人生最悪の忘れ物

人間皆価値は平等って嘘ですよね?明らかに価値のある人間、ない人間が居る。自分のような役に立たない人は無価値な扱いを受ける。いつかゴミ捨てに出されそう。

A 回答 (29件中1~10件)

それでも価値を生み出し頑張って下さい。

 応援しております!

なぜなら、シャネルをたくさん持っている金持ちは、実は意外とユニクロが大好きな人が多かったり、ステーキばかり幼い頃から食べさせられていた子供が大人になると、吉野家の大ファンだったり・・意外とあるんですよ そんなこと。
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そして、その価値のないとする人を、価値のあるとする人が虐げるなら、価値のあるとした人の価値は、価値ではないことになる。


失われた価値は価値ではないことが証明された過去の似非インチキな価値になる。
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> 人間皆価値は平等



誰が言ったんですか?
自分の価値は自分で決めれば良いので、平等なんてハナからあり得ません。
ご自身が決めている価値なのだらか、他人がどうこう言えません。
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解釈が間違ってます。

価値が平等ではなく人権とか存在する意義が平等に
扱えという意味です。価値のあるなしはいったい誰が決める権限があるんでしょうか?ほとんどが「勝手にそう思ってる妄想です」
日本国憲法よく読んでみてください。
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生きている存在は平等です。


役に立たない人は居ません。
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人間としての存在は全員平等です。



しかし、資本主義(弱肉強食)の世では
お金を沢山持っている人が偉い(強い)の
です。あのトランプ次期米国大統領の支援者
イーロン・マスク氏やビル・ゲイツ氏等は
資本主義下の強者の代表でしょう!

けど、それが幸せか?どうか?はその方々
の価値観によるでしょう。
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人は皆、平等です。


対等ではないだけです。
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相対的なものです。


相対評価で叶わないなら絶対的になるしかない。

貴方がそこまでする価値をこの世に見出すのなら。
選ぶのは自由です。
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嘘ではなく「誰もがいつかはゴミ捨てに出されそうになる」んですよ。

それが早いか遅いかの違いです。なので「そうなるまで一生懸命生きましょう」と言うのが真意です。

以下は長いですが、同じことを感じている人は是非読んでください。

●どんなに成功しても変わらなかった

大体の人は、「周囲の人の自分への扱いを変えよう」として色んな努力をするものです。しかし「本当に自分が困ったとき」に「自分がしてほしいこと」をしてくれる人は「誰もいなかった」と気が付きます。このサイトでも「そういう質問」が殆どです。

「怪我をしたので辛かったんです。普段はこんな我儘をいい
 ません。だけど彼氏なんだから、こういう時は甘えさせて
 くれても良いと思うんです。別れるべきですか? 私は間
 違っているでしょうか?」

こんな質問もありました。

●甘えさせて貰えるほどの価値は、すべての人間に一生ない

すべての人間は「どんなに成功」しても「甘えだけは許されない」という点で同じ価値です。「それが許される価値」が存在しているように見えているだけであり、「すべての人間には平等に無理」という事です。

好きあったカップル。気が合う友達。意気投合した仲間達。互いが価値を認めたのは「甘えた態度」を見せていないからです。この後で「甘え試し」をすれば、その瞬間に関係は終わるんです。

●それでも甘えたいときは来る

この時に「ごみ捨てに出されそうになる」わけです。なので早いか遅いかの違いしかありません。貴方が「そう感じている」という事は「誰かに甘えている」状況であるという事です。どこが自分の甘えなのかを数え、一つ一つ「考え違いでした」と他の人にアピールすると(その感覚は)消えます。

●最もしてはいけない勘違い

「価値が同じってことは、僕だって甘える権利はある」

こんな平等論を持ち出して「自分で何とかしないと行けない」はずであるのに「自分は不公平に扱われている」と主張すると「それは甘え」と受け取られます。「他人より早めに」ゴミ捨てに出されそうになるわけです。

「多くの賢い大人はコレが不幸の原因と知っている」

●平等論を持ち出す人は、甘えさせてほしいと言っているだけ

平等論を持ち出す人は、怒ったり、泣き落としをしたり、脅したり、透かしたり。色んな事を考えて「少しは甘えさせろ」と頑張っているだけなんです。もともと誰もが「いつかはゴミ捨てに出されそうになる」程度の価値しかないんです。そんな可哀そうな人達の中でやれば「俺だってそうしたよ!」と叱られますよね。

「みんな揃って可哀そうなのであり、自分だけが可哀そう
 と言う人は相手にされない」

●平等論を持ち出す人は不公平な主張をする

「ひどい目にあっている人が沢山いるのに、自分がひどい目
 にあった時だけ、自分が可哀そうだと主張する」

この様な不公平を行う人が「平等」を主張しても誰も耳を貸さないでしょう? なので(できうる限り)「自分を可哀そう」と思ってはいけないし「他人を可哀そうだ」と思う事で「主張のバランスを取る」のが大人です。「他人を可哀そうだ」と言う人が居ても「甘えさせてくれる人」ではないのです。その人は自分の主張のバランスを取りたいだけなのです。

●処世術と分けて考える

誰かに同情(共感)されたいと言うのは「叶わぬ夢」であり、甘えとして捉えられます。その瞬間にすべてを失います。私たちは「社会と言う野生」の中で生存競争をしているのです。「もっと同情するべき」と戦えば、傷が広がります。

●何が正解なのか?

「落ち込んだりしたけれども、私は元気です」

と「もう大丈夫なんです」と言う情報を加えて話すのがとても大事です。これを加えると「大変だったね」と同情されます。こういう違いがあるので大いに活用しましょう。自分で解決したと報告することに価値があるのです。

これを処世術と言います。

●甘えと捉えられない分界点を見極める

「支援すべきである」

と主張することは可能です。例えば「貴方が困るはず」「みんなが困るはず」「これまでが無駄になります」「あと少しで利益が出ます」など「甘えていない人が伝えるお得な情報」であれば支援されます。

「私は可愛そうなので、私が満足するまで、みんなは私に
 優しくするべきです」

と言う主張に出会えば「無尽蔵に投資をしてリターンが無い」と思われます。「上手い言い方」をする工夫が必要なんです。

●ノーアイデアであっても考えるべき

生きている間中「自分は可哀そうだ」という地獄を自分に味合わせる事も出来ます。「甘えた自分に対する罰」としては有効でしょう。しかし、「こんな言い方なら支援があるかも?」と考える時間に使っても良いわけです。

●処世術を使いましょう

「ニートになる方に」みたいなメッセージを出したYoutuberの方がいました。彼は「落ち込んだりしたけれでも(今は)私は元気です」と伝えています。しかし、元々は「全ての人は、いつかはゴミ捨てに出されそうになる」運命なのですから、可哀そうなままです。それでも「そういう演出」をすることで「支援が集まる」のを知っているのです。つまり処世術です。

●社会は意外と甘いの?

「約束を果たせないと思えるのに支援が集まった? 何故?」

実は理由があります。すべての人が可哀そうなんです。つまり、誰かを叱るほど安全な人は居ないという事です。つまり「自分の適当な判断で好きな人を支援しても怒られない」という暗黙の了解があります。

●どんな暗黙のやり取りなのか?

「僕のウソ(実は自身が無い)を何で信じるんですか?」

「それが分かった時、私はここにいないからだよ」

「幸せになっているってことですか?」

「いや。ゴミ捨てに出されそうな立場になっているはず。その
 運命はどうせ変わらないのだから、少しでもマシな人に私の
 好みで支援をする」

「他の人は反対しなかったんですか?」

「だって他の人も同じ運命だろ?同じ考え方をしたんだと思う。
 私をだれも止めなかったよ」

●どうして自分の扱いが酷いのか?

社会の甘さ(意外と適当)を活用せず、説明においても処世術を使わず、同情だけでクリアしようとしたからです。少しは「この程度やれば甘えと言われない?」という合格点を調べるべきです。そういう事をせずに「俺の不幸度合いを強調して説明して凌ぐ」と言う発想は物臭です。

この「合格点を調べない物臭」が悪影響を及ぼしているんです。例えば「頑張っても、その程度のリターンしかないんですか?」とか「その程度やっただけで許されるんですか?」みたいな事が多いんです。これを知らないため上手くやれていないのです。

●皆が落ち着いているのは合格点を知っているから

「怯えるほどの物じゃない」

この様な安心感を得て「処世術」を活用するようになると「不安感」が無くなります。所詮は「甘え」を悟られない様に頑張るゲームであり、何を甘えと捉えられるのかを調べて気を付けるだけなのです。

「合格点は誰でもクリアできる程度の易しいものだった」

●知らないだけの間抜けにはならない事だ

試験を受けずに「同情や共感だけ」で受験に合格しようというのは不可能でしょう。しかし実際の難易度が「名前を書いたら合格」という物だったらどうします? 試験を受けに行った人は「世の中は素晴らしい。優しい」と言うでしょう。しかし、試験を受けに行かなかった人は「誰にも同情されない自分は可哀そうと一生頑張る」人生になります。実際のところを知らないからです。

●家族に辱められる仕事をしても無給だった

職場での扱いなどで相談が結構あります。「自分の人格が貶められています」「それでも働かないと食べていけない酷い社会です」等々です。

しかし、働かないで誰かの世話になり「家族に自分の人格が貶められている人」「職場でひどい目にあって無職になっただけなのに、ネットで人格を貶められている人」も多数いるんです。

問題なのはその人の頑張り(落ち込み。耐久。忍耐)には給料が出ないことです。「せっかく落ち込むのだから、お金がもらえる場所の方がマシだった」のではないでしょうか。

●報酬がもらえない場所や行為は避ける

同じ不満や不平を言っているのに「この人には給料が出ている」と言う立場の違いがあります。ここだけを考えるのが大人です。

「政治への不満で暴動が起きてる。政府ざまあ。もっとやれ」

「勘弁してください。私たちが暴動を起こす人と対するので
 危険なんです。私の家族は心配しています」

●実は、一番損をしている人が喜んでいる

国政が荒れても、暴動が起きても、仕事で対応している人には給料が出ていますし、危険手当が出ていますし、労災が認定されるでしょう。上司や家族に心配されるはずです。

「給料が出ていない人の方が喜んでいるのが滑稽」

「仕事なのでどうでもいい」と政府で働いている方々は思ってるはずです。

●まとめ

全ての人は「平等に価値が同じ」というのは正しいのですが「良い意味」ではありません。誰もが、どのみち死体になりますし、どこかでそれに近い状態になります。その時はどんな人間も「ゴミ捨てに出されそうだ」と怯える運命なんです。それまでの間に甘えた態度を見せた人は地獄を味わい、隠した人は、それなりに楽しく過ごせます。合格点とは「甘えを隠す」という部分にあります。ぜひ活用してください。

以上、ご参考になれば。
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仮にゴミの日に捨てられていたとしても、処理に困りますね


ゴミのほーがまだ取り扱いやすのでマシです
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