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天国や地獄の存在を信じる人たちが居る一方で、「魂なんてものは存在しない。死んだ先に訪れるのは永遠の無だ」というような思想を信じる人たちも居ますよね。これは一見するとただの無神論や科学主義のようにも思えますが、もしかすると、地獄(この場合、主にキリスト者の人たちの多くが信じる「永遠の拷問」とする)の存在を否定することによって、償いきれないほどの罪を犯してしまったというような人が地獄への恐怖から救済されるための、まさに「一種の信仰」として役に立っている可能性はあるでしょうか?

何気ないことですが、ふと気になったことでした

A 回答 (7件)

確かに、無神論を信じて生きていて、いくつもの凶悪犯罪を犯して、その結果として刑務所に収容されている犯罪者にとっては、「死んだ先に訪れるのは永遠の無だ」と信じることが、死後に待ち受ける地獄への恐怖から逃れるための、犯罪者にとって救いとなる信仰でしょう。



単純に損得勘定からしたら「死後には天国と地獄が存在している」と信じて生きるほうが「お得」なんですけどね。

その気になって、書籍やネットで情報を探せば、天国と地獄が実際に存在することは、普通の頭を持っている方であれば、分かると思うのですが、探さなければ情報は手に入りません。

「そんな法律があるなんて知らないから、この行為が犯罪になるとは知らなかったのです。だから、私は無罪です!」ってのは、現代の日本では通用しません。
「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」というソクラテスの言葉もありますからね。
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常日頃から天国や地獄を意識しないだけでなくそれを意識して当然の状況においてもそれを意識しない者達の頭中にそれが無いのであるか無いか

と聞かれたら無いと答えるでしょうね
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非科学を敵視する狂人が多いですが、科学とは仮説と検証の繰り返しですから仮説をもって非科学と言っているなら科学自体を否定していることになります。

とはいえ宗教を重要視ししないことは問題ありません。ただ他人の宗教を否定さえしなければ
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確かに第三者から客観的にみれば信仰していることになるとは思います。


しかし、本人は信仰している意識がないのに信仰していることになりますよね。
なので、意識はしてないですが、役には立ってはいるとは思います。
しかし、本人が意識的に信仰していないわけですから、
信仰もしてないし、宗教ではないという事だと思いますよ。

つまり、役にはたっているが、信仰や宗教とは関係ないですよ。
あくまで第三者が客観的見たときにそう感じるだけであって、
実際は、信仰や宗教は関係はないと思います。
ただ、役には立っているのは確かだと思いますね。
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あると思います。



そもそも、宗教が天国地獄を作ったのは。

それによって、布教を図るとともに
倫理、道徳を教えるためですから。

新渡戸稲造の「武士道」に
あります。

「御国では宗教教育をしていないと
 聞きましたがホントですか」
「ホントです」
「おお! それでどうやって子供達に
 道徳を教えることが出来るのですか」

そんなわけで、地獄が無い、あってたまるか、
無い方が救われる。
死ねば無だあ!

そういう信仰にすがりつきたい、てのは
あるでしょうね。
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日本人は 無宗教(と言いながらいろいろな宗教の行事を取り入れてる)が多いけど、


アメリカで「私は無宗教です」なんて言おうものなら、変人扱いです。
なので、刑務所であっても「神を信じます」という人がほとんどでしょうね。
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話が逆でして、地獄や極楽は宗教にしがみ付かないと生きて行けない人たちのために生み出された概念なんです。


つまり、現世では辛くても、来世では幸せになれるという救いを与えるためですね。
今の豊かな時代では、現世で苦行みたいなことを強いられませんから、信じている人はほとんど居ないでしょうね。
それこそホームレスに成り下がっても、飢え死にする事なんてほとんどありません。
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