電子書籍の厳選無料作品が豊富!

保守系の学者、政治家、評論家、ジャーナリストは「神武天皇の即位日から2700年近い歳月が経過しているので、日本の歴史は2700年近い」と論じています。しかし、日本で文字が使用され始めたのは仏教の経典が朝鮮半島から伝わった538年か553年頃からです。ゆえに、日本の建国日(神武天皇の即位日)は古文書では調査できません。すると、考古学の発掘調査による出土品で神武天皇の即位日が判明しているのですか?日本の建国時期が”北朝鮮の建国神話(作話)”のように近代になって国家に都合よく作られた作話であってほしくありません。「日本の建国時期の証拠(根拠)」をご存じのかた、ご教示ください。よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    なるほど。すると、元ジャーナリストで参議院議員の青山繁晴氏は神話を信じているのですね。彼は日本の歴史&皇室の歴史を神武天皇即位以来2680年と論じています。現実の世界を扱う国会議員が神話を事実と信じて天皇継承論を論じるのは、何だか恐ろしい気がします。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/07/11 11:28

A 回答 (8件)

そもそもまともな学者なら保守系も含めて神武天皇の実在を信じている人はいません。

神武天皇はイザナギ、イザナミに続く神話の範疇ですよ。

ですので神武天皇の実在を信じている人は、いわば神話という宗教を信じているといっても良いでしょう。現在、10代崇神天皇以降が実在とされています。
この回答への補足あり
    • good
    • 1

>「ゆえに、日本の建国日(神武天皇の即位日)は古文書では調査できません。

すると、考古学の発掘調査による出土品で神武天皇の即位日が判明しているのですか?」

この部分ですが、これは残念ながら間違いです。

現在の2月11日は
あくまでも『日本書紀』の記事から遡っていくと
前660年1月1日が神武天皇の即位した日になるということで、
当時は太陰暦を使っていたので、それを現在使用している太陽暦でいえば、
2月11日になるということで、これを「建国記念の日」と定めて
祀るだけです。

でも問題はその時期に行くまでの間で百歳を超える天皇の多さで
怪しいという人が増えて疑いが向けられているのです。

残念ながら、貴殿のいう「考古学の発掘調査による出土品」という面では
無理ですね。それを示しても、本当にそう解釈するのかという面で
物凄い非難・批判うけそうな面を感じます。

稲荷山鉄剣の「わかたける大王」
志賀島金印の「かんのわのなのこくおう」
という読み方ですが、偉い学者がそう読んだから、
それで行こうと周囲が付和雷同して
みな、それに固執する。
さらにこれに異論を唱えて違う読み方をする人に物凄い非難攻撃を与える。
そして日本史書を蔑み、外国の筈の中国史書を盲信する。
こういう態度ではいつまでたっても道は開けないでしょうね。
    • good
    • 0

神武天皇の在位76年、127歳は残念ながら史実としてそのまま信じる必要はありません。


人間の寿命としてしまうと無理がある。
誇大数値と考えて、本当はもっと小さな数字に出来ると思って研究しましょうね。本当の数値と思ってしまうから架空に見えてしまう。
無念です。
    • good
    • 0

神武天皇即位(西暦BC.660年)を紀元と定めたのは明治5年のことです。


根拠は日本書紀の記述です。
古事記と日本書紀は奈良時代にそれまでの口伝を文書化したもの。
傍証としては中国の古文書に残る日本の記述などもあります。

神武天皇即位紀元(Wikimedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6 …

旧約聖書の天地創造を紀元とする「創世紀元」や、朝鮮神話に基づく「檀君紀元」を語るのと同様、「恐ろしい」ということはないと思いますが。
    • good
    • 0

「日本の建国」とはどのような事象をさすのかとか, 「日本という『国』の歴史と『日本の歴史』とは一致するのか」とか, いろいろ突っ込みどころはありそうだなぁ.



さておき.

神武天皇の即位年については日本書紀の記録をもとに計算した結果だから, その点においては「近代になって国家に都合よく作られた作話」ではないよ... 「近代になって」の部分を否定しているだけであって, 「国家に都合よく作られた作話」であることはむしろ肯定するわけなんだけど.

なお「欠史八代」については, その皇位継承方法からもあやしいとされてるね.
    • good
    • 0

どこかの神話の10万歳とか、仏教の56億7千万年後とか、デカい数字を聞くだけで思考停止になって幸せになれるやつって、うらやましいですよねw



神武天皇ですが第10代の崇神天皇と同じ名前(はつくにしらししみまきのすめらみこと)だったり、間の8人が欠史八代として有名な、もう少しウソもまともに書く気がなかったのか?と思えるような(いや、これだけ明らさまに書いておけばウソと分かるでしょうって温情?w)人たちだったりということで、同じ人物がモデルだっただろうと言われています。
ちなみに神武東征などと言っていますが、生まれ育った本拠地の宮崎を追い出されて捨てて命からがら逃げ伸びて、北九州-瀬戸内の勢力に助けられて、大阪より向こう側はうちらの土地じゃないから好きにして良いよと言われて戦うも大阪でボロ負けして、またしても命からがら逃げてもっと東に行こうとしたら和歌山沖で難破して東へも行けなくなった、という情けないエピソードが書かれているのですが、まぁ誰かの祖先に、そういうことはあったのだろうと私は考えていますw

話はそれましたが、10代の崇神天皇から4代目、第14代天皇に仲哀天皇がいます。彼の妻が神功天皇(皇后)ですね。神功天皇のエピソードに三韓征伐があり、これが朝鮮で見つかった高句麗の広開土王碑に書かれたエピソードと一致するというのがあります。これが、おおよそ西暦390年あたりのことだったようなので、そこから4代逆上るとすると約100年くらい? つまり崇神天皇は3世紀後半の人物で、おそらく神武天皇と同一人物だろう、ということになります。

3世紀後半というと、有名な魏志倭人伝に書かれている頃ということになるのですが、そこには南の狗奴国が勢力を伸ばしてきていることが書かれています。私はこれが熊本菊池の狗奴国が北部九州に勢力を伸ばしてきたものと見て、その少し前に南部九州を制圧したのが、彼が宮崎を追い出された原因で、それがおおよそ3世紀前半にあったエピソードではないかと思っています。

ご参考になれば♪w
    • good
    • 0

もちろん、神武東征は史実です。


誰かの言うファンタジーではありません。
どうでしょう。誇大数値とは思いますが、
『本朝皇胤紹運録』に
天照大神:十万五千年
天忍穂耳命:百七十九万四千三百年
ニニギ尊:三十一万八千五百四十二年
火火出見尊:六十三万七千八百九十二年
鵜葺草葺不合尊:八十三万六千四十二年
とあり、
三代合計して
318542+637892+836042=1792476
となります。
この式の右辺の数値は『日本書紀』にも記載。
どうでしょう。貴方も興味がお持ちなら、ついでにこの謎解きにも挑戦してみてはどうでしょう。
    • good
    • 0

日本書紀は日本を神仙の住む悠久の歴史を持つ神の國に仕立てるために


敢て前660年に即位したことにしようと決めたのです。
100歳を超える天皇は居ません。
在位も年齢も加工数値。
ただ諸説あって解明は難題。
邪馬台国解明が諸説あって解決しないように
解明にはまだ長い論争が続くでしょう。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A