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世間の常識からズレている人は視野の狭い人、自分を客観視できない人ですか?

A 回答 (21件中1~10件)

場合によっては貴重な考え方、アイディアの持ち主かもしれません。

人の価値は単純視出来ませんよ
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我関せずですこぶるマイペース。


自分のマイルールがすべてだから視野も狭く客観視もできない。
視野が狭いとか客観視できないことが当事者たちは生きる上でなんら必要とは考えてはおらず、故に周りは大いに迷惑で困り果てる、と個人的には考えます。
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まあ、世代が違うと、常識もずれてきますからね。

世間の常識は時代によっても変わりますし。多少は、自分を見つめて調整していくのが大人の考え方ですけど。
 今はやばいですよね。いろんなところでやりたい放題で、外国人観光客も自分の国でしたら◯◯されるようなことを日本でやってる。
 あなたも、生活の中で、自分の周りと合わせる必要があれば、その集団の『常識』を見て判断すればいいんです。
 動物のように好き勝手する人は、自分を客観視してないと思います。
 他人のことならもう治らないので、諦めるしかないですよね。
 わたしは日本を出てから、日本の常識が通じない場面に直面して、ドン引きすることが多かったので、日本の常識で言い合いしてるうちは、まだかわいい問題だなって感じます。
 あなたはきっと、高級レストランで、子供にビール瓶におしっこさせる親とか見たことないですよね。そういう人は、自分を客観視できてませんよ。全く。 
 他人にどう思われようが、駅のホームのゴミ箱に子供に直接、排泄させてそのままとか。DQNな人は自分を『客観視』なんてしない。
 もう偽装移民が日本へたくさん入ってきてますよね。日本人同士の常識の話だけではなくて、日本語わからないふりして仕事をサボるコンビニ店員とか出てきてますよ。
 もう、自分を客観視できない人ってたくさんいると思います。
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世間の常識からズレてないという自信を持っている人が視野の狭い人、自分を客観視できない人なんじゃないかなと思います。

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常識にとわられないってことは逆に視野が広いと言えますね。

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実績次第でしょう。

世間に認められる実績を残している人は、世間のやり方や評価の仕方をリサーチしているはずです。実績を残している人は常識の大切さを身に染みて理解しているはずです。

以下は長いので興味があればお読みください。

●過去の実績から判断する(のが常識)

過去に実績がある人は、殆どの場合は皆に合わせているということです。その上で、ある部分では「自分のやり方」「気が付いた別の方法」を試しているのでしょう。そういう人は観察のし甲斐がありますよね。

●質問者さんの意見に該当する場合もある

他者に誇れる実績が無い上に「世間の常識からずれている」という場合は、おっしゃる通り、「自分以外を観察する意欲」が薄いと想像できます。また、「周囲に合わせたときの成り行き」「周囲を無視したときの成り行き」を比較して「方針の変更」を検討できていないのです。つまり「比較して検討する力も弱い」となります。

●私たちは、何を大事にしているのか?

ある場合は常識に合わせた人が生き残り、ある場合は常識を無視した人が成功したりします。そのため「常識の扱い」について意見が分かれるのだと思います。では、この時に「何を基準に良し悪し」を決めているのでしょうか? 当然ながら他者との競争で成果を残したか否かです。生き残りにおいて強いか否か? 皆さんが本当に重要視しているのは(知性を活用した)「生命力」であるということです。

●本質は自滅を防ぐことにある

自滅ほど意味のないものはありません。その人が頭を使っていなければ、その人は生き残っていたという事です。寝ていたほうがマシであったという次元の「思考力」は本人にとって毒だと言えるでしょう。何も考えない方が「本人にとって都合が良い」となります。この時に「何も考えずに世間に合わせる」「何も考えずに世間に逆らう」の二択があり、前者は危ない状況であり、後者は助からない状況であると思います。

●常識を重要視しすぎたり、軽視するのは良く無い兆候

本質が「自滅を防ぐ」ためならば、「正しく思考できているか?」が一番重要でしょう。思考する活力がなかったり、お手本とする常識が正しくない(現状と合致していない、古い物、紛い物)場合は危険であると捉えられます。

十分に思考した上で「結果として、常識通りがベストであった」としたのなら問題はないでしょう。しかし、思考をする余裕がなく、サボりたい気持ちが強くなっており、「正当化」「安全策」のために常識を重要視しているのならば自分のほうが危ないのです。

「その場合は、他者の批判より、自分の生命力の枯渇を心配する
 べきであり、自分の健康を第一に考えるべき」

●脳はどういう状態なのか?

思考をサボりたいという欲求が生じている時は、脳に十分な血液が送られていない(うつ病などはそういう状態になる)可能性もあります。うつ病の人の頭部をサーモスグラフで撮影すると「真っ青」に写るそうです。それでも普段は普通の人に見えるのです。これを鑑みれば「自分の異常」は自分(または他人)では気が付けないと分かるはずです。

●思考に気をつけなさい

脳の血流不足、その時の思考、それが漏れ出る言動、それが行動に反映される、など段階があるとするならば、「常識はずれ」の言動や行動が出た段階で「危険はかなり進行している」と言えます。しかし「他人事」であるため「あの人は常識がない」程度の評価になってしまうのです。昨今では「悪化が進んでからメンタル疾患」と診断されるケースが増えています。当人にとっては人生を揺るがす大事件なのでしょう。

●うつ傾向を判別する

その人の論理が向かう方向が「だから辞めていいよね」「だから辞めようよ」「だからやらなくても大丈夫ですよね?」となっているかどうかです。逆に「理屈はわからんが、試してみても良いのでは?」と思っているときは健全であるという事です。

このサイトでは「だから遣らないでいいですよね?」的な質問には批判が集まります。つまり回答者の多くは健全であると言えます。しかし「他のサイト」では違うわけです。そこには「同じような状態の人」が集まっているかもしれません。そのコミュニティの常識が自分のためにならない事もあるのです。

●他人を批判するのも自分に活力がない証拠

「面白いので相手に合わせてみる」

活力が十分にあると「失敗してもリカバリできる」という自信が生じます。その上で「暇なこの時間を無駄にしたくない」と思い、経験を増やすために「相手に合わせる」という発想が生じます。

逆に「自分が頑張るべきだと知っているが、そんなの無理だ」と感じているときは「相手に合わせて欲しい」と思うものです。これが強くなると相手を批判する気持ちが生じます。これも「大分悪化が進んだ」と捉えられます。

●他者を言い負かしても意味がない

本質は自分の生命力が落ちており、それも長期化しそうだという問題なのです。そういう状況まで悪化しているからこそ「思考する」のが辛いのです。だからこそ「他者に変更を求めている」となります。この時に「相手を言い負かせば助かる」的な「願掛け」をしてしまう人がいます。当然、まともな思考の結果ではありません。そんな感じがするだけなのです。

「本当は死にかかっているのに、相手を言い負かしたくなる」

これは仏教の説話の中でも出てくるようです。つまり、死にかかっている人ほど相手を言い負かしたくなるのは、昔から知られていたのです。

●うつ病の症状であると気が付かないと行けない

「最後は助けて欲しいと思う人が、助けてくれそうな人を言い
 負かそうとしている。当然、喧嘩になり、助けてくれなくな
 るのだ。何をしたいのだろう?」

これは本当にありますよね。しかし、うつ病は「自殺病」であるため、自分の消滅につながる(自滅につながる)行為を尊んで(執拗に)行います。良くないと知っていても辞められないのは「自分を殺そうとする何かが自分の中にいて自分の衝動を操っている」からです。この何かと対話をし、許してもらう事がとても重要なのですが、負けまいとして世間に八つ当たりをしてしまうのでしょう。本当に対処すべき対象は「自殺させようとしている自分」なのです。

●自滅の道から人の道に戻るための方法論

「体を尊敬することで全て許される」

うつ病などの治療でもありますが、まずは体の状態に注意を払い、体からの感覚に耳を傾ける練習をします。世間ばかり気になっていると自分の体を軽視するものです。これが行きすぎますと「不良品」「壊れたので元に戻らない」と「脳内の何かが判断」し、人間的アポトーシス(細胞が自殺をする現象)が起きるのでしょう。

つまり、常識を重要視しても、常識を無視しても、体を尊敬する気持ちが薄れている場合は、(自分の)脳には「罪である」と判断されるのです。それが続く場合は「自滅を強要される」ようになります。

●これから死ぬ人と対話をしている

私たち全ての人は無限に生きられません。つまり「これから死ぬ人」と対話をしているのです。これは科学的にも明らかでしょう。この事実に目を背けていると自の異常化が進むのです。

「こんなに一生懸命やってるのにコレは死ぬのか。哀しい。
 どうすれば満たされるのだろうか?」

この様な気持ちを(強すぎると害になるので)僅かに維持し、今この時の出会いを満喫する。この「今をしゃぶり尽くそうとする」感覚が若さの正体です。また活力の現れとも言えます。

●若い時に自分自身に選別されている

「今をしゃぶり尽くす」

と思ったとき「自分の快感だけを求める」のか? それとも「次もやりたい」として少し冷静になるのか? ここが分かれ道でしょう。

「腹八分目に抑えて、周囲の目を気にしてみる」

刹那的になりすぎて、(誰かに)次回はお断りだと言われたら、これは自滅の一種でしょう。そういう傾向がある場合は「自分の未来に何も期待できない」(既に自殺行為が始まっているため)と思います。

●体を尊敬し、長く思考できる自分を目指す

状況を活用する。先を予想して準備する。

これらは社会に生きる上で必須となる能力です。この能力が乏しくなり、正しく脳が機能していない場合は「自滅する」はずです。この大事な能力を健全に伸ばしていくことが私たちを強くするわけです。

●体調が先である

体が「今は無理。ちょっと待って」と言っているのに、無理をさせる人は罪を背負います。罰として(自分に)自滅を強要されます。

「じゃあムリゲーだろ?」

「どうしてそこで、体を万全にしてから実施するという発想を
 しないのかな?」

体を万全にせずとも体は勝手に回復するものだ。この様に考えている人が不幸になるという事(自滅させられる)です。発想を変えて「素早く体を万全にすれば、それだけ多くの思考する時間を得られる」とするのが正解でしょう。

●まとめ

常識とは「自滅せずに生き残った人たちの言い分」でしかありません。世代を重ねて結果論で積み上げたものです。ですので時代変化に追従しているとは限りません。とはいえ、変化を見極める姿勢を持たなければ、もっと酷い結果になるでしょう。

常識の是非を問う前に「自分のためになるのか?」を考え「言い負かそうとする自分」を発見して、死に近づいているのではないかと疑う。本来の健康な自分ではないとし、体に礼を尽くすモードに転換するのが大事に思えます。その様な習慣を持つ人の意見に耳を傾けるべきであり、そうでない人には心配をしてあげるのが筋でしょう。

以上、ご参考になれば。
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視野の広い人じゃないの。


客観視出来ないのではなく、しないんじゃないかもね。
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世間の常識から大きく外れている人の方が、視野が広い場合もあるとも思えるし、突拍子もない角度から物事を見ている場合もあるような気がします。



それが良に出るか悪いに出るかは別として、時にその外れ方によっては大物になったり、とてつもない偉業を成し遂げたり、素晴らしい感性の持ち主だったりすることもありますから……何とも言えません。

世間一般的な人間
常識的人間
平均的人間

それのみが良い人間などとは私は……ですが思ってはいませんし、外れものの有名人著名人で世の中溢れかえっていますもの。

人って、何かに大きく欠落してる部分は、何かでちゃんと補えるようになっているんじゃないかなぁ、と思いますし、昔からバカと天才は紙一重というじゃないですかね。
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世間の常識に縛られている人は、明確に視野が狭い人であり、自分を客観視なんてしたこともない人です。



視野が広く、自分を客観視出来る人とは、世間の常識さえ疑問視し、本当に自分の考えが正しいのかどうかを相手目線や第三者の視点からも検討し続けている人のことでしょう。

世間の常識からズレているということは、単に世間常識を知らない人なのであれば知識が不足している人という位置づけになります。
しかし、世間常識の視点とそれ以外の視点という複数の視点を持ち、その上で世間常識以外の視点を採用しているという人なのであれば、明らかに世間の常識に縛られている人よりも、視野が広く、自分を客観視できていると判定できると思われます。

「世間の常識」は本当に正しいのか?
最低限、それを意識し続け、考え続けている人でない限り、それを「常識だ」として他人に押し付ける資格はないと思います。
また、異論を聞いた時には、謙虚に耳を傾ける態度が必要なことは言うまでもありません。
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世間の常識と、個人の視野の狭さ、自分を客観視できないことはすべてつながりがあるようで、ない場合もありますので、ご質問に対して正しい答えは見いだせません。



世間の常識とは、大方の世間の人が「これ(それで)で良し」と考える、もの事の認識の程度の問題です。慣習も法なり、と言う言葉がありますが、この常識もそれに近い物です。したがって、常識を外れた行為は非難の対象になります。

個人の視野の狭さについてですが、これは、何を観るときとか判断をするときとか、判断する人の立場とか、対象との関係によって様々です。

客観視できない、と言う意味はものごとを観たり判断する場合、自分の方からしか観たり判断出来ない場合を言います。相手の立場に立つとどの様に見えるのか、考えられるのかが出来ない場合を客観視できない。と、言います。
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