一回も披露したことのない豆知識

浄土宗の仏事について質問です 夏に何回忌などと称して 住職がやって来られて 念仏を唱えて行かれます。
この地域一体もう他の家々については同様です
さて その時にお金を渡す風習があり 施餓鬼と称して 3000円から1万円を 住職へ渡すようです

まずお寺の維持にはお金がいるのは当たり前ですので 寺に自主的に寄付することについては 全く同意いたしますし 問題ございません

施餓鬼について 人工知能へ 尋ねたところ あの世へ行った家族が喉が渇いてお腹が減って苦しむ 施餓鬼という場所へ落ちているのだからそのような家族を救済するために野菜や飲み物などを仏壇に備えるのだそうです

私の先祖 や ほぼ全ての家族の先祖がそのような苦しみを受けている場所に行ってしまったということを 仏教会 全体として唱えているのかということが不思議に思い 人工知能に尋ねました

生きている時に行いの 良くなかった人たちが そのようないわば 地獄に行ったという風に元々は解釈されているようです

あの世は極楽とそもそも念仏を唱えて救済されることをしてきているわけで死んでしまった後に いや そうではなくて地獄に行って 喉の渇きや悲しみや お腹を空かせているのだから などと解釈が急に変わっているので 非常に奇妙です

親戚が年に一度 集まり 穏やかに話し合って互いの健康や 近況を語り合う 宗教的なイベントとしては とても意味があると思います

しかし人々の恐怖心を煽って地獄に行ってるからとか仏壇に非常に多くの野菜や 飲み物 食べ物を強制的に提供させ そして ほぼ毎晩 念仏を唱えさせるという強制的な習慣が私にはとても理解できません
もはやそれは宗教ではなく人々の恐怖心に付け込んだ 集金行為だと思います

私の場合はたまたま 地域が衰退し 常駐している住職がおらず 隣町の寺の住職が大きな顔をしながら 拝みに来てやっているというような高圧的な態度で家に上がってタバコを吸い 酒を飲みくだらないことを言って 非常に世俗的です
白木の位牌に書く感じも明らかに酒に溺れながら書くような汚い字であり 宗教人とはとても呼べそうにはありません もうなくなった 彼の父親も酒癖の悪い 住職でした

何回忌などという都合のいい名前をつけて この住職がやってくることや地域の人たちが まるでバチが当たらないようにと願いながら 宗教的な行事ということに漬け込まれている状況が本当につらいです

何回忌などというものはどうしてもしなくてはならないのでしょうか 一番知りたいのはこの住職が心を改める方法です

地域に競争がなく寺がたくさんある地域ではありませんので
この住職のいるお寺しか他にありません

残念ながら 地域の住民は70代以上が 多く 特に意味を考えずに 習慣的に そして罰が当たらないように などという発想で自治会ごとこのような行事をしています

質問者からの補足コメント

  • 回答いただきました ありがとうございます

    お墓の話はそれぞれの家庭の話であって その家族の心が少しでも癒されるように手伝うのが寺の役目です

    寺のためにそれぞれの家族があるのではありません

    墓じまいをする必要はなく
    その寺の そのような住職 こそが
    寺をしまうべきです

    お墓に原因は何もなく
    住職 や寺に原因があります

      補足日時:2024/07/28 00:28
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A 回答 (2件)

年忌法要は、そもそも仏教の教えとは何の関係もありません。

仏教ではそんな事を定めてはいません。かつて親鸞上人がそこを指摘されていました。だから親鸞上人ご自身自分の親の年忌法要はされませんでした。ですから、私も今は親や祖父母の年忌供養をしていません。
年忌供養というのは、さかのぼれば江戸時代の檀家制度に由来するものです。つまり日本国民は全てどこかの寺の檀家に所属することが決められました。そうすると、寺の住職を檀家が養う必要が出て来ます。そこで、檀家は葬儀、年忌供養など色々寺の行事を無理に作ってその都度謝礼としてお布施を渡す事で住職を養って来た訳です。だから、日本特有の風習です。仏教とは関係ありません。(笑)
そもそも仏教は生きている人を救う事を目的としています。死者の魂を弔う事を目的としていないので、全ては檀家が住職を養うための詭弁です。
それに、そもそも人は死後10〜20年したら再びこの世に生まれ変わります。
つまりかつてこの世で生きていた○○さんの魂は、別の人物の身体に宿り別の人生を生き始めるのです。だから、もうその時霊界には○○さんの魂はいないのに何で〇〇さんの年忌法要を10年以上も延々とする意味がありますか?(笑)
・・という話です。ナンセンスでしょ?

それと、施餓鬼ですが、確かに先祖の中には餓鬼道に落ちている人もいるんですよ。
・・で、その人の魂が時折その子孫に悪さをする事があるんです。何かを恨んで死んだ人の魂は特にね。だから、そのご先祖たちの霊が子孫に悪さをしない様に恨みの心を鎮めるために施餓鬼をする・・これは意味はあります。ただ、実際施餓鬼は、本来何か原因不明の災いが起きている時にするもので、別に何のたたりもない時に漠然と不特定多数の霊の鎮魂のために施餓鬼をするというのも本当は何か変なんですけどね。
まぁ、良識ある檀家さんは、意味のない事とわかっていて住職さんを養うために矛盾を知りつつ行事の法要をしてもらっている人はいらっしゃると思います。ただ一方で本当の意味も知らず迷信を信じて洗脳されて年忌法要をしている人もたくさんおられると思います。厄介なのはそういう人たちですね。

ウチなんか、今度住職の後継者の住む家を檀家が金を出し合って建てると言い出して、
一軒25万円出せと言われています。バカバカしいでしょう?(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます 説明文章の大部分において
よく納得できました

寺の固定費を賄うために住職ができる活動として祈りを捧げるのでその対価として寄付のようにして年に何度かお金を納めてくれという風に寄付金であると言えばいいのに ですね
実際 ドイツでは教会を維持するための税金が存在します 結構高いです

日本社会 もどんどん 複雑になっていて高齢化社会です
全体としてはだんだん不幸になっていると思います そんな中で本来人の気持ちを救うはずの 例えば仏教などが一体どんな役割を十分に果たせたのかと言うと結局おまじないのようなことを 伝説的に何世代も社会に染み込ませてやってきた言葉はマイナスばかりではないかと思います
もっと 論理的にオープンに語り合えばいいのになと思うのです

そもそも念仏を唱えて極楽浄土 へ ということだったと思うので

お礼日時:2024/07/28 00:35

質問者さんが墓じまいをし、お寺と縁を切ればこの問題は完全解決します


質問者さん個人の問題
寺の問題ではありません
そこは決定的に勘違いしているようですね
付き合いを一切止めればいいのです
止めましょう
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