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今日の日本人の愛國心の希薄さを、単にGHQの占領政策に帰結させるが如き発想は単細胞的なものに他ならず、もつと奥深く日本の歴史的背景を考える必要があるのではないか?
すなわち、大陸諸國が度重なる戰乱と文化の断絶、民族の入れ替わりを経験し社会の停滞を招いたのに對し、西欧羅巴と我が國はその地理的要因から相当安定した社会を築いてきた。これは大陸諸國において国家権力の強大なるを正当化し、對して我が國と西欧羅巴に於いて國家とゐふものを希薄にした。但し西欧羅巴に於いては宗教的背景とい点で我が國と相違していると云わねばならない。西欧羅巴に於いては、國家と人民との間に宗教的対立が存在し、人民は國家から信教の自由を勝ち取った歴史があり、人民と國家の間には相当な緊張関係が存する。これに比して我が國では宗教的なものはそもそも人民の側にも國家の側にも気薄であり、人民と國家との対立、ましてや人民と天皇乃至統治者との対立とゐふのが欧羅巴的基準から考慮すると無に等しいのである。すなわち我が國に於いては人民と國家との間に一種の緊張関係がまるでないのである。緊張関係の欠如はすなわち人民が國家とゐふものを意識しないことでありそれはすなわち国家に対する愛着や忠義とゐつたものが元来日本人に不向きなことどう同根であるように思われるのである。
以上は私的な考察ではあるが、無論反論は予の知的好奇心を満たすものに他ならず大歓迎である。

A 回答 (6件)

どこかで自虐史観が格好良いものとの刷り込みがあった。

それを特に感じるのが、教育委員会。

第二次世界大戦を境に帝国主義が終焉を迎え、15年くらいの遷移期があったのだけど、何でか戦後直後に、しかも戦前戦中の帝国主義さえ否定してしまうのは何だかなぁという気がする。実際のところは再独立後の日本の社会党なんかでも死刑になった戦犯を全く否定しなかったから、その遷移期の歴史観さえ捏造されて伝わっているのだと思う。
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>西欧羅巴に於いては、國家と人民との間に宗教的対立が存在し、人民は國家から信教の自由を勝ち取った歴史があり、人民と國家の間には相当な緊張関係が存する。



その通りだと思いますが、これは「近代国家とはなにか?」という命題に帰すると考えます。

西洋諸国の人民が勝ち取った「信仰の自由」はさらに啓蒙思想的個人主権に発展していきます。それは萌芽しつつある近代資本主義を発展されるために必要なものであったといえますが、しかし「個人が平等で自由」というのは、当時の封建的社会を崩壊させ、そのままでは《社会そのものを崩壊させてしまう》という危険をはらんでいたといえます。

アメリカ独立宣言とフランス革命は封建制を廃止し、近代民主主義社会に移行した最初の事例ですが「絶対的君主という国家の中心を排除して、人々を社会集団としてまとめる求心力をどのように維持するか?」が大きな命題であったといえます。

そして彼らはキリスト教思想を利用し「主は人を自由で平等な個人として創造し、この土地をそれらを実践する人たちの国として与えた」としたのです。

これが近代国家の精神的支柱であるといえます。

ただ、イギリスはこの方式を使わず立憲君主制という方式を取りました。これも「主は人を自由で平等な個人として創造し、この土地をそれらを実践する人たちの国として与えた」という点ではフランス革命と違いはないのですが、唯一違うのは「とはいえ国家の求心力は君主にあり、主は君主にその権威を付与している。ただしこくんと権力者は平等であるので、君主の権力は憲法によって制限してよい」という考えになっています。

このような近代国家としてのイギリスの考え方は明治憲法に大きく影響を与えたと言われているが、日本の民主化の問題は、質問者様が指摘するように「すなわち我が國に於いては人民と國家との間に一種の緊張関係がまるでない」という点にあったと言えます。

しかし同時に日本は「国家」という概念も存在していませんでした。なぜなら西洋諸国や米国のように「外敵と戦い維持すべき国土領域」が希薄で「人民=市民=国民」という形に移行することが困難で、ほとんどの日本人は「幕藩の中の領民」という認識でしかなかったからです。

これを近代国家の市民として教育し、徴兵で「国家を守る国民の目的意識」を造成するのは、西洋諸国にはない日本の(そしてアジア国家の)最大の課題であったといえますし、それに利用しうるキリスト教などの「国家を装置的に俯瞰できる概念」もまた存在しえなかったわけです。

結果として、日本政府は「天皇をキリスト教的な《主》と同等の位置に設定し、日本人を臣民として近代国家の概念を浸透させる」という方法を思いつきます。これはもしかしたら当時、世界的に見ても画期的な方法だったかもしれません。

そして結果的に日本人は「国家=天皇」という形で近代民主主義国家日本を形作ることになります。ただ、あまりにもうまく行きすぎて「天皇万歳」が国家を守るための合言葉になってしまったりもしました。
 
でも当時はこれが普通だったのだと思います。徴兵制度があり「お国のために死ぬ」というのは当然の考え方であったわけで、それが国家=天皇になるのは当然の帰結でもありました。

さて、太平洋戦争(大東亜戦争)で日本は連合軍に大敗し占領することになります。歴史の皮肉なのは、このときGHQの主体になったアメリカが「君主を持った歴史がない、思想的な民主主義国家」だったことです。

つまり、英仏などのヨーロッパ人ならそこはかとなく理解している「君主は国家の求心力である」ということを全く理解していない人たち、思想的にもそういう体験を全く有していない人たちが日本を占領したことです。

この点からみても、質問者様が指摘する「今日の日本人の愛國心の希薄さを、単にGHQの占領政策に帰結させるが如き発想は単細胞的なもの」という内容はその通りだと同意できます。

つまり《もし本気でアメリカ人が【君主がもつ求心力】を理解していて日本を民主化するなら、別の方法がいくらでもあった》ということになるわけです。

とはいえ、私は「今日の日本人の愛國心の希薄さ」は嘘ないし日本人を過小評価しているものだと考えます。これは海外生活で日本を見た実感です。

戦後の日本人はたしかに「天皇=国家」という図式をGHQによって壊されました。しかし「そもそも日本国がなぜ日本国であり、なぜこの島々が日本の領土であり、そこに暮らす私たちが日本人なのか?」という根源的な問いは、実は一つも揺らいでいないのです。

あ、いや、左翼はこれを疑問視しています。だから「日本は日本人だけのものではない」とかいうわけですが、それはちょっとわきにおきます。

「明治時代も同様だったのではないか」と想像しますが《江戸時代の幕藩の領民》というのが一般的な当時の人々の感覚であったとしても、幕藩の指導者層は「とはいえ、天皇が日本の要である」という認識は持っていたはずです。なぜなら「将軍は代替わりの都度、天皇の許可を受ける」とか「戦国時代の天下取りとは、結局天皇から将軍に任命してもらう事だった」という認識はもっていたからです。

つまり日本人のエスタブリッシュメントは「日本国のオーナーは天皇であり、私たちはそこに住み、天皇に協力することが国家発展の基礎である」という認識は無意識に持ち合わせていたのだと思います。

この点において、司馬遼太郎は著書「この国のかたち」の中で【私は「土」と書いてクニと呼びたい】と冒頭にかいています。この土とは(司馬はいいたがらないが)「歴史的に天皇の権威が及んできた領域」を意味するわけで、日本人の無意識の「国家意識・国土意識」には相当昔から「天皇の支配領域=日本」という認識があったと私は考えています。

ただ「天皇の支配領域が日本でも、私の生活は自分の藩の領主様に依存している」という認識であったのでしょう。

この認識は、間違いなく今の日本人も有しています。ということは「日本人の愛国心の源である、領土意識・歴史意識・文化意識はいささかも減じていない」という事になると私は考えます。

ただ、明治から昭和の時代のように「西洋列強に伍して、主権国家を維持するために頑張らないといけない」という差し迫った危機感がないから、愛国心が表面化しないだけ、でしょう。

実際、東日本大震災の時には世界中の人たちが「日本社会が崩壊した」と思ったはずです。しかし被災地はパニックにならず、それ以外の地域は協力して物資を運び、自衛隊は不眠不休で捜索復旧にあたり、なおかつ被災地の人たちは米軍などの支援者に感謝の意を表すことも忘れませんでした。
 また、計画停電も日本国民が一丸となってのりきったわけで、まさに太平洋戦争時の「欲しがりません。勝つまでは」と同じ状態であったといえます。

コロナ禍もそうです。欧米のように「市民は思想的に自由で行動も自由」なら国家危機に際して「国家が強制的に指導する」しかありません。日本は(悪い面もあるとはいえ)政府の「要請」だけで、乗り切れたわけです。

これほどナショナリズムが具体的に結実し、国家社会を守る国民意識がある国、がほかにどれぐらい存在するのでしょうか?

私はこれこそが司馬氏が想定した「土(クニ)」だと考えています。そしてこれはまさに愛国心そのものだと思います。日本人の愛国心は戦後、外国との戦いが不要になったために「表面化しにくいだけ」で、世界でも有数の愛国心を持つ国だと考えています。
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単純にグローバル化と共に愛国心とか選民意識とかは希薄になるんじゃないでしょうか?


日本は島国で移民も受け入れていないけど先進国なのでグローバル化しており(英国は下手だけど)、その分愛国心が薄れてるかと思慮します。
自分的にはワールドカップとかオリンピックの時しか「日本頑張れっ」てならんかなー
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結局は、明治政府の、何も考えずに権力に盲従させる愚民化政策がブーメランとして返って来ただけ。

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GHQの前に黒船がありますよ。


国も自由も民主主義も、日本の庶民が自分たちで戦って勝ちとったものではなく外国や偉い人たちがもたらしてくれたものでしかないので自分たちで守ろうという意識もないのだというのは、よくいわれる話です
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