都道府県穴埋めゲーム

「人を変えることは出来ない」そう思いますか?
それとも、「人は変わる」のでしょうか?

ネットでこんなこと↓を言っている人がいましたがどう思いますか?
「人は長く生きている中でいろんな出来事があり、様々な手本や影響や出来事があり、その都度その都度成長したり好転したり転落したり変化するものだと思います。
他者の考えを変えることは難しいですが、自分は少しずつでもまともになりたいと学んでる人の思考グセは、ずっとは同じではないはずだと思います。」

A 回答 (34件中1~10件)

幾つかの意味で使われる表現だと思います。



例えば「人は(環境を先に変えないと)変えられない」「人は(環境を先に変えると)変わる」と言えば、どちらも正しい事に成ります。つまり「何が条件なのか?」分かっていないと迷ってしまうのだと思います。

以下は長いので興味があればお読みください。

●「人は変えられない」と示唆される二つのケース

・他人を説得して自分に合せるように説得するよりも、自分が合せた方が早い場合がある(他人を変えられないが自分は変えられる)

・その人の今現在の姿は偶然にできた物ではなく、その様に誘う環境があったと捉える。その環境が未だに持続しているならば「言葉で説得」しても効力はない。環境の強さにより簡単に元に戻ってしまうだろう(人は変えられない。だから環境を変えるのだ)

どちらの意味かで使われます。

●双方が示唆する一つの意味

先ほどの二つが正しいのならば、

「いま出あった人や良く知らない人を相手にして、考えや
 態度を変えさせようとしても現実的ではない。本当に変
 えたいのならば、その人が過ごしている環境を分析し、
 その環境から変えて、何年も待たないと行けないだろう。
 そこまでする気力が無いのならば、(今は)自分が相手
 に合わせる方が効率がよく合理的なのだ」

となります。

ですので長く接する間柄であれば「環境」を変えて長期戦に臨み、そうでない人には相手に合わせて消耗を防ぐのが賢いという事です。

●変えるとして、どう人を変えるべきなのか?

その人にとってメリットの無い「性質の変更」は反社会的であると思えます。各自の地力が底上げされ、全員が強いという状態になれば、それぞれの人は他者の心配をしないで「自分の幸せを追求できる」でしょう。私たちはその様に「自立した個人」が作る社会を望むべきでしょう。

ですので、

「自滅しない自分に変える」

と言うのが最も重要に思えます。「自滅する選択ばかりしている人」に「人道主義」を適用すれば社会は疲弊するでしょう。全ての人が「自滅を嫌悪」すれば、それだけ社会が強くなり、幸福を追求する余裕ができるという事です。

●自滅はどこで生じるのか?

実は「何となく正しいと思った」と言う「何となく」が選ぶものが正確ではないんです。人間の工場出荷状態では逆を向いています。なので「子供は僕の考えは正しい」と意気込み自滅するんです。

「高揚感が生じる正しさは大概いおいて自滅を誘う。
 逆に当たり前すぎて面白くないと思えるモノがまだ見ぬ
 未来の扉を開き、素晴らしき世界を与えてくれる」

人の好みは自由であるとしたとき、中には「自滅のルート」を喜んで選んでいる人もいるはずです。この人は突然の不幸に愕然とし、絶望し、喜んでいた過去の自分と今現在の状況を比較して余計に苦しむでしょう。つまりガッカリします。

●「何となく正しいと思った」が正解を選ぶように自分を変える

工場出荷状態が「自滅生成器」「不幸量産機」であるというのが人間のデフォルトです。これも180度逆と言うのではなく90度から180度くらいの間で逆を向いています。

「自分の好みと異なる選択をする人にお付き合いをしてい
 るうちに自分も同じ選択を好むようになる」

こういうやり方で「何となく正しいと思った回路」を矯正しないと行けません。上で挙げた「お付き合いする人」はご両親や育ての親など愛情を与えてくれる存在です。しかしその人の「何となく正しいと思った回路」が狂っていると子供もそうなってしまうでしょう。親が「自滅癖」を持っていると宜しくないという事です。

●自滅癖の例

「うちではマンションの8F(自宅)でウサギを飼っています。
 最近悩ましいのはウサギがベランダに興味を持ち、家族の隙
 をついてベランダに飛び出ようとするんです。家族は恐怖を
 感じてウサギを監視して止めるようにしています」

ウサギは何故ベランダの向こうに興味を持ったのか? 果たして家族の愛情は伝わるのでしょうか。この結果はご想像に任せます。問題なのは「ウサギが思い直して興味を無くすのか?」「余計に興味を持ってしまい家族に負けまいとするのか?」どちらを選ぶかですよね。

私はこれを「うさぎダイブ」と呼んでいます。

「人は変えられない」と申しますが「ウサギも変えられない」のかもしれませんよね。このウサギから人が学ぶことは沢山ありそうです。

●人間がもつ最も恐ろしくて重要な課題「二択間違い」

では二択間違いの例題を出します。

例えばマークシートのテストがあり、子供たちが会話をしていたとしましょう。この会話に対してどう感じたのか(読んだ方に)質問します。

「筆記式テストって難しいよね。選択式は簡単だよね」

「マークシートとかなら半分はあたるよね」

「そういう偶然に頼るのは良くないよ。ちゃんと考えて
 から回答を選ぶべき。僕はちゃんとやって90点取れ
 たよ」

「でも、俺らより酷いやついるぜ。○○だ。アイ
 ツはマークシートの試験で0点だったんだぜ」

「まじかよ。予想を超えるね」

さて貴方はこの中の誰が貴方の人生の参考になると思いますか?

●出題の回答

マークシートで0点を取るには「普通に考えて全問正解する実力」が必要です。では0点を取った子供はわざと不正解を選んでいるのでしょうか?

・実は頭が良くてわざと選んでいる
・実は本気で頑張ったけど0点だった

これも二択ですよね。漫画的に考えると前者ですが、現実に存在している人を考えると後者なのです。

90点を取った子供。マークシートで50点を狙う二人。0点を取った子供の4人がいた時、90点の子供を選ぶのが常識ですが、確率的な異常性で言うと0点を取った子供の方が参考になるんです。

●90点を取った子供の告白

「僕は90点だった。しかし実は確かに分からない問題が
 20点分あったんだよね。半分はあたった。実力は80
 点なんだよ。そこで思った。もしも0点を取った○○を
 相棒にして、僕が判断に迷ったとき、○○の好みと逆を
 選べば100点だったんじゃないかと。どう思う?」

どう思います?

●自滅回路は日常でも活躍している

私がこれに気がついたのは仕事の中でです。プログラミングをしている最中でバグが出ました。どこに問題があるのか5択でした。そこで試しに「バグがありそうだと思う順に並べてみて」と同僚にやったことがあります。

私には直感的に「ここだろう」と思った部分がありました。勿論、調べてみていないので分かりません。「何となく正しいと思った」わけです。

「俺の直観力と勝負だ」

結果には恐怖を感じました。何故かと言うと「私の順番と逆」だったからです。その上で5択あるのに彼は「4つしかない」と言いはり、私が(直感で)選んだ択が目に入らないのです。指をさして「ここ」と強く言っても「見えない」と言うのです。結果は私の直感が正解でした。

●もし5択選びのゲームをしていなかったら気がつかなかった

彼が選んだ道筋で調べると大変な苦労をする事がわかりました。その上で彼は最後の択が見えないため「正解を得られずに諦める」運命だったのです。

もしも「バグがでたから調べておいて」と私が頼んでいたらどうなっていたでしょうか。彼は苦労の末に結果を出せず、私に泣きついたでしょう。そして私は一瞬で解決し「なんでこんなに時間かかるの?」と言ったはずなんです。彼は言い訳もできず「悔しい」「力さえあれば」「言い方が優しくない」「自分も頑張っているんだ」等と激しく落ち込むはずです。

しかし「この運命は最初から決まっていた」という事です。

●「何となく正しい」と思っても俺の場合は「うさぎダイブ」

いろんな論争が起きますよね。この中には「うさぎダイブ脳」の人もいると思います。これは直観力に優れた人にマイナスをかけた状態です。

「俺は何時も正しい選択をしているのに、何故か上手くいか
 ないんだ。これは世の中が悪いに決まっている。そういう
 奴らを倒さないと俺が幸せになる事は無いんだ」

こういう主張はアリがちです。では良くあるとして無視しますか?

「いつも正しい vs 何時も間違っていた」「何故か?vs 明らか」「上手くいかない vs 実は助けられていた」「世の中が悪い vs 自分の認知が悪い」「そういうやつらを倒す vs そういう方々に教えを乞う」この様に複数の二択があるのに気がつきますよね。

つまり本当にマークシートで0点を取る人を見過ごす選択(二択間違い)をしていませんか?

●聖人と同じ力を得る、またはその様に自分を変えるの方法は?

「一番簡単に思いつく方法」は聖人を見つけて弟子入りすることです。しかしこれは一番簡単ではない方法です。つまりこれを思いつく人は二択間違いをしています。一番簡単な方法は「聖人を超える精度で二択間違いをしている普通に見える人」を見つけて「その人の考え全てについて嫌悪感を持つ」練習をすることでしょう。

●まとめ

例えば、この回答を見た時「なるほど」と思うか「馬鹿にされている」と思うかも二択の一つなんです。前者は自分を振り返ったり、他者を評価するときに「もしかしたら?」として面白い観点をもてるはずです。しかし、後者は怒りによって認めまいとするでしょう。もしも私の言う事が本当であるとしたら、後者の方は「より強いダイバー」となってしまうんです。つまり、人は変えられなくとも、人の運命は言葉によって変えられます。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

非常に参考になりました!
うさぎダイブ!うさぎは死ぬのをわからずにベランダに出ようとするわけですね!

お礼日時:2024/09/20 14:29

No.27です。

お礼ありがとうございました。

ちょっと誤解があるので捕捉します。何となく「考えないと行けないことがありそうだ?」と言うニュアンスが伝われば嬉しいです。

以下は長いので興味があればお読みください。

●本当に伝えたかったこと

「うさぎがダイブする運命は、家族がうさぎを飼うと決めた
 時に決まっていた」

という事です。

恐らく家族とウサギの間には、皆さんが思い描くような「幸福な日常」があったと思います。しかし、それはウサギのダイブを防ぐためには何の貢献もしておらず、無駄であったという事です。それどころか「余計に悲しむ伏線」でしかありません。

●質問サイトで思う事

こうした質問サイトでは「他の人とうまく行かない」という話も多いですし「自分は間違っているのか?」と問いかける人も多いです。そんな時に思うのは、

「うさぎダイブをちゃんとわかっている人であるのか?」

です。

「運命と言うのがどういう物か把握」していないまま人生を送るというのは大変危険です。幸福になれるどころかダイブすることになります。大人になって「運命?」と思っている人は不味いというわけです。

●ウサギの運命を「タラれば」で変えてみよう

最も多いのは「あの日、もっと注意していれば」でしょう。しかし思うに必ず「そういう日」が来てしまうのではないでしょうか。うさぎは諦めず長期戦で待ち構えているからです。早いか遅いかの違いで意味がないのです。

ではもっと凄いタラればをします。

「うさぎに人の言葉を理解できる力があったなら」

としてみましょう。

例えば家族が心配をしてウサギに対して「貴方の事を思って言っているの!」と伝えたとします。果たして運命は変わるのでしょうか? 

●人は変えられないと良く言われる話を持ち出すと?

「他人にいくら言葉で伝えても変わらない。だから自分を
 変えた方がいいんだ」

と言う経験則が持ち出されます(質問者さんの質問の内容に近い)。もしもこの通りだとすると、

「ウサギに人の言葉が理解できる知能と超能力があったと
 してもウサギのダイブは防げない」

となります。つまり、世に存在しない特殊技能や才能を持っていてもウサギは自らの死を防げないのです。

●異世界に転生してチートスキルを手に入れてもダイブの運命は変わらない

「あ、俺まずい。こんな時、俺に飛行能力があったら。
 俺の自慢の跳躍力ではこの事態には通用しない。
 ああ、酷いよ。もっと力が欲しい」

ウサギが(その時を迎えたら)思う事はこんな物のはずです。

ここでは大事な二択があります。ウサギがダイブの運命を変えられなかった原因は何でしょう?

・飛行能力(その他チートスキル)が無かったため
・家族の愛情や心配を「自由に対する妨害」と捉えたため

最初の選択をする人は無理やり閉じ込めない限り助けれません。そのせいで束縛されていると(余計に)感じてしまうのです。そしてダイブする運命が加速するのです。

●どうしてスキルや才能がダイブの運命を解決しないのか?

ここで質問します。どうして家族はウサギを閉じ込めたのか?

「ウサギに飛行能力がないから。その上でウサギはそれを
 分かっておらず、後で後悔することになりそうだから」」

ここで大事なのは「他の人には分かっていて本人だけが分かっていない」というケースがあるという事です。

●持ち前の能力は無限ではない

「俺のチート能力は多くの人に知られて、敬われている。
 だが、俺のチート能力でも解決できない危険があるかもし
 れない。そういう時は誰か教えてくれ」

と言う部分は残るんです。

この人を愛している人は「教えるのは当然」と思っているでしょう。なので頼まなくても警戒してくれているはずです。

そして多くの人の心配が実り、事前に判明する事も多いでしょう。

「それは絶対にダメ。貴方のためを思って言ってるの!」

この時に「自由を妨害されていると感じる人」は助からないという事です。

●ここまでのまとめ

・スキルや才能が欲しいという人は「手遅れの状態」を何度も
 経験した人である
・一方で、手遅れに成らない様にと誰かが真剣に助言をしてい
 たはずである
・他者の心配を「妨害」と受け取る性質を持つ人は、いずれ他
 人の愛に触れてダイブする
・上記性質を持つ人は異世界に転生しようと、チートスキルを
 手に入れようと、本人が望む成功(愛を手に入れる)した後
 でかならずダイブをする

●小さな「うさぎダイブ」を繰り返す

もしも「愛情からくる助言」を「自由への妨害(束縛)」と感じる訓練をしたらどうなるのでしょうか? 日常で小さなダイブを繰り返し、いずれは「うさぎダイブ」をすることになります。その人は「他人から愛されない環境」を作るしか自分の身を守ることが出来ません。そのため社会から引きこもり、他者の愛情へ侮蔑を繰り返そうとするでしょう。そうすることでダイブの恐怖から逃れようと(本能的に)思うのでしょう。

●何故、異世界転生ものが流行るのか?

緊急措置として自分を愛から守る方法は必要でしょう。しかし、それは生きているだけで苦しいはずです。そんな中では希望を持ちたい。だから「異世界への転生」「突然の幸運とチート能力の獲得」等を夢見るんです。しかし、それらを手に入れても(最初の方はうまく行くかもしれませんけど・・)、最後は他人の愛に触れて「うさぎダイブ」をします。成功することで愛されてしまうからです。

愛情と妨害の認知における二択間違いは「どんなに凄い力があってもダイブの運命を変える事は出来ない」のです。

●運命を少しでも良くしようと自分を諫める話

「この人は凄い人だが、今回の危険は乗り越えられないだろう」

この様に気がついた人は必死で本人を説得します。愛しているからです。ですのでこの助言を無視したときは「どんな力を持っていても」、そもそもその力では乗り越えられない危険であったため、助からないのです。

誰であっても反発したくなる気持ちを抑えるのは容易ではありません。そのため自分を納得させたり、慰めたりするための「使える考え方」が流行ります。その内容に真実があるのではありません。ご本人にとって効果があったという対処療法です。

原因は「愛情と妨害(束縛)」の二択間違いにあり「それを何とかする」と考える以上に有効なものはありません。

●シンプルにする事

多くの良き言葉を覚えても疲れるだけです。メカニズムを理解して究極の対処に邁進するべきでしょう。

「悪い運命とは愛情を逆にとらえる自分の認知から生じており、
 成功したり、愛されたりした時、必ず自滅する流れになるの
 だ。この性質を治さなければチャンスは毒になる」

「愛情を自由の妨害(束縛)と感じてしまう自分」を再学習で治すしかありません。例えば悔しいと思っても言う通りにしてみる。お礼をして何度も感謝する。などです。これを脳に刻んでいくしか方法はないのです。

●愛と誠(智)によって悪を征し、善を助ける

悪人と呼ばれる人は「愛情を受けるとダイブする」性質を持っている人です。この人が自分を守ろうとして「愛の妨害」をしているだけです。自分にとって大切な助言を聞いてしまうと「逆の事をしたくなる」欲求が生じて自分を制御できないんです。それが故に助かりません。

逆に言えば私たちは相手を識別せずに「愛情を持って助言をする」を繰り返すことで「悪を征し、善を助ける」事に成ります。単に「その時に効果が見えないので無駄なのではないか」と疑ってしまうだけです。自分の知らないところで悪を志す人は「うさぎダイブ」しているはずですし、性質に善を持つ人は状況を好転させているはずです。社会全体がこのシンプルな行為「思いやって助言する」していれば自浄作用が働き、過ごしやすい空間が出来るでしょう。

●善を説くことは無駄ではない

自分の知らないところで「社会の愛に反発する人」が逆張りをして「うさぎダイブ」をしている。これは間違いないのです。これを信じて喧嘩をしないことが大事です。また善を疑ってしまうと「自分がうさぎダイブをする人」になってしまいます。この変化は自分では分からないものなので怖いですよ。

●総括

「うさぎダイブ」を意識することは「最低限の平凡な人生」を送る必須の条件です。ここから更に幸福になるための論法があります。

「ん? さっきの論理を展開すると・・・成功しても常に
 他者の助言を受け入れ続けていれば・・・ダイブせずに
 ずっと成功しつづけると言うこと? 果てが無いじゃん。
 そんなことできる人がいたら漫画を超える成果を残すと
 思うよ。ナイナイ」

私の論理が正しいのであれば、漫画を超える成功を残す人は「他者の助言を聞く姿勢」にブレが無く謙虚な姿勢を維持しているはずです。しかし「他者の助言を聞く姿勢」を維持できる人は歴史上でも稀だと思います。それだけ難しいのです。

そのため私たち庶民は「うさぎダイブ」を怖がるだけで十分でしょう。事件や芸能ニュースを見たら「うさぎダイブ」の結果ではないか?と思って検証してください。私はそうやって(これの怖さを)脳に刻んでいます。

以上、ご参考になれば。
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私はクレーンに乗っています。


前の日に頼まれていったオペレーターがマゴダシという作業にかなり時間を取られたみたいで、鳶の親方が期限が悪くて、私が次の日の行ったときはマゴを出しておいてと、ちょっとキツメに言われましたが、私は慣れているので、鳶が着替えや段取りの間に終わていたら、鳶の親方はビックリしていたが態度が軟らかになって、その日は1日の仕事が楽になりました。

私もマゴダシでモタモタしていたら、その日も鳶の親方は機嫌が悪かったでしょう、その日は機嫌がよくなったので私のちょっとした失敗は見逃してくれました。
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お礼ありがとうございました。



>反感を買ったから再度コピペして質問したわけではなく、「考えさせられた」から「もっと掘り下げて考えてみたい」と思った次第です。

そうでしたか……。
それならば少し安心いたしました。

人間は殆どの人に本質というものが備わっていると思うので、中々ちょっとやそっとでは変えられない部分もあると思うのですが、自分が人生に躓いたり行き詰まった時、誰かのほんの一言が胸に刺さり、考えを改めたり気付きを与えられたり、自分の思い違いや間違いに気付いたりすることは多々ある事だと思っています。

あくまでも私はそう思うと言うことであり、他者に強要することではないですので。(^^)
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生物は外界の刺激に応じて変化するので、長期にわたる外界の変化に応じた進化をするが、人は言語を獲得することによって他の生物とは比べ物にならないスピードで変化できるようになった。

従って人は数千年(生物にとっては一瞬)で劇的に変化したし今後も変化する。但し変化は本人が自律的に行うものであり、他者が変化させるものではない。
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補足読みました。

なるほど他者の言動に影響されて考え方を多少かえることはできるかもしれませんが、それは本質的に変わるとは言えないと思います。変わった様な気がするだけで、気がつけば結局元の自分に戻っているものです。だから何よりも大切なのはまず自分自身に真正面から向き合ってありのままの自分(欠点含む)を「私はこう言う人間なんだ」と受け入れる(愛する)ことです。自分自身に向き合うと、欠点ばかりが目につき正直死にたくなります。でもここで考えて。欠点のない人間はいません。欠点があるから人間なのです。私はその人の人間的魅力の源泉はその人の欠点(人間的弱さ)にその源泉があると思っています。全て合理的に正しい行動しかしない人には何の面白味もありません。付き合いたくないタイプですね。なので私は欠点=個性だと思っています。なので(無理に)欠点を直して欲しくないと思ってます。人と付き合う楽しみは、いろんなひとがいるなあ、ということを知る楽しみに他なりません。さらに言えば、人を愛する、という事はその人の欠点を愛する(受け入れる)ことに他なりません。ごめんなさい、求めてられる解答と違う方向に行ってしまったかもしれませんが、お許しください。
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人の身体は、新陳代謝で変わります。


洗脳でも理解できるように、人の思想も変わります。
生き物が生きると言うことは、変化し続けることです。
変化しなくなったら、原子に戻ります。
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変わる努力した人は、変わる!生まれつきは、変わらない奴等が沢山です。

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人といっても、自分と他人がある。



自分で自分を律して変えて行く事は時間をかけてできる。

他人を自分の思うように変える事はできない。
先ず先に他人の精神に介入することは、他者人格に対しての侵害行為なので悪事である。
悪事をしている点で既に人として正しくない間違った事をしていることになる。
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まず子供は成長しますよね。

体だけでは無く精神も知識も。
吸収する知識によって考え方もどんどん変わります。
大人はどうでしょう。大人と言っても全ての知識を得ているわけではありません。
さらに知識を得る事で考えを変える事もあるかも知れません。
経験によって人が変わるようになるということもあります。
(悪い方に変わる人もいるでしょう)

つまりは、逆説的に、大人になって知識も入れない経験もしない人は変わりようが無いということでしょうね。
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