
同じような質問で、2回目です。
前回の質問ではほとんど全ての回答者から否定されましたが、ベストアンサーとした一人の回答者から、明治6年の政変以後に征韓論が盛り上がった事実の回答をいただきました。
それをもとにネット検索したところ、明治大学教授 落合弘樹氏の「『評論新聞』にみる明治前期民間人のアジア認識」がヒットし、この内容を見て私の考えは正しいのではないか?と強く思うようになりました。
この論文から拾った根拠は以下のとおりです。
10ページ 6.朝鮮論-征韓・非征韓の交錯-で、
「朝鮮をめぐる議論は周知のように「征韓論」を惹起させた。その契機となったのは、明治6年(1873)10月における参議西郷隆盛の朝鮮遣使問題紛糾と、その後の政変を契機としている。」と征韓ではなかったことが明記されている。
しかし、その後に続く文章で「この場合、よほどの強硬策を朝鮮に示さない限り、政府の威信は内外で失墜するだろう。それゆえ、この問題は当時から単なる使節派遣ではなく、戦争と結びついた征韓として認識される。」と、征韓論の根拠として断言しています。
更に読み進むと、この対朝鮮交渉策はすでに元治1年(1864)に構築され、徳川幕府に採用された後、明治政府に継承されている、と述べ、西郷も有名な「遣韓使節決定始末」で「曲直判然と相定候儀」と訴えており、西郷は朝鮮と交戦するにしても数年先のことと認識していた、と断言しています。
また、8..日朝修好条規への評価 の16ページには
「明治9年3月10日の『朝野新聞』は、この程度の解決ならば三年前でも可能で、今までの混乱は何だったのかと嘆いた。」という記述があります。
いかがですか?
それでも、「「西郷隆盛は征韓論者」という歴史認識ですか?
PDFファイルのため添付できず、Urlも提示できませんでしたが、
"『評論新聞』にみる明治前期民間人のアジア認識"で検索するとヒットします。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
個人的な意見なので反論があるかもしれませんが、
あくまでも資料を論拠としたものです。
まず、征韓論が日本が勢力拡大のために朝鮮を侵略しようという
見解から「西郷が朝鮮を侵略しようという意見に賛成」ならNoです。
しかし「朝鮮を誅する意見に賛成」なら、征韓論に賛成の立場です。
当時の情勢として、一般人はいざ知らず政治家たちは維新の混乱を
収拾することが重要で、他国への侵略より内政の安定が急務です。
なぜこの時に日本で征韓論が盛んになったかというと書契事件で
朝鮮の外交があまりに無礼だったからです。
現在の認識では「皇」や「勅」の字が問題だったと説明されますが、
これらは朝鮮通信使の時代に問題なく使用されていたのに
実際は当時の朝鮮側の外交窓口だった東莱府が全く取り合わず
言われたとおりに書き直しても難癖をつけて約7年間にわたって
受け取りを拒否しただけでなく、東莱府に
「(日本は)無法の国で恥知らず、衣服容貌とも(西洋かぶれで)
日本人にあらず、(明治維新は)天下の笑うようなことを
平然と行う恥知らず」
という挑発まで行っていました。ちなみにこのいきさつは
「朝鮮事件(一)」
アジア歴史資料センター レファレンスコード:A03023629100
などで確認できます。(挑発に関してはP18)
日本側としては、原則として維新による政権交代の挨拶を行うとともに
日朝間においてこれまでと同様の付き合いを望んだものですが、
朝鮮官吏は独断で大院君の鎖国制度を拡大解釈して行ったようです。
当時の日本はこのような朝鮮側の礼を失する対応に怒っていて、
西郷はこれに対して自ら交渉に赴き、場合によって害されたら
それを理由に朝鮮を誅するという意向だったようです。
その意味では西郷は征韓論に賛成していました。
ちなみに、この状態は大院君が失脚するまで継続しましたが、
大院君の失脚によって高宗の知るところとなり、
「国王則チ其書契ノ謄本ヲ看テ始テ積年阻隔之情ヲ知リ
諸臣ヲ譴メテ云ク 我國数百年来禮ヲ日本ニ失セス
今猶然リ思ヒシニ豈図ランヤ其信義ニ及スル己ニ
数年ニ及ヘリト 是何ノ事ゾヤ諸臣詳ニ事を陳スルニ依リ
国王盛怒」
「朝鮮始末(三)」(同:A03023629600、P93)
失礼ながら論文ではご存じないのか無視されていましたが、
高宗の激怒による勅命で外交の正常化が行われています。
(東莱府使鄭顕徳と訓導安俊卿は斬首になっています)
また、これ以後の問題は字句の問題ではなく洋装を主張する日本に
これまでと同じ和装を要求する朝鮮という関係でした。
朝鮮高官の暗殺事件などで交渉が進まない間に江華島事件がおこり
朝鮮が誤射を認めて改めて交渉を行い日朝修好条規が結ばれたので
征韓論は急速になりを潜めました。
江華島事件においては、現在では「日本が違法な示威行動して
朝鮮が仕方なく発砲した」という認識が多いようですが、
当時は大型船舶の通行のための海図が存在しなかったので
森山茂理事官が示威行動を兼ねて測量を申し出ましたが
「要衝に侵入して測量する不法行為」は現在の認識です。
実際に日朝修好条規における交渉で朝鮮側は大臣が
「日本の船と知っていたら攻撃しなかった」と言っています。
(「黒田弁理大臣使鮮始末 正本/2」 同:B03030146000)
現在の認識では、江華島事件に限らず朝鮮に利する解釈が多く
反対意見は唱えにくいと感じます。
アジ歴などで当時の史料が見られるので、ぜひ参考にしてください・
No.3
- 回答日時:
>否定する根拠は?
「ひとつの本物」である根拠は何ですか。
論文はその人の考えを記述した物。
査読は論理的破綻があるかないかの検証。
事実かどうかの判定ではありません。(判定できるのであれば論文になりませんね)
リテラシーの無い可哀想な方。
今から10年ぐらい前、国会図書館に所蔵されている年鑑の中に、西郷隆盛が征韓論者ではなかった記述を見つけたのがそもそものスタートです。
恥の上塗りのような「質問攻めの、おかしな回答」を連発する前に、「西郷隆盛は征韓論者」と信じるあなたの根拠を明確にしたほうがよろしいかと・・・
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