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常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない。とアインシュタインは、言ったそうですが本当ですか?常識も、元々は偏見ですか?教えて下さい。

A 回答 (18件中1~10件)

アインシュタインの言葉なのは本当です。



それまでの常識だったニュートン物理学をひっくり返し、当たり前とおもっていた空間や時間は絶対的なものではないという相対性原理を打ち立てました。

だから彼のような人が言うのは非常に重みがあります。まさに「空間や時間は私たちと独立して存在する」という常識が実は偏見だったということですからね。

常識を疑うと言うことは必要だと思うのですよ。ただ彼の場合は常識をかえながらも、きちんとそれにかわる理論を作っていますよね。

安易に常識を否定するだけというのは、単なる非常識人間でしかありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2024/07/10 10:33

経験という一つの事実を、否定的な表現で言ったに過ぎません。


アインシュタインに取っての経験は、左程楽しく有益なものでは無かったのでしょう。単なる、一人の科学者の感想です。アインシュタインが言ったからと言って、それが真実であり有益であるとは限りません。常識を疑えとか、メディアで囃し立てますが、現実的結果として米国では混乱とカオスが生じています。「論語」という常識の書の価値を西洋人は理解できない様ですが、常識の深さを知る事は大切です。幸せに常識は欠かせません。
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価値観や判断の基準も、人それぞれ様々です。

あなたを含め、我々一般の庶民が、歴史的な大学者と同じ考え、同じ発想、同じレベルの思考になるわけがありません。せいぜい、「そんな考えもあるのね・・・。」と感じるとともに、「共感できる。」とか、「できない。」とかを思うかどうかの程度です。
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まあ、突き詰めればそんなものですよね。

とライトに捉えるのが妥当。
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No.12



個人的な解釈だとアインシュタインは学者なので
「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない。」
は 全ての常識 を指すのではなく 常識の中には 程度と思うし 常識 と言うより正しい知識とされている事の中には 程度だと思います。

あなたの常識や正しい知識と思っている事で辻褄の合う結論や説明が出来ない時には 自分の常識や知識に縛られずに考えれば新しい発見があるかも知れない。的な事を言いたかったのだろうと個人的には考えています。
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例えばリンゴは「赤くて丸い形」が常識ですよね。


でも私は田舎の出身なので実際のリンゴは赤くないのもあれば丸くない形なのもあるのを知っています。
しかしそういうリンゴをスーパーにおいても誰も買ってくれません。

品質や味には何の違いもないのにです。

勿論最近は消費者にも啓蒙が伝わり正しい知識を持つ方も増えましたが、ひと昔前まではそんな感じでした。
常識や普通というのはある意味では偏見に似ています。
しかし人は何故か偏見を追いかけそれを絶対不変の真理であると思いたがります。

結局は「安心」を得たいからです。
自分の常識観から外れたものに不安感を感じるように出来ているからです。
原始時代からの本能で「これはいつも食べてるから安心」「これは食べたことがないからダメ」という偏見でリスクを減らさなければ生き残れなかったからです。

しかし同時に行き過ぎた偏見は停滞や不寛容さを生んでしまいます。
偏見は本能として仕方がないですが、それを乗り越えねば発展できないというジレンマがあるわけです。
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アインシュタイン博士のころはいまのような世の中ではなく何もしてないのにグラウンド3周とかちょっとボールを逸らしたら丸刈りとかむしろ入団するだけで丸刈りとか柔軟体操についていけなかっただけでぶん殴られるみたいな世の中よりもさらにもう三段階ぐらいわけのわからない常識の中で我慢して地を這いながら勉強した方なのでそう言いたくなるのも無理がないのだろうなと思います。

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常識とは


「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。」
という事で「共通」がポイントだと考えます。

年齢、性別、職業、居住地 他 共通にならない要因はあるので Aさんの常識がBさんの常識にはならない事もあります。
様々な条件が変わっても変わらない常識もあるので 不変的な常識と変化する常識があるって事になります。
(郷に入れば郷に従え。とか 都会の常識は田舎の非常識。なんて言葉もあります。)

偏見とは
「偏った見解。中正でない意見。」
なので 自分と違う価値観の人を 自分の価値観で決めつけてしまえば 偏見になりそうです。

となると類似した常識を持つもの同士だと良いのですが、20代 男性 学生 都市部で生活 の人の常識と 70代 女性 町村部 主婦 の常識が違っていても不思議ではないので 不変的な常識ではない変化する常識を 自分と違う常識の人に押し付けるのは多様性を認めようの時代には寧ろ非常識になるのかも知れません。
(多様性には外見的な表層的多様性と内面的な深層的多様性があります。)
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アインシュタイン博士は、「大学に行って、(常識を超えた)新しい分野の勉強をしましょう!」って言いたかったのだと思います。



アインシュタイン方程式の基礎。。すなわち、高校の常識(1+1=2のユークリッド幾何学)を超えて非ユークリッド幾何学等を大学で学びましょう!!!ってことだと思います。
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常識というのは時代や環境で変わるものなので、事実だと思います。



例えば、昔は鶏を家で締めて食べていました。
今そのようなことをすると、嫌悪感を抱く人が多いでしょうから、非常識です。

例えば、日本のある地域ではイナゴや蜂の子を食べます。
しかし、その他の地域の人は嫌悪感を抱いてたべたくない人が多いので非常識です。

例えば、犬に狂犬病の予防接種を打つのが常識です。
しかし、実は猫も狂犬病に感染するのですが、予防接種をしないことが非常識だと考える人はほとんどいません。

例えば、昔は仕事中にタバコを吸うことができるのが常識でした。
しかし、今では喫煙所以外で吸うのは非常識です。

例えば、昔は「肌色」という色鉛筆や絵の具がありましたが、今はありません。

それ以外も、小学生のランドセル、社会人のスーツ、箸の持ち方など。
すべての常識はなんとなくで決まったものでしかありません。
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