街中で見かけて「グッときた人」の思い出

死後の結末の仮説として、
「善行を積んだ人が楽園に永住する」
「信仰をした人が楽園に永住する」
「何かの境地に至った人が楽園に永住する」
などなど、他は忘れましたが、いくつかの仮説を出した時に、仏教徒を名乗る人が「全部なんか違うな~」と言っていたのです

うろ覚えですが、その人の意見は多分、「善行を積んだ人が楽園に永遠に住む」とか「悟りを開いた人が楽園に永遠に住む」とかのそういう「0か100か」みたいな二元論ではなくて、「その人がどこに向かってどう生きたかの延長が永遠に続く」というような意味合いだったと思います

これはつまり、永遠に幸福になる方法とは、光(神性とか仏性とか善とかポジティブとかプラスとか言われるもの)に向かって歩みを進め続けることによって、魂の永遠の旅路の「過去」よりも「未来」が右肩上がりに永遠に幸福になり続けていく、ということをおっしゃっていたのだと思います。つまり「死」とは「自分の永遠の居場所のジャッジのタイミング」ではなく、ただの「大きな船出」でしかなく、その船の行き先はあくまでも自分がどこに向かってどう生きたかに相応しい島に永遠に辿り着き続ける、みたいなことだと思います

私は超能力も主体性も知能も無いので真実がわからないのですが、なんだかその人の考え方は素敵な考え方だなと思いました。こういう死後世界観みたいなものが、あの人のような日本仏教の思想なのでしょうか?

自然の流れに身を任せることによってその方向性に歩みが進まさる、自然の流れはポジティブへの一方通行、みたいな思想が道教あるいは老荘思想か何かに存在するらしくて、それに似ているかほぼ一致しているかもしれないなと思いました。事実、日本仏教は中国道教とかヒンドゥー教とかが混沌に融合したものらしいです
(宗教に詳しくない凡夫より、失礼いたしました)

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    ゴールの無い学生として無限に勉強し続けてどんどん変化し続けるみたいな感じ、素敵ですね。ありがとうございます

      補足日時:2024/08/05 23:06
  • HAPPY

    皆様の回答を拝見させていただいて、「永遠の居場所」みたいなものは存在しなくて、フェニックス(不死鳥)のように生と死を繰り返して無限大のワールドを転々と冒険し続ける(そしてそれが時には試練があったりするけれど基本的にめっちゃ面白くてどんどん進化・変化し続ける)、ゲームで例えるなら未来へ進むごとにどんどん新世代ハードの登場とカルチャーの革命が起き続けるっていう救済の在り方も存在するかもしれないなと思いました。ワクワクしますね

      補足日時:2024/08/06 07:06

A 回答 (6件)

永住したら輪廻転生できなくなりますね。


無になっても同じでしょう。だったら死後の葬式や仏事は意味ないです。
それを仏教が推奨するのも矛盾していると思うのですが。

死んだら一時的に楽園に行きますが、また生まれ変わって下りてきます。
そして出来なかったカルマをまたこなす事になります。

地獄は無い。だけど、厳しい人生が待っている。
念を残して自殺をすると、そこに停滞してしまうので、やり直す事が出来なくなってしまう。なので自殺は修行ボイコットにあたり良くないのです。
何度も何度も生まれ変わってある程度その魂に相応しい修行をします。
その修行内容(試練、カルマ)は自分自身で設定してきます。

この宗教で無くてはいけないとかのくくりも無い。
今の新興宗教は全てビジネスでしょう。
新興宗教でなくても、葬式から法事から何回忌、等もお寺のお金儲けに関していると思います。

そんな事を言うと不謹慎、罰当たりになるという禁句になるので、言わないでしょうが、思う気持ちがあれば十分です。
立派なお墓も、誰も大事にしてくれなかったら意味がない。
粗末でも大事にしてくれる子孫が居たら中の人は、喜びます。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/08/06 12:44

なんだかその人の考え方は素敵な


考え方だなと思いました。
 ↑
考え方は素敵ですね。
ただ、死後では無意味です。
生前、そのように生きるべきではないか
と考えます。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/08/06 12:43

>>こういう死後世界観みたいなものが、あの人のような日本仏教の思想なのでしょうか?



本来の仏教だと、そうなんだと思うのですけど、現在の日本仏教の思想は、仏教大学で「死んだら無になる」という唯物思想を教えているようです。
葬式などで、お寺の坊さんがお話をされますが、それを聞いたときに思いました。

>>そういうのがちゃんとセーブデータとして引き継がれて「未来は幸福への一方通行になっている」だったら嬉しいし安心できるのに、

生まれ変わるとき、前世の記憶を無くすのが基本ルールとなっています。
ただ、「転生輪廻」が存在することを分かってもらうため、ごく一部の方は生まれる前のあの世や前世の記憶を保持して、この世に生まれてくるようです。
ちなみに、アカシックレコードというものが存在して、それがセーブデータの保存庫のようになっていて、その方の前世や前々世などを全て記録しているそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます! 仏教大学で「死んだら無になる」という唯物思想を教えているなんて初めて聞きました、衝撃ですしあまりにも怖いですね……。ただ、仏教のとある思想の1つの「虫を殺しただけで悠久の年月、殺し合いの世界に投げ込まれる」みたいなバッドエンディングに比べたら、二度と目覚めない夢を見ない眠りのようなそういう「無」の方がまだ救いがある、とも言えますが……

アカシックレコード、聞いたことがあります! それが「ポジティブの一方通行」だとどれほど嬉しいか……。「ランダム」が一番怖いです

お礼日時:2024/08/05 23:17

永遠の地獄、無が怖い?


そりゃ確かにその通りですが、逆に「永遠の幸福」も停滞してる事に変わりないのでは
何の変化もなく永遠に幸福
私だとそんなの願い下げです
なんなら幸福感を感じられないんじゃないですかね
良くも悪くも「永遠」は嫌ですね
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この回答へのお礼

ありがとうございます! ハイレベルな考察に恐れ入りました……。仏教の思想の1つに「魂なんてものは存在しない」というものがあるらしいですが、これは「来世が無い」ということではなくて、「自分」なんていうものはモヤのようにとっても儚いもので、その時その時のあり方でどんな変化の仕方もしていく、その延長だ、というお話を聞いたことがあります

お礼日時:2024/08/05 23:22

永遠ってそんなに大事?


楽園でも何でも良いのですが、どこぞにゴール的なナニカが在って、そこに辿り着いたら永遠に出られないの?
ゴールは無いから常に精進すべし、みたいな感じじゃないんですかね
ゴールに辿り着いたらそこで終わり=停滞はちと寂しい気がします
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この回答へのお礼

ありがとうございます! おっしゃる通りだと思います、無限に進化し続けるとか、輝き続けるみたいな響き、素敵だと思いますし、私もなんらかのセーブデータがあってそれが引き継がれてどんどんおもしろくておかしくなっていけば楽しそうだなといつも思っています

だから、「永遠の地獄」とか「永遠の無」みたいなものが、布団で震えるほど怖いです……

お礼日時:2024/08/05 22:55

それは輪廻転生の話ですね。


宇宙が六道に分かれ、ありとあらゆる生き物がいずれかの世界で生き死にを繰り返していくという話です。

修行の末に悟りを開き、涅槃に入ることでそのサイクルから脱して永遠の存在、仏と同じになるということです。

いずれも仏教の中でほぼ共通化した考えです。

極楽浄土の考えは後々になって追加された概念です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます! 「生まれ変わる」っていう言葉の響き、なんだか美しくて好きです。ただ、人間って生まれてくる前の記憶が無いので、道徳とかそういう記憶を引き継げないせいで罪を犯して罰せられるみたいなことがすごい怖いなって思って、そういうのがちゃんとセーブデータとして引き継がれて「未来は幸福への一方通行になっている」だったら嬉しいし安心できるのに、超能力が無いから調べることができないな~っていつも思っていました

お礼日時:2024/08/05 22:52

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