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今の日本人は西暦で歴史を習って大和時代ぐらいから現在に至って約1500年ぐらい経ってると歴史認識をしてる人が多いけど、

西暦1600年代の江戸時代の人は、日本が出来てから何年ぐらい経ってると認識していたのですか。

A 回答 (5件)

神武天皇が紀元前660年に即位して2200年くらいと学者は思ってたみたいです。

庶民は気にしてなかったんじゃないかな
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お礼日時:2024/06/10 05:59

日本を含めた中華文明圏での絶対的な年の物差しは十干十二支です。

日本も例外ではなく、60年周期を物差しとして年代を考えていました。明治になって、薩長偽官軍ご日本の伝統文化を徹底的に破壊した時に、十干十二支の使用は禁止されましたが、日本人の心の中では生き続けていたのです。
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お礼日時:2024/06/10 05:58

江戸時代は国学も盛んになり、幕末の尊王思想に繋がっています。


具体的な歴史の体系的研究としても水戸の徳川光圀が始めた「大日本史」の編纂事業が有名です。

ゆえに、知識階級にとっては、神武天皇以来の歴史の概略は基本的な素養としてあったでしょう。
そもそも神武天皇が即位した年を元年とする皇紀を用い始めたのは、幕末近くの水戸学の藤田東湖などの国学者たちが始めたものです。

庶民は、寺子屋で主に実学や日常生活の心得などを個別対応の学習塾的に学んでおり、あまり歴史教育は深くはなかったと思いますが、国学の研究が広まった幕末近くには国の仕組みや成り立ちの概略程度の教養はあったと思われます。
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お礼日時:2024/06/10 05:58

西暦1600年代の江戸時代の人に「日本」などという感覚はなかったでしょう。


津軽の人が、薩摩の人と「同じ仲間」などとは考えなかったでしょう。
現代人が「地球人」などという感覚がないのと同じ程度。

自分と、その親と、せいぜい祖父母までが歴史のすべてであり、それ以上はすべて「ご先祖様」で、時間の長短の感覚はないでしょう。

さらに、自分の住んでいる「地域」以外の空間感覚はなかったと思います。

「社会」の認識にしても、自分の地域の「お殿様」しか知らず、藩主や将軍なんて、我々にとっての「ローマ教皇」や「アメリカ大統領」みたいな感覚だったのでしょう。
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お礼日時:2024/06/10 05:59

神功皇后や聖徳太子の事を知っている人は多くいたようなので、


古くからの歴史が有る程度は、有ったのではと推察いたします。

年貢を搾取される側の庶民は、#1さんの回答に有ります様に、生活
する上では、気にしていなかったでしょう。
現在だって、日常的に歴史を認識して生活はしていないでしょう。
旗日は会社が休みの、程度でしょう。
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お礼日時:2024/06/10 05:59

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