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添付の写真は碓氷峠にある有名な「碓氷第三橋梁」という煉瓦橋脚です。
この橋脚の中央辺りにある図示した突起は何の為にあるのでしょうか?
またなんと呼ばれるものでしょうか?
他の煉瓦橋梁でも見つけたのですが、説明が出来ず困っています。
この突起が無い煉瓦橋梁もあるのですよね。
どなたかよろしくお願します。

「この突起はなんと呼ばれ何の為にあるのでし」の質問画像

A 回答 (4件)

違う橋に関する資料ですけど(コンクリート製)基本的な構造は同じなので


工法も同じような感じだと推測します
こちらの資料の写真ページの下に施工方法がイメージ出来る図面がありますね
https://arch-bridge.sakura.ne.jp/archkouji.htm

上部のアーチの部分を工事するには一旦アーチ型の枠というか支えが必要になります
レンガが組み上がってしまえば荷重は橋脚が支えますが、組み上がるまでは支えないとそのまま落下してしまうので
その枠を組む際の足場というか足がかりとしての構造だと思われます

橋脚が長く橋床が高い位置に有るので地表から土台を組んで枠・支えを構築するのが難しいので、橋脚の途中に足場を組むんだと思われます

残念ながら名称は存じません
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この回答へのお礼

詳しい解説へのリンクありがとうございます。

お礼日時:2024/05/24 12:04

アーチを補強する際に型枠(アーチセントル)を支えたものです。

補強が完了すれば型枠は外しますが、その支えだけは残りました。

https://www.zenitaka.co.jp/topics/bridge/constru …
https://seko-kanri.com/katawaku-shihoko/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/05/24 12:04

専門家ではありません。

不完全な回答ですみませんが、このPDF資料にヒントがありそう。

https://www.jcca.or.jp/kaishi/262/262_toku1.pdf

>現在の橋脚上部に残る石の突起部は、煉瓦アーチ積み
のためのアーチセントル(支保工)の支えである。高欄部
には装飾として、強度が強く耐久性がある焼過煉瓦が用
いられており、意匠上の配慮がうかがわれる。

>鉄道開通の翌年となる1894(明治27)年6月、東京湾北
部で起こった地震により、軽井沢側の第4アーチと第2橋
台に数箇所の亀裂が生じた。これを受けて同年と翌年、
第4アーチと第3橋脚、第2橋台の補強工事が行われた。
さらに翌1896(明治29)年にも、続いて導入される新型機
関車に対応するため、第1~3アーチの補強工事が行わ
れた。これによりアーチが厚くなり、橋脚は当初の約2倍
の太さとなった。スマートだった外観はこの時に失われて
しまった。



支保工とは大型の建物を作る時に作る仮設支えのことなので、
アーチを組むために必要な何か?
(小さい突起ではなく、横一文字に飛び出た部分のことかも)

補強工事を二回行って橋脚が倍の太さになったということは、突起部分は後付けされたものかも。
建築時に必要な構造ではなく、補強に必要なものかも?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2024/05/24 12:04

私は土木系では無いので、正確な事は分かりませんから参考情報です。


耐熱煉瓦でアーチ炉を築炉した後に、炉乾燥と言って1,200℃×48時間くらいで目地を焼き固めるのですが、その時に少しだけ収縮しますから緩んだ部分には楔を打ち込みます。
炉の場合は耐用年数を50年くらいで設計しますし、楔の余った部分は切り落として邪魔にならないようにしますから外見上は残りません。
何百年も使う土木建築物の場合は、焼き固めたりしませんし長期に亘って収縮し続けるでしょうから、10年に一度くらい点検して緩んでいたら更に打ち込めるように長めの楔を切り落とさずに残しているのかもしれません。
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この回答へのお礼

うーん・・・

お礼日時:2024/05/24 12:01

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