dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

ドラマとかではよくあるのですが、亡くなった方を、
「ずっと胸の中で生きている」という様な表現で慰めたりします。
私が気になっているのは、それが亡くなった側にとって
良いことなのか?悪いことなのか?です。

生きてる方は、自由に人同士で慰めあったりしていればいいかもしれません。
しかし、もしかすると、天国にいけずに彷徨っている幽霊というのは、
生きてる人の心に残されている「思い」のせいなのではないか?
と、そんな風におもったりもします。

科学的には何の根拠もない幽霊ですが、
もし死後の世界があるのなら、その人が生きていたという
全ての痕跡をこの世からなくすことが正しい葬り方なのではないか?
墓を作ったり、歴史に名前を刻んだり、銅像を残したりというのは、
生きてる人間のエゴや損得勘定のもので、
亡くなった方を苦しめているだけなのではないか?
と、私はそんな風に思い始めました。

しかし、たぶん、私もそんな事をいいつつも、身近な人が亡くなれば
形見やお墓を残したりするんだと思います。
これは人ぞれぞれの考え方ですから正しいという答えはないのでしょう。

そこで私の頭の中の整理のため質問させて頂きたいのですが、
亡くなった人への思いを残す、残さない、
どちらが有益な事だと思いますか?
根拠をつけてお答え頂きたいと思います。

A 回答 (7件)

そもそも「亡くなった人が生きている人の胸で生きている」と言う言葉は、あなたの言うような亡くなった人の霊が天国に行けずにこの世に縛り付けられること自体を根拠として言われているわけではないことは分かりますね?質問者さんが勝手に想像しただけですからね。



なので、亡くなった人を想う気持ちと、霊魂がこの世に縛り付けられることにはそもそも何の因果関係も見出せません。
そして質問者さんが心配する現象が起こるには、上記の因果関係が存在することに加え、そもそもの霊の存在、苦しみのない天国の存在、霊がこの世に縛り付けられることで苦しみを感じる事実…などのいくつかの前提をクリアした上での心配事だと思います。
質問者さんの心配事が起こる確率って意外と低そうだと思いませんか??

そして違う視点から考えたとき、人って自分が生きる意味を生きている間に求める人が多いように思います。(OKWaveでも生きる意味を問う質問をたまに見かけますね)もしそれが人としての本能だとしたら、人って死んでからも自分が生きた意味を求めている可能性もありますよね?人が生きた意味とはつまりこの世に自分の存在を残すことと同義だと思います。ということは、むしろ「亡くなった人が胸の中で生きている」状態は亡くなった人にとっても好ましい可能性もありますよね?好ましいこととして本能に組み込まれているのならば、それにとって苦しむように人の霊が作られているとはちょっと考えにくいようにも思います。
この考えはもちろんただの根拠のない憶測にすぎませんし反論だっていくらでもできますが、相反する考え方の一つとして提案して見ました。

これは質問者さんも多分分かっている通り、実証しようのないことです。なので結局は、自分がこうだったらいいなと思うことを信じてやるのがいいのかなと思います。
私自身はお墓は残さなくていいですが(笑)、でも人の胸に刻み込まれるようなそんな生き方ができたらいいなと思っているので他の人に対してもそうしてあげたいですね。
それで良いと思います。間違っててもどうせ人類の存在も永遠というわけでもないですから、いつか人の心からも消えてしまいますしね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

生きてる人が、生きているうちにそうして欲しいと願っているから・・という事ですね。
「忘れないで欲しい」という願いが、人間の感情にあるって事ですね。
なるほどー。それはすごく説得されました!
もしも、直接的に身内に「お墓はどこそこにつくってね」と最後の願いとして頼まれたら、
私がどんな反対的な考えであっても、その願いは叶えてあげたいと思いますね。

私の中にあったもやもやがかなり晴れました。
私にとってストライクゾーンに入ってきた感じしました。

お礼日時:2015/01/05 13:30

仮に死後の世界があるとして、亡者が「死んだ自分のことなんて忘れて生きてほしい」と思うのか、「死んだあとでも忘れないでほしい」と思うのかなんてわかりません。


死ぬ前に自分の墓や銅像、石碑を作る人もいます。
いずれにしても亡者との連絡が取れない以上、慰霊というのは「生きている人のためにすること」です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>死ぬ前に自分の墓や銅像、石碑を作る人もいます。
こういうのって人の執念だと思いませんか?

亡くなった人の生きた痕跡を後世に残すというのは、人の恨みなどの負の遺産も世代を跨ってひきづっていきますから、争いを長引きかせたり生きづらい世の中にしている要因になっている気がします。
そう考えると、ますます、慰霊する事は生きている人間にとって何の為かがわからなくなってきます。

お礼日時:2015/01/05 12:47

No.4です。


ものを考えない人に回答するのは無意味だなあとつくづく感じました。

「説得力がほしい」!?
そんなもの論理的に考えれば無理だということをお伝えしたいからあのような内容の投稿をしたわけです。それでもその「説得力」とやらがほしいなら霊園や墓石屋の言うことを信じるなり例能力者の言うことを信じるなりすればいいでしょう。どうぞご自由に。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>論理的に考えれば無理だ
この質問では、方程式の解など求めていませんよ。
あなた自身がこの質問を読んだ上で、
亡くなった人に対して行っている事についてどう思っているか?を
聞かせて頂くだけでも、私にとって十分な回答になると思います。

お礼日時:2015/01/04 13:40

「根拠をつけて」!?


それは無理。死後の世界があるかどうかわからないのだし、その死後の世界で死んだ人の魂というこれもあるかどうかわからないのものが何を考えているかなんてわかるわけないでしょう。
こういうことは結局すべて生きている人間の憶測にしかならないのだから、それぞれが「これでいいんじゃないかな」と思うやり方で死者を弔う(あるいは弔わない)しかないでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「これでいいんじゃないかな」

その決断に優柔不断になってしまいませんかね・・?
自分の決断に説得力が欲しいと思いませんか?
漠然と「墓を建てよう」だけでは、なんか霊園と墓石屋の
思う壺みたいなものを感じてしまうヒネクレモノですので・・。
私は特になんの宗教にも属していませんし・・。

お礼日時:2015/01/04 12:09

有意義かどうか、体験すればわかります。

本や映画などでは一時的な感傷に過ぎません。学生さんでしょか、
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

体験によって何が分るのでしょうか?

体験とは身内の死や葬儀の体験でしょうか?
そんなに数は多くありませんが、祖父、祖母、叔父など数回あります。
同僚や友人関係を含めれば数十回の葬儀には出ています。

歳はアラフォーで冠婚葬祭で何百万円も使っています。
合理性を求める様な話しがしたいわけではありませんが、
やはり、そういった事に費やす時間や費用で犠牲になっている事も
あると思うのです。
独身で身内がいない様な人は、お金は出て行くことばかりで
戻ってくる事はないですしね。
必ずしも誰もが同じ環境下に生きているわけではないという事です。

お礼日時:2015/01/04 11:58

「アラスカを追いかけて」という本を読んでみてください。


私はこの本を読んで天国の存在を感じました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そちらの本、面白そうですね。
しかし、せっかくなのですが本を読むという事が苦手なので・・(目がすぐ辛くなります)
ggってみると映画化される話もある様なので、そちらは是非みてみたいなと思います。

お礼日時:2015/01/04 11:42

死んだ人はもう死んでるのですから何をしても何も感じませんし意味もありません。


供養したり死んだ人の事を思うことはあくまで生きている人のためのものです。
ただし、それは「死んだ人のために」と生きている人が思うことで初めて生きている人のためにもなっているというわけです。
どうせ死んでるのだから墓を潰してもいいと思っているのであれば、それは生きている人たちにとっても何の意味もありませんよね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>何をしても何も感じませんし意味もありません。
なぜそう言い切れるのでしょうか?

>思うことで初めて生きている人のためにもなっている
それが「何のため?」かがわかりかねているのです。
お墓を建てる目的は何なのでしょうか?
少なくとも生きている人間にとって、絶対に有益な事なのでしょうか?

お礼日時:2015/01/04 11:35

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!