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日本の本来の国名は「豊葦原中津國」(とよあしはらのなかつくに)だった。

ってどういう意味ですか?

卑弥呼の時代でも日本ではなく豊葦原中津國だったの?

いつの時代から豊葦原中津國で、いつの時代から豊葦原中津國から日本に日本は変わったの?

A 回答 (3件)

日本神話において、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界・・・すなわち我々の今いるこの世界です。

日本神話が書物になったのは古事記や日本書紀なので、たとえば古事記は稗田阿礼(ひえだのあれ)が『帝紀』『旧辞』に書かれていたことを覚えていて、それを太安萬侶が編纂して古事記ができたということになっています。
古事記ができたのが712年なので、卑弥呼の時代に日本神話があったものかどうかは不明ですね。おそらくその頃、外国からは「魏志倭人伝」の「倭」と呼ばれていたのではないでしょうか。

「日本書紀」が編纂されたのが古事記より少しあとの720年なので、おそらくこの頃神話での豊葦原中津國ではなく、対外的な呼ばれ方「倭」から「日本」に変わったのだと思います。
もちろん「日本」とは中国から見て太陽が登る方角「日の本(ひのもと)」から来ていると思います。
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この回答へのお礼

みんな有難う

お礼日時:2019/04/19 17:55

「豊葦原中津國」とは、「天界と地階の真ん中で、動物界と区別されて人間が住む国」と言う意味で、これは「自分たちの存在が自然の中で特別な意味をもつ」ということです。

あくまでも「自分たちの神の意思と人間と動物たちを区別すること」が目的の言葉なのです。

同様な言葉は他国にもあって、中国の文明発祥地は「中原」と呼ばれます。意味は「中つ国」でなぜ「真ん中」なのかというと「野蛮な周辺の東夷,西戎,南蛮,北狄とは違って文明がある」という意味を持たせたかったからです。
 英語にもmiddel-erd(現代語はMiddle Earth)という言葉があってもこれも「人間が住む地域」と言う意味です。

ですから卑弥呼の時代「豊葦原中津國」と行ったのは「近隣の文化の低い豪族や蛮族とちがって、ここには文明も神もある人間が住むところだ」と言う意味です。

もちろん中国大陸にも「中つ国」があることが分かっているので、交易するためには「自分の中つ国の名称」と「他の場所にある中つ国の名称」が必要になります。それが国名で日本の「豊葦原中津國」は他の国の人々に「倭」として知られていたのです。

その倭国が日本になったのは7世紀です。
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豊葦原中津國ってのは、”良い国”ってのを少し長く具体的に言ったものです。


中津國は、天と根の国との間って意味だったかも。
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