大人になっても苦手な食べ物、ありますか?

ベジタリアンやヴィーガンの人たちは語りますよね、動物は恐怖や悲しみを感じれるから食べてはいけないと。
それに対して植物である、野菜や果物などは捕食されるとしてもそもそも動けないのであり逃げられないのだから、食べられるときに苦痛も恐怖も感じる意味はない。 
つまり植物に【心】や【感情】のようなものは存在しないのだから、我々人間は植物は食べてよいという認識だそうです。

ですが、こんなことも知りました。
サバンナアカシアの樹々は、高く伸びることで草食動物たちから葉をかじられるのを防いでいます。
しかし、最も背の高い草食動物であるキリンからはちょうど葉を食べられてしまうそうです。そのため、一本のサバンナアカシアの木がキリンにかじられると、メチルジャスモネートという揮発性物質を放出するそうです。

半径500メートルにまで広がり、その信号を受けた他のサバンナアカシアの樹々は、すぐにタンニンという苦み成分を分泌させて渋味を出します、そうすることでそれ以上キリンたちによって同族が不味くて渋すぎて食べられないようにしあっているようです。
https://ameblo.jp/oldworld/entry-11155698053.html
http://skyspa.blog.fc2.com/blog-entry-903.html?sp

またさらに一方で、野菜や果物も必ず何らかの毒素を持っているそうです、毒素をいくらかは持ってないとあらゆる他の生物から食われ放題になってしまいますので。
例えば人間が美味しく食べているタマネギやニンニクやチョコなんかは、飼い猫や飼い犬に食べさせてしまうと、毒であり死にかねないそうです。
人間はタマネギやニンニクやチョコの成分(毒素)を分解できる酵素を体内に持っているから、食べても平気なんだそうです。

もちろん私も無意味に動物や植物を殺したり、絶滅寸前まで乱獲するのは反対です。 しかし、人間も他の生物から栄養を摂取しなければ生きていけません。
その際に、動物は苦痛や恐怖を感じているから殺して食べてはいけないけれど、植物は感情や心を持っていないから、苦痛や恐怖も感じることはないために野菜や果物は食べてよいというのもまた、少々一方的な思想や決めつけではないでしょうか?

私は上記の植物も捕食されることからの防衛機能を鑑みて、植物にも何らかの心や感情があるように感じているのです。 もちろん私たちのものとはかなり異なっているのかもしれませんが・・・。

もちろん賛否両論あるでしょうし、多様な考えがあると思いますが、上記の事を読んでどう思われますか?

特にベジタリアンやヴィーガンの人からの回答を聞いてみたいです、もちろん他の皆さんからの色んな回答も待っていますね。

A 回答 (3件)

偶然ですが、あなたが言ったことと共通しているのですが、「ベジタリアンの人は植物に関しては特別気を使って食べることはしないけど、お母さん、植物も生きてるし心があるんだよ」と私の友達の娘さんが、友達に話したことがあったそうです。

(友達も娘さんもはベジタリアンではない)

私自身はヴィーガンではありませんが、月1回のヴィーガン料理教室に長く通っていました。玉ねぎは気持ちを乱れさせるということで、食材に玉ねぎを使わせることはありませんでした。

私にもベジタリアンやヴィーガンの友達がいます。スープやお菓子を手作りした時、すぐに手をつけてくれません。冷果にゼリーを使って作られたことを知ると、残念がります。「動物性だからね(ゼリーが)」と言って食べてくれない時があるんです。スープにひき肉の団子が入っていたり、お肉の欠片でも入れてしまうと、やはり動物性の食材を嫌がります。

スープの中をしっかりチェックしている様子を目にして、こだわりをもって食事する人は大変だなと思ったものです。食の信条に合わなかったものを口にしたと知った時の後悔の表情も、何でも食べてしまう食いしん坊の私には驚きでした。

山菜採りを趣味にして、食卓を美味しい山菜天国にしてくれる人達は、その季節ならではの味の味わいに幸福感を見出しています。山菜は人間に食べられるために存在していると言わんばかりです。

けれど、植物だって動物と変わらず命を身体に蓄えた生物です。命を蓄えている生物には生物なりの気持ちや心もあるのではないかと、感じるようになりました。人間は命のあるものから大切な命を犠牲にさせてもらって、自分たち人間の命を繋いでいると思うようになりました。明日も生きられたかもしれない山菜や果物の命を摂取して、食べ物に変えていると思ったら、粗末な食べ方は失礼だと思います。丁寧な食べ方を心がけ、摂取した命を使い切らせていただくことが大切と思いたいです。

フードロスが問題になっています。食材になっているものが元々どこからやってくるのかを考えると、人は食べ切る分だけ食するようにし、食材の命(野菜など)を無駄にしないよう意識した方が良いと思うようになりました。

魚でも乱獲するといつか食べられなくなります。

野菜でも魚でも私達の食材になってくれたことに,ありがとうという気持ちをもち続けたいものですね。

日本語の「いただきます」には作ってくれた人にだけでなく、食材に対する感謝の気持ちも含まれていると思うのです。いただきます、の気持ちがある限り、犠牲になってくれた野菜などの命も浮かばれるのでしょう
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この回答へのお礼

Thank you

ベジタリアンやヴィーガンの人たちには、山菜採りを趣味にしている人もいるんですね。 山菜には慈悲を向けてあげてないようです。
フードロスを減らすとか、食材に感謝するのもまた、立派な生き方であるようです。 ベストアンサー差し上げますね。

お礼日時:2024/03/11 10:47

植物も生きています。



なので、そういう事を考えると食べられる物が無くなって、生きていけないので、考えないようにしています。
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この回答へのお礼

ありがとう

ふむふむ、植物も生きているけれども、それを考えると何も食べれなくなってしまうから考えないようにしていると。 まあ、そうなりそうですよね…。

ちなみにhimawari223さんは、ベジタリアンなのですか? よければ教えてほしいです。

お礼日時:2024/03/09 15:44

自分の得た知識を、自分で感じているだけか、感じたことを実践しているかの違いです。



アフリカアカシアの話をどう思うかといえば、アカシアを食べるために1000万年前に首を長くしたキリン対策にはなっても、タンニンを鳥類は苦味を感じないように数億年前の進化しているので、アフリカアカシアはその程度の浅知恵しか持ってない弱者なのでは?と感じてしまいます。

アカシアを独占するために首を長くする努力し、首だけ論じられて足も舌も長いことは話題にされない努力家のキリンさんのほうが、アフリカアカシアの知恵より好きです。

で、こういう得た知識を楽しめ、他者と話題を拡張できるのが知性であって、
自分を縛って苦しめる教養を持つ人って、教養を活用する知性的な生き方ではないなとも感じています。
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この回答へのお礼

ありがとう

色んな考え方があるんですね、自分を縛りすぎるのも良くないようです。
回答ありがとです。

お礼日時:2024/03/11 10:45

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