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東條英機は、終戦時なぜ自決しなかったのですか?
連合国に占領されたら、極刑待ったなしなのは想像ができなかったのですか?

A 回答 (5件)

既に述べられていますが、東条は自決に失敗しましたが、


その後も自決しなかったのは天皇陛下に類が及ばない為です。

天皇陛下とマッカーサーの会見で、天皇陛下が
「私は全面的に責任を負いたいと思う」
と述べられたことは有名です。
しかし、これが公表されたのは1955年9月と10年もたってから。
これは、マッカーサー個人は感動したとしても、公表すれば
中国やソ連などが責任問題を追及するのは明らかでした。
これによって退位。訴追ならまだしもムッソリーニのように
処刑や遺体の晒しものになったり、汪兆銘のように死後の凌辱や
陵墓の破壊などされれば日本国内の反発は必至です。

このことからマッカーサーとその部下が中心になって東京裁判前に
万が一にも天皇陛下に責任が及ばないよう東条らに釘を刺したうえ
日本側の弁護団にもその方針での弁明を行うよう指導しました。
マッカーサーの記念館の公文書には死刑判決直後に天皇陛下に
退位しないことを申し入れしたことが残っています。

まあ、有名な「富田メモ」だと昭和天皇は靖国神社への合祀に
反対だったみたいですが、マッカーサーの配慮に則ったのか
東条が嫌いだったのかはわかりません。
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実はヘタレだったりして・・・笑

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自殺しようとしたのですが


失敗しています。

これに対しては、演技だ、という
批判もあります。


杉山元大将の妻、啓子さんは
短刀で自害しています。

女性でもこういう覚悟があったのに、
ピストル自殺で、しかも失敗する。

ちょっと情けないです。
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そうですね。



陸軍大臣だった1946年に東条英機が全陸軍に発した戦場での心得「戦陣訓」では「生きて虜囚の辱(はずかし)めを受けず」という文言があり、敵の捕虜になっては恥だ、捕虜になるくらいなら自決しろと教えていました。

そのため絶望的な戦況になった場合は降伏をせず、徹底的に全滅するまで戦うか自決する事が美徳とされ、「玉砕」の名のもと多くの戦死者をだしました。

なお、東条自身は、拳銃自殺に失敗して巣鴨刑務所に収容されています。まさに「生きて虜囚の辱めをうけ」ているといえます。そもそも私なんかで思えば「どうやったら拳銃自殺で失敗できるのか」が疑問ですね。

なお靖國神社への東条英機の合祀についても付言します。
東条英機は、昭和19年7月15日「靖国神社合祀調査及上申内則」 をだしています。この中で、

一、靖国神社への合祀は戦役事変に際し、国家の大事にたおれた者への神聖無比の恩典。上申は公明に行え。
一、「合祀上申」とすべきは戦死者または戦傷死者、「特別合祀上申」とすべきは
(1)戦地においてマラリア、コレラなど17のいずれかの流行病で死亡した者
(2)自己の重大な過失によらずに負傷または病後に死亡した者
(3)戦地以外で戦役、事変に関する特殊勤務に就き、負傷または病後に死亡した者とする。

この基準で言えば、東条英機は戦死者または戦傷死者でもないですし、戦病死者でもありません。また戦地以外で特殊任務についていたわけでもないです。ですから合祀するというのは本人の意にも反すると思うのですけれどね。
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ピストル自殺を図りましたが弾が急所をはずれたうえに張り込んでいた米軍関係者が逸早く病院へ運んだため助かりました。



↓真ん中あたりにその詳細があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D …
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