餃子を食べるとき、何をつけますか?

言語IQが高いので、普通の人が理解できない文章が理解できるゆえに、私の文章は理解されないことがある。

自分が理解できるように書くと、読んだ人は違和感を感じると言う。


例えば「別居中の前妻とは事実婚である」という一文。

これは、妻とは戸籍を別けた(離婚した)が、関係は続いており、かつ別居中である。という意味なのですが、この一文には2人の女性が登場しなければ成立しないという感想を述べる人もいて、私の文章は難解なようです。

人に伝わる文章を意識して書くと、芸術性が失われます。

アーティストである私が独自の文章を書くと伝わりません。

物書きの才能がないってことですか?

A 回答 (15件中1~10件)

老害なものでスマホのアプリには馴れておりません。


間違えてしまいましたので訂正させてください。

✕「前妻とは別居中だが事実婚のような関係にある」も「前妻とは別居中だが事実婚のような関係にある」と表現、、、



〇「前妻とは別居中だが事実婚である」も「前妻とは別居中だが事実婚のような関係にある」と表現した方がまだわかりやすく誤解も招きにくいのではないでしょうか。

すみませんでした。
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言語IQとは、言語性IQのことでしょうか?


それでしたら、物書きの才能とは別物です。
「アーティストである私が独自の文章を書くと伝わりません。」は当然でしょう。アートとしての文章と、伝達を目的とした文章を区別されてみてはいかがでしょうか。

「前妻とは別居中だが事実婚のような関係にある」も「前妻とは別居中だが事実婚のような関係にある」と表現した方がまだわかりやすく誤解も招きにくいのではないでしょうか。ただし、『事実婚』とは『内縁関係』とも言われ、「戸籍上の手続きはないものの『生計をともにする』男女」のことを言います。『生計をともにする』は一般的には「同居またはそれに近い状況」のことを指しますから、「別居中で事実婚」はなかなか受け容れてもらえない表現だと思います。私でしたら、「別居中の前妻とは通い婚(の様な状態)である」、「前妻とは別居中だが『通い婚』のような関係にある」などと表現したいと思います。
言葉の持つ意味を変えてしまったのでは、芸術性かどうか以前の問題だと思います。
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アーティストってたいてい死んでからその価値を認められるので、そのままでいいんじゃないでしょうか。

物書きの才能ってのは別もんだし。
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1)そもそも「言語IQ」なるものが定義されていないので、


「言語IQが高いので」
というのがどのような状態を指しているのか、判断できない。
「言語IQ」というものは質問者さんの頭の中にしかないので、何を伝えたいのかは他人には知りようがない。
ここから判断すると、質問者さんは
言葉の意味をよく理解しないまま、思い付きだけで言葉の羅列をしてしまうのかもしれない。
何を伝えたいのか、についての意識がないまま、言葉だけを羅列してしまうのかもしれない。

2)「普通の人が理解できない文章」というものが何を指しているのか明確でない。
例えば素粒子論の最先端の論文は、普通の人が理解できない文章である。
古代エジプトの象形文字で書かれた文章は、普通の人が理解できない文章である。
精神分裂症の人が書いた文章はしばしば普通の人が理解できない文章である。
西田幾多郎は何かの本の中で、「自分の書いた本は、読者にわからなくするように書いているので普通の人が理解できない文章である。」という趣旨の発言をしている。

質問者さんの言う「普通の人が理解できない文章」が上記のうちのどれに該当するのか、それともこれらのどれでもない他の文章なのか、記載がないので、質問者さんが何を言いたいのか、他人には知りようがない。
従って、質問者さんが何を言いたいのか他人には伝わりようがない。
ここから判断するに、質問者さんは、何を伝えたいのか決めないまま単語を羅列しているのではないか、と思われる。

>人に伝わる文章を意識して書くと、芸術性が失われます。

絵画や彫刻などでは、見る人によって感じ方が違うのが芸術性だと言われることがしばしばあるように思う。アートであるならば、読み手によって伝わり方が違うことがその文章の芸術性であるような文章があっても良いように思うが、いかがか?

>アーティストである私が独自の文章を書くと伝わりません

伝わるように書くのは論説文であると思う。伝わらないことが問題であるとは思わないがいかがか?

>物書きの才能がないってことですか?

伝える才能がないのかもしれない。ゴッホは生前は全く評価されなかった。これはゴッホが独自の絵画を描くと伝わらなかったためであると考えられる。絵描きの才能はあっても伝える才能がなかったのだと思う。
物書きの才能があるかどうかは知らないが、伝える才能はなさそうに思う。
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>>自分が理解できるように書くと。



ここには、EQ問題。
感情知能指数。

それも必要かも。

常識的な…理解の水準。
そこに合わせる知能が要ります。

…ところで。
一例でしょうけども。

「別居中の前妻とは事実婚である」という一文。

>>妻とは戸籍を別けた(離婚した)が、
>>関係は続いており、かつ別居中である。という意味なのですが

これって。
今妻は…居なくて?!

っと。
その文だけでは、解釈パターン複数出来るのでは。

そもそも…正しいの?!
独自ならば…正解?!
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私はプログラマですが、


「別居中の前妻とは事実婚である」
と書きたくなる気持ちは解らないでもありません。

要素から無駄を取り去り、正規化した結果に見えます。
私は普段これを「美しい」と表現し、システム作成時に尊重しています。

しかし、これを機械的に進め過ぎると、
「何をしたいのか判らない部位の集合体」になり、
人々に迷惑や損害を与える結果になります。

その為、上記「美しい」は尊重しながらも、
各々の部位の「何をしたい」をはっきりさせる、かつそれを壊さない事を、最も重視しています。
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知識とかっていうのは、自分しか分からないものだと知識ではなく、


ただのわがままに変わってしまいます。
人に伝える、伝わるものに直す学力があって初めて知識としての第一歩を
歩めます。

あなたはそれの反対だから、芸術性が失われるではなく、初めから無い、
といえますね。
回りが悪いんじゃない、あなた自身が悪いと思います。
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頭良すぎる人が凡人には難解な文章を書くことは確かにありますが。

知り合いに、東大卒で若くして旧帝大教授になった人がいます。この方の書く文章は構文が複雑で一読しただけでは意味が頭に入ってこない、読むのに苦労しました。

しかしながら、貴方の場合は単に自分勝手なだけです。IQ高いのかもしれませんが、物書きとしては失格。
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>物書きの才能がないってことですか?



羅列した単語を並べているだけですね。情景を説明できないのだから才能はないです。
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辛口になります。

ご容赦ください。

言語の能力とは難解な言葉をもてあそぶことではありません。
他の人と円滑なコミュニケーションをとることができるのが言語能力です。

貴方が例に出されている文章などは、そもそも他の人にわかってもらおうという気持ちが全く感じられません。言葉は自己満足のツールではないのです。

「人に伝わる文章をかくと芸術性が失われる」などというのは貴方の思い上がりにしかすぎません。人に伝わらないなら文章ですらないのです。

残念ながら、読み手のことを考えられない貴方に物書きの才能があるとは思えません。
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