
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
無かったと考えるべきです。
西洋でルネッサンスが興ったのは
キリスト教があったからです。
当時の人々は、マジで神を信じており
教会が絶対的権力を持っていました。
しかし、ペストに無力だった、十字軍が失敗した、
あげくの果ては、金さえ出せば天国に行ける
という免罪符事件を起こし、
そのため教会が信用を失い、神の力が弱まり
ました。
それで、神、教会の言うとおりに生きるの
ではなく、人間が主体的に生きるべきだ、
ということで、ルネッサンスが
興ったわけです。
日本には、そんな神は居なかったし
神との、そうした関係はありませんでした。
早速のご回答ありがとうございました。<
日本では、西洋における教会・キリスト教が<絶対的権力を持>っているようなことはなかったのですね。
No.4
- 回答日時:
日本で、国策として、一度に他国の知識や学問、技術などが大量に入り込んだ時期と云えば、最初が遣唐使、次が明治維新でしょうか。
もちろん私的なものは随時様々な形で入っていたでしょう。遣唐使時代は中国の新知識が大量に日本に入って消化吸収されましたが、それを日本人は「和魂漢才」と呼んでおりました。
明治維新時代は西洋の新知識が大量に日本に入って消化吸収されましたが、それを日本人は「和魂洋才」と呼んでおりました。
いずれも海外の知識を日本精神で取捨選択したうえで日本人に使いやすいように変えて日本のモノにするという意味ですね。
ルネサンス前の世界情勢は、主にインドと中国の先進的で高度な文明知識をオスマン帝国など中央アジアのイスラム勢力が欧州に行き渡らせない障壁となっていたというものです。
その障壁を破壊したのがチンギスハン以下のモンゴル勢力であり、その壁がほぼ一瞬で消滅したため、一気に東方文明の成果が西欧に流れ込んで西欧を近代化させたのがルネサンスです。
ルネサンスは、日本のように国策として行われたのではなく、世界レベルの戦争と破壊が、キリスト教支配という暗黒時代で文化文明が遅れていた貧乏な野蛮人だらけだった西欧社会には、非常に良い方向に目が出た知識の拡散だったと云えるでしょう。
早速の御回答ありがとうございました。
*
*
<一気に東方文明の成果が西欧に流れ込んで>が理解できません。
仮に流れ込んだとしても、人間回復には影響しなかった、と想います。
イスラム勢力の力(増えたのか減ったのか分かりませんが)により、古代ギリシャ・ローマの栄光が蘇えった、ものと想っております。
No.3
- 回答日時:
ありません。
西洋のような文化文明に対する宗教的束縛がありませんでしたから。
国学の事を挙げている方もいらっしゃいますが文化文明に対する影響度を考えれば単に学派の隆盛にしか過ぎないと言えましょう。
早速のご回頭ありがとうございました。
そもそもなかったのですね。
<西洋のような文化文明に対する宗教的束縛がありませんでしたから。>
西洋のキリスト教のような強い拘束(?)がなかったのですね。
No.1
- 回答日時:
「ルネッサンス」とは・「ルネッサンス」の意味
ルネッサンス(Renaissance)とは、もともと「復活」や「再生」を表すフランス語であり、14世紀から16盛期頃にかけて西ヨーロッパ全体に広まっていった文化運動やその時代を指す言葉である。
ルネッサンスの時代より前の中世ヨーロッパ文化は、キリスト教(ローマ・カトリック教会)の影響が非常に強かった。中世末期、それまで絶対的に君臨してきた教会の権威が衰えを見せ、それに伴い、キリスト教の神に仕える生き方や価値観も囚われすぎない気運が高まった。そんな風潮のもとで、人間の個性や自由な生き方を求める「ルネッサンス」の理念が生じたとされている。
ルネッサンスの思想の模範とされたのは古代ギリシア・ローマの文化である。古代に花開いた、すぐれて人間的な美を追い求める古典文化を「復興」させることで、自分たちの生き方に役立てようとしたのである。
江戸時代に賀茂真淵は『国意考』などで古道の存在を訴え、その薫陶を得た本居宣長は大著『古事記伝』を完成し、その巻1にある「直毘霊(なおびのみたま)」で、記紀からみいだされた「神の道」を示して、日本固有の神道の復活を目指す復古神道の成立に大いなる貢献をなした。
平田篤胤は本居宣長の書に啓発され、古代史を明らかにし、皇道の正当性を天下に示すなど、復古神道の形成に大きな役割を果たした。また、幽冥界・霊魂など、霊界に関わる研究で著名な成果をあげ、法華宗や密教、キリスト教、道教などの他宗教を参照した「平田派国学」を大成させた。この平田派国学の流れから後に、本田親徳、川面凡児その他の、「古神道系」宗教家が多く誕生してくる。
その後、明治になると、明治政府に入った平田派国学者らは、神仏分離と神道国教化を推進した。また、同じ明治の本田親徳や、本田の弟子の長沢雄楯、またその系譜に連なる出口王仁三郎らは、人間の心は根源神の分霊である「直霊」(なおひ)が「荒魂」、「和魂」、「奇魂」、「幸魂」の4つの魂を統御するという日本古来の「一霊四魂」説を体系化した。
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