何か教わっても意味が無いでしょう。頭で分かっても学習された習性が自分を支配するからです。そういう脳に改造をしてしまったわけです。再学習をするとなると「その人の年齢分の人生」が余分に必要になります。

「一定の年齢での学習成果によって『手遅れ』と思われる
 人を悪人として良い。再学習をしてイーブンに戻しても
 社会で活躍する年齢を超えてしまったり、平均寿命をは
 るかに超える事が分かり切った人に対して期待をしても
 しかたないからである」

なので私たちは一定の年齢になるまで「この人、普段の学習の怖さに気付くのかな~?」とドキドキしながら見守るわけです。「今は善人に見えない」人であっても、その後心を入れ替えて再学習に取り組んだことで「自分より立派になるかもしれない」でしょ? その可能性が残っている人に対して上からどうこう言うほうが危ないですよね。後で逆転をされて恥をかくかもしれません。

「そのため年配の人は若者に対しては手加減をする。
 しかしそれは『そのままでいい』という事では無い。
 若者が年を取り『再学習手遅れ』なったときは容赦なく
 扱われる。これが社会の厳しさである」

また凶悪犯罪者の裁判などが立て続けに起きていますが、これに対して世間は冷たいですよ。しかし若者であるならば間に合うかもしれませんから「社会としてどうか?」と言う話が生じるわけです。

「俺は何年もコンチクショウって思って世間の不正を憎ん
 で来たんだ。おれは不正発見器として脳を改造した。
 ナンデモカンデモ不正に見える。この前は俺が好きだっ
 たアニメを作った奴らの不正を見つけて・・・
 僕が好きだった人を・・・ああ・・・なんでだ。
 俺の脳はいったいどうなったんだ・・・」

脳って言うのはその人の人生の都合や意味なんて考えません。単なる生体コンピュータです。「取りあえず”その様に感じさせる”事で行動に駆り立てる」という大雑把な機構なんです。ここに善悪はありません。

「ん~自由にさせて見て自滅したら悪人。そうじゃない場
 合は善人として良いんじゃないか?」

「誰か俺を止めてくれ・・・みたいになっちゃったらアウ
 トだってこと? ほんとにそうなっちゃうの?」

「学習済みAI将棋が人間と対戦してのどのくらいの勝率
 を出せるか程度の期待度になる」

普通に考えてそうなっちゃうでしょう。

「いざとなったら本気を出せる」というのは幻覚です。ニューラルネットワークに学習された性質がそうやすやすと変わる事はありません。勿論、変化を続けていますから再学習は可能です。

「脅されようと、煽てられようと、自由意思だろうと強制
 だろうと、その様に行動したという回数だけが大事」

ただし人間の場合はメンタル疾患などで本来の自分ではない性質が表に出てきますから、最初に病気か否かを見極めるのが重要だと思います(そのため犯罪を確定させるためには病気か否かを先に判別する)。

「論理と学習って違う物なの?」

「論理で考えるというのはソフトで言うとプログラミング
 等に近い。自然科学もそちらの方向。学習と言うのは、
 『どう作って良いのか?やり方すら思いつかない』とい
 うものですら成し遂げる方法」

例えばあるプログラマに猫発見器を作れと依頼したとします。この人多分苦悩の末に投げ出すと思います。猫発見器を構築する理論は世の中に無いからです。

「そんな未来技術を俺に依頼するのはどうかしている!
 作り方があるなら俺に示せ、コーディングしてやるよ」

「俺だってわからんよ。人間の誰もが分からん。だから、
 『そう言うのがあると良いなあ』ってシツコク願い続
 けてみようと思う」

「神にか?」

「いやAIに学習させるよ。猫見せ続けて、猫率低いよ
 うならダメ出しを続けるつもりだ。猫認知力が高まる
 かもしれないだろ・・・俺の我儘が勝負どころだ」

「まるで因果の逆転だな。魔法みたいでぜ」

AIの学習と言うのは作り方が全く分からないまま「願望」だけで成し遂げるという魔法見たいなやり方なんです。学習済みのAIモデルの中がどうなっているのか分かる人は居ません。何だかわからないけど「これで上手くいくらしい」という学習済みのパラメータを有難く使うだけです。この段階で人間の脳と全く同じなんです。

「善人を作るにはどうすればいいのよ?」

「善人だと言われる行動のサンプルを集めてやらせる。
 ディープラーニングだね」

「うっは。大変そう。その方法でいいの?」

「いや。実施においては聖人と呼ばれる人を集めて子供
 を育てさせるよ。一緒に過ごしているうちに完コピさ
 れると思う」

「聖人なんてそうそういるかよ」

「勿論。なんで気持ちマシな人を最初は集める。
 その人らに定期的に『聖人の行動はこう』みたいに強
 制する授業をする。そして子供達に強制するように指
 導するんだ。この最初の親には期待をしない」

「まあ学習効率をあげる方法は工夫次第ってことだな」

日本では道徳的な行動を取る大人達(学校の先生等)が同調圧力を駆使して子供達に実践形式で教えます。その子供たちの中で「学習精度が高い」子供達を選抜し「進学」と言う方法で抜き出していきます。そして更に「就職」と言う方法で選抜します。これらの過程では「日々の努力」「先生のいう事を聞く」「友人との関係を大事にする」などサンプルを食わせ続けるわけです。そして「就職時の面接」等で学習度合いを判別して採用します。

「その就職した職場で聖人度合いがむっちゃ高いオッサ
 ンやオバサンに同調圧力を食らいながら善人度を更に
 濃くしていくのか・・・すげえな日本。人権無視スレ
 スレの善人工場みたいだ」

「『社会が善人を畜産する』ということで社畜システム
 と呼ばれている。日本の社畜はディープラーニングに
 よって脳を善人に改造された人達ばかりなんだ」

サイレントマジョリティと言うグループが政治の中でも注目されて仕舞うのは仕方が無いんです。脳が善人に改造されている人達ですから、この人達の「何となく好き」「何となく嫌い」という(学習済みAIみたいな)感覚は頼りになるという訳です。

「ちょっと待って。思ったんだけど。今の方法ってポジ
 ティブな学習だよね? もしかしたら逆学習させて、
 そいつのいう事の逆をすれば善を実施できないか?」

「純粋培養の悪を作ろうって話か・・・。
 恐らくそれに賛同する善人は居ないね。気持ち悪い」

「そうかあ。じゃあ自然発生的に出て来る悪人をみつけ
 て、その人の意見の逆を狙い続けるのはアリ?」

「まあ、それは賢いかも」

という事で今の時代では「常に悪い選択をする」と言う人を探し出して、その人の主張の反対を選ぶことで「聖人の助言を受けている」のと同じパフォーマンスを実現できます。

質問者さんが言う様な「論理での善」を教えるというやり方ではなく、同調圧力を駆使した「実践での善」という社畜システムの方が効果絶大です。そして「自然発生的な悪」の逆を狙う方法も出来るという訳です。これもダイバーシティの一環と捉えられます。

「コイツの言う事は何時も間違っている」

こういう決めつけが(酷い話ですが)脳の仕組み上、できてしまうという事です(何時もあっている人が聖人)。

冗談もかなり混ぜましたが、脳の学習だけはヤバいと言いたいです。

「AIは直感で猫率を出してくる」

当然ながら私たちが直感的に思う「これが正しい」と言う感覚は「何を学習させたか」に対しての適合率でしかありません。不正発見器とか「上から目線発見器」とか「面白学習を続けた人」が直感で何かを感じても「それが善である」保証は全くない(面白学習適合率でしかない)のです。

「この人はあれだ・・・○○発見器だ」

と言う視点で見直して見る事です。「それしかできない人」と言うのがどれだけ沢山いるか気が付いて怖く成るはずです。

そのため善悪について論議するほど面白い話は無いのです。

以上、ご参考になれば。
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正しい教えなら、国やその国に住む民族は善良で良くなります。

教えがない国は誹謗中傷が溢れ、他人を貶めたりし始めます
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私は無宗教で霊や神すら信じてませんが、宗教はやはり絶対必要ですね。

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ならば、宗教が根付いてる国は膳に満ち溢れているのでしょうか。



宗教が原因で異教徒弾圧があったり紛争の火種となったり、それは人の歴史を振り返れば明らかなのでは。
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自分が知りえている範囲内で、本当と言って良いといえるかも・・・というものならありますが、それを明確にしないままでは。


本当、限りません、真実、正しい、本物・・・・その他たくさんあります。それらに対応する現実はありません。
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善悪というのは人がはっきりとは認識できない隣の次元にあるもののような気もします。



だから一般的な常識とか周りに合わせるということは意外とというか普通に考えてとても重要なことだと思います。

人と違うことやそれっぽい事をいうと刺さるので本当のことのように勘違いしがちですが、ぼーっとしていて『あ、部屋が散らかってる』とか気づくことの方がはるかに重要なことな気がします。
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