ギリギリ行けるお一人様のライン

中世の武家の女子の、嫁ぎ先での帰属について、照会します。

1.まず、彼女は嫁ぎ先では実家の利益を代表している。
2.その後、彼女が産んだ子が家の当主になったときから嫁ぎ先に帰属する。

上記について、正誤はどうでしょうか?

A 回答 (3件)

だいたいあってると思います。


1. 嫁ぎ先って政略結婚の人質的な意味合いもあるので実家の利益を代表している…のは否定できないですね。
2. 帰属については必ずしもそうではないと思います。ただ、武田勝頼の場合って母親が諏訪家出身で、本人は諏訪家の家督を継いだ後で武田義信の廃嫡の事件があり、そこから武田本家の家督を継ぐ形になったので、諏訪の人間と言う扱いで家中の取りまとめがしづらかったという話もあったりしますし。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
勝頼の母は、諏訪家出身として複雑な難しい立場に置かれたのですね。

お礼日時:2024/09/24 15:18

1.嫁いだ当初は、実家の利益と云えばその通りだが、貴家との同盟を決して裏切りませんという人質の意味合いが大きい場合もあるでしょう。


2.実家が娘を差し出した最大の目的は娘の産んだ子供が嫁ぎ先の当主になることにある。実家の父親としては、長生きすればだが、嫁ぎ先の当主が義理の息子になるわけだから、母親になった娘を通じて、何かと影響力を行使できる。嫁ぎ先が上司に当たる守護等の大名であれば、家臣団の中で優遇されたり、摂関家のように家中で力を持てる可能性も出てくる。もちろん、状況によればご質問者の説の通りになる可能性はあると思います。但し、嫁いだ娘は、何か格別な事情が無ければ、実家のことを忘れることはないと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
1.実家の<人質>ですね。
2.実家としては、<義理の>父として影響力を及ぼせるのですね。

お礼日時:2024/09/24 15:26

1.武士も本来は下級貴族ですから、貴族社会の影響が強いです。

女性は実家の利益代弁者でもあります。そのため、上級武士は互いに婚姻関係を結んで深い信頼関係を築いたのです。北条得宗家は、代々安達氏と相互に婚姻関係を結ぶことで強い絆を保ち、幕政のNo.1とNo.2の地位を相互に認め合い補完する関係でした。逆に武家の棟梁である将軍家は、家臣からの影響を受けないよう、貴族から嫁を貰うのが慣例となりました。
2.原則はそうですが、実家に後継者がいない場合、次男三男などに実家の名跡を継がせることもあります。また、婿入り後に離婚した場合もケースバイケースですが、婿が妻子を置いて出ていくことが多いようです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
1.両家の<強い絆を保>つように振る舞うのですね。

お礼日時:2024/09/24 15:22

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