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当時の社会構成のなかで、貴族でない人間たちも、自分たちの生活を支える大事な人たちでしたし、その人たちには貴族とは違う教養技術というものがあったんだから、必ずしも知的に劣るわけでもない、という考え方はしていなかったのでしょうか?
例えばいろんな職人がいます。石工にしろ細工師にしろ、ああいう技術団体というのはそれなりにノウハウもあり、自身の仕事についての知的理解もあるはずです。こっちの方が漢詩を読むよりもよっぽど世の中のためになっている。また農民にしてもそうです。彼らの体力と忍耐強さがあって初めて貴族は食料を調達できる。
そういう非貴族に向かっての貴族の意識というのは、教養のない平民どもというような蔑みでしかなかったのでしょうか?それともそれなりに、敬意というものを払っていたのでしょうか?

A 回答 (3件)

人には依るとしても、敬意を持つ貴族は少なくなかったでしょう。

特に仏像などの仏具については末法の世であったわけですから、彼らの技術が無ければ浄土に行けることを約束してくれる立派な阿弥陀堂は造ることが出来なかったのですから。

とはいえ、貴族が考える教養とは漢籍の知識や歌の技術だったのですから、身分を超えるような敬意はなかったと思います。
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この回答へのお礼

なるほど!敬意は払わないでもないが、自分らの教養というのもを鼻にかけていたということでしょうね。
これが名僧になると土木技術も医学もたしなみますからね。また違った視点でしたでしょう。

お礼日時:2024/02/11 09:52

時の支配者層公家には、搾取する対象であって、税を搾り取るそれ以外の


認識は無かったでしょう。
そこに風穴を開けたのが、平忠盛・清盛の親子です。
公家社会の根幹の荘園を日本最大の島津荘(日向・大隅・薩摩)を
手始めに、次々と平氏の管理としました。
荘園が無くなっては、子供作り、和歌詠み。蹴鞠、の優雅な生活とは
おさらばです。
荘園制度に止めを刺したのは、太閤検地で、豊臣秀吉は、これで得た
富を大坂城に蓄財しました、搾取する側が公家から武家に変わりました。
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お節介ついでに、日本には貴族の制度はありませんでした、欧州の
貴族階級は主に国防を担う人達で、日本の武家にあたります。
廃藩置県で領地を失った大名達の生活の保障?として爵位を当てた
のです、領国経営は借金塗れでしたので、従うしか無かったのです。
公家・武家の社会を大きな混乱が無く終焉させたのです。
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この回答へのお礼

支配者というのはどうも横暴になっていかんですな。

お礼日時:2024/02/11 11:42

それら民草が絶えぬように維持采配するのが我等である。

能のない者にも仕事を与え、見どころのある者を引き立てるのが我等である。我等なしに彼等は生きてゆけないのだから我等は彼等が絶えぬように統治しなければならない。ゆえに我等は貴やかなる者である。
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この回答へのお礼

という幻想を教育されたのが貴族だったのですかね。

お礼日時:2024/02/11 10:25

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