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大河ドラマ「光る君へ」を見ていて気になったことがあります。
平安時代のことについて詳しい方にお聞きしたいんですが
ドラマの中に出てくる主人公の家が、床と屋根があるけれど壁も雨戸も何もなく、まるで公園の東屋のような造りです。
あれでは雨が降ったら床も何もかもびしょ濡れになるし風も吹き込んでくると思うし冬は寒くてどうしようもないと思うのですが、当時の人はあの家でどんなふうに生活していたのでしょうか?

A 回答 (6件)

日本家屋というものは、平安の頃から上流と下流でその家の目的とつくりに差があります。



徒然草にあるように、上流の家屋は夏の過ごしやすさを重視して作られました。貴族というものは滅多に人前に出るものではなく、その家に支える使用人にも階級があり、最下級の下男下女に顔を見られることも憚られますから、暑いからと気軽に外へ涼みにゆけたり水浴びししたりもできないのです。なので上流の家には壁というものがほとんどなく涼を得るために夏の風通しをよくしないと、その暮らしが耐えがたいのですね。で、冬はというと。お貴族様ですから衣装を沢山着込めますし、風を避ける家具としてのパーテーションもふんだんにあり、暖を取る火元も充分にあって、早朝も夜中も侍女侍従にせっせとその火元の世話をさせることが可能ですから、特に困らないのです。

下流の家となりますと、壁があります。お貴族様とは逆で、冬に着込む着物も少ないし暖を取る火元も充分ではないので、寒い冬を乗り切れるように壁で囲まれた家を作るのですね。そして誰かに顔を見られることを忌避する必要もありませんから、夏暑ければ裸になればいいし、外で涼めばいいのですし、水浴びもし放題です。
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No.5 です。

誤字訂正します。失礼しました

誤:「庇」(ひさし)
正:「廂」(ひさし)
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「母屋」と呼ぶ部屋の周囲(四方)を「庇」と呼ぶ広い部屋が取り囲んでいます。

さらにその外周に広い濡れ縁があります。
濡れ縁の外側までが「屋根」の下です。

庇の外側には屋外と区切る格子があって、朝晩付け外しを行います。


https://www.iz2.or.jp/kizoku/index.html
https://blog.goo.ne.jp/kakitutei/e/c79794de45779 …
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撮影に都合の良い様に作っているセットですから、実際とは違いますよ。


寝殿造りで、公家の財力に依って様々な形態が有ります。
用心深い公家は防御の為に渡り廊下を狭くしたり曲がり角を増やしたり
してますね。
源氏物語絵巻は屋根を取っ払って描かれているので、様子が判るので
ご覧にんっては如何でしょう。
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いわゆる「寝殿造」です。


昔も京都盆地の夏はクソ暑かったので、夏に風通しが良いようにああいう作りなんです。夜や冬は蔀戸で壁を作りました。
ああいうのは貴族だけ。
下々は床板が無い掘立柱建物か竪穴住居に住んでいました。
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蔀戸(しとみど)で風雨を凌いでいました。

神社などに今もあります。壁に比べれば寒いし大風に弱いでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%80
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