中学受験生に、古墳時代~大化の改新までの授業をするのですけど、どこをどう省いていって、どのような流れで(どこに重きをおいて)授業をしていったらいいのか、迷っています。私は、史学専攻なのでどうも専門的になりすぎて、教えすぎてしまうところがあるみたいです。子供たちにどこを、どのようにして印象づけていったらよいのか、何でもいいので、なにかいいヒントをください!

A 回答 (3件)

私見ですが、年号がはっきりしていない時代なので、第一は時代順の把握だと思います。


中心は言葉の理解と漢字で書けることでしょう。
言葉なら、古墳時代といっても弥生時代がひっかかっているので、三内丸山に代表される縄文遺跡、吉野ヶ里に代表される弥生遺跡を強調することを心がけてはいかがでしょうか?
次に年号が出て来て、239が魏志倭人伝で邪馬台国、391が高句麗好太王碑文、478が倭王・武の上表文。日本史Bではないので、武とは雄略天皇と言われるくらいに抑えて、稲荷山古墳出土の剣にあるワカタケルが同一人物だくらいは言うべきでしょう。あと今は受験問題で、聖徳太子の外交政策と武の上表文の内容の違いを書かせるというか考えさせる問題が増えている気がします。
それから古墳は前方後円墳、大仙古墳、雄略天皇、吹き石、埴輪、副葬品あたりがキーワードかと思います。
続ければ538仏教伝来、593聖徳太子、推古天皇、摂政、渡来人の技術(のぼりがまなど)、蘇我氏と物部氏ですね。蘇我氏が何故物部氏に勝利したかを書かせる問題がどこかにあった気がします。
やがて蘇我氏の専制、645大化の改新、中大兄皇子、中臣鎌足、改新の詔、663白村江の戦い、668天智天皇即位、大津京、672壬申の乱、大友皇子、大海人皇子、持統天皇、文武天皇と続きますね。
以前は飛鳥文化の次は天平文化だったのですが、高松塚古墳を引き合いに白鳳文化をその間に生じた文化として、中学受験で扱っています。少し驚きました。
こんなところかと思いますが、他意はございません。おせっかいに思われましたらご容赦ください。
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 一般的な答えですが。

受験用の問題集に出てくる範囲のことがらで良いと思います。受験生のレベルに合う問題集を参考にしたら良いと思います。
 生徒にとって、細かい説明よりもどこが受験に出るのか、ということの方が大切なわけですから、重要項目・必須項目(問題集を参考)を強調し、年号の暗記法(語呂合わせなど)を教えると良いと思います。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。今までは流れを重視した授業になっていたので(かなり細かい内容で)単語じたいが埋もれてしまっていたふしがあります。もうすこし、試験問題をといて、検討していきたいと思います。

お礼日時:2001/09/25 00:14

私は中学受験を経験し、今高校2年で日本史を先行しているものですが、状況から言わせてもらえば今習っている日本史の半分は小学生の歴史では未知なものです。


例えば、遣隋使の分野を例にとって説明すると小野妹子は必要でも、高向玄理や南淵請安などは中学受験に関して言えば必要ありません。
そもそも中学受験というのは社会に関して言えば、小学校の教育課程に毛が生えた程度のものと思ってください。
それでは、何が必要なのかということですが、まず小学校の社会の教科書に載っている内容は必須です。
それと、小学校の内容だけでは私立・国立中学の受験に合格するのは難しいと思ってください。
特に私立は文部省の制約をほぼ受け付けませんので、教育課程外の問題も出してきます。(少ないですけど)
実際、私が受験した私立中学も1~2問出題されました。
あと古墳時代について言えば、この分野はそんなに深いことは問われません。
教えるのなら・・・・・。
動物ならナウマンゾウ、オオツノジカ
古墳、遺跡なら岩宿遺跡、大森貝塚、登呂遺跡 etc
※相沢忠洋は重要
こんなかんじかな~。
書物に関してですが、「漢書地理志」などこの時代の書物は全て教えた方がいいと思います。
書物の内容は必要なかったように思います。
ただ、文面を見てこれは何という書物かということぐらいは問われます。
最後に、中学入試ではとにかく単語が問われます。
ですから内容よりもまず単語重視で教えた方がいいと思います。
大体こんなかんじですが、役に立てたら幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。やはり、子供たちにとっては単語の強調が必要なのですね。史学専攻で、へんなこだわりをもっていたので、注意したいと考えています。

お礼日時:2001/09/25 00:12

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Q(謎)乙巳の変 大化の改新 ?? 

乙巳の変と大化の改新についてお聞きします。

僕は乙巳の変と思い込んで話をしていて、知人は大化の改新と思い込んで話をしていました。

先日、テレビ番組でこの話題があったとの事で、知人が話をしだしたのがきっかけですが、僕はこの番組を見ていないので詳細が分かりません。

知人は、645年が大化の改新と学校で習ったと言いますが、僕の記憶では大化の改新が646年で、乙巳の変が645年と習ったような…という話になりました。

1.教科書の記載そのものが変わったらしいとの事でしたが、いつ頃から変わったのでしょうか。

2.子供は645年は乙巳の変だと言います。大化の改新は現在、実際に起きたことになっているのでしょうか?
それとも、僕が習った時のように、実際に大化の改新という明文やできごとは無く、その時期をまとめてそう呼んでいることになっているのでしょうか?

どちらか一方でも良いので、ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 簡単に申しますと、「大化改新」という事象は「改新の詔」と呼ばれる政策指針に基づいて実施されたとされる一連の政治変革を指し、一方の「乙已の変」は蘇我本宗家を政治的に葬った殺戮事件を指します。ですからこの二つの事象は元々別物と考えて差し支えはありません。
 実際に現在の中学校および高校のテキストを覧てみますと、上記二つの事象は同一年に起きた事象と記載されています。
 「乙已の変」を殊更に強調するのは物語り的な歴史ではあっても、様々な事象との関連で歴史をとらえるとの歴史教育本来のあり方からすれば本筋を外していると批判されても仕方のない見解といえ、その出来事を境として前後でどの様に社会構造や政治システムが変化したかを理解することが大切です。

>その時期をまとめてそう呼んでいる
この部分は正解と言えますが、その前にある「実際に大化の改新という明文やできごとは無く」この部分は現在でも議論が続いている、と理解していただければ判りやすいかと存じます。
 「改新」で何がどう変わったの?との内容と史料的根拠そして「大化改新」との歴史用語をいつ、そして誰が用い始めたのかは研究史を冷静に検証していくしかなく、新たな史料が発見されれば、現在の見解を見直す必要も生じますので「定説」というものは存在しません。ある程度の共通認識と理解すべきですね。

 簡単に申しますと、「大化改新」という事象は「改新の詔」と呼ばれる政策指針に基づいて実施されたとされる一連の政治変革を指し、一方の「乙已の変」は蘇我本宗家を政治的に葬った殺戮事件を指します。ですからこの二つの事象は元々別物と考えて差し支えはありません。
 実際に現在の中学校および高校のテキストを覧てみますと、上記二つの事象は同一年に起きた事象と記載されています。
 「乙已の変」を殊更に強調するのは物語り的な歴史ではあっても、様々な事象との関連で歴史をとらえるとの歴史教育本来...続きを読む

Q西洋史学を学ぶとしたら、早慶上智でどこが一番よいでしょうか?

私立文系世界史選択の高3です。
慶應義塾大学を受験するかどうかで迷っています。
大学では西洋史を勉強したいと考えているのですが、早慶上智ではどこが一番よいのでしょう? その三校以外に良い大学があるとは思いますが、学校から「実際に入る入らないにかかわらず目標は高く設定しておけ」と言われますのでとりあえずその三校で比較すると、どこが一番西洋史を勉強するのに適しているでしょうか?慶應は小論文があるので、目指すのならば講座を取ろうと考えています。

特に差がないのでしたら、雰囲気で選ぼうと思います。資料やオープンキャンパスに行った限りではそれぞれ

早稲田:放任主義、騒がしい
慶應:ある程度レールはひいてくれそう、大学から入ると馴染み難い?
上智:地味、アットホーム

というような印象を持ちました。実際のところどうなのでしょう。

Aベストアンサー

こんにちは。

質問者さまの志望大学ではありませんが、
西洋史を専攻していました。

大学には、ほかの大学からの客員教授のかたもいらっしゃいますので
一概に「どこがいい」とは言いがたいです。
現に私は私立大学ですが、大半の授業が東大からいらした先生でした。

ただ西洋史というとわりとキリスト教が欠かせない要素になっていますので(私はキリスト教信者ではありませんが)上智のほうが、3つのなかから選べと言われたら多少専門的かなという感じはしますが
早稲田でも西洋史(私の大学では「西洋史」として講義していた)吉村作治先生とかいらっしゃいますし、NO.1さんのおっしゃるとおり「先生」で選ばれたほうがいいでしょう。
予備校の先生や先輩に話が聞けそうだったら、そのへんを相談してみたらいかがでしょう。

勉強以外だったら、自分の好みのところにいけばいいと思います。
サークルも他大学のサークルに入ることもできますし
「大学の枠」に必ずしもとらわれることはないのです。

ご参考まで。
受験勉強がんばってくださいね!

Q大化の改新。

大化の改新はなぜ行われなければならなかったのですか??
そして大化の改新の政治目標は何だったのでしょうか…
中大兄皇子が行った政治が関係するんですよね…??

わかりません。
助けて下さい。

Aベストアンサー

>大化の改新はなぜ行われなければならなかったのですか??

 天皇家を含め、朝廷内における豪族の主導権争いです。蘇我氏が滅んだ後も、朝廷内がゴタゴタしていたことからも裏づけされます。


>大化の改新の政治目標は何だったのでしょうか

 具体的には分かりません。なぜなら、大化の改新が起こって間もなく、朝鮮半島の情勢が急変し、中大兄皇子を中心とする朝廷は、外交問題に追われるからです。そして白村江の戦いに敗れ、日本は朝鮮半島から手を引き、国内の政治に専念するようになります。

 しかしながら、その後も朝廷内での主導権争いが続き、中大兄皇子が天皇に即位することによって一応の決着をみますが、天智天皇は即位してから3年後に亡くなります。

 以上のことから、「大化の改新の政治目標は何だったのか」という問いに対しては、明確な答えはありません。

 なお、天智天皇の死後、壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇に即位してから、政権が安定し、天皇を中心とする国家の建設が本格化していきます。

Q大化の改新の表記

日本書紀以外に記述がないという噂を聞きました。
これは本当のことなんですか?
もし本当ならなぜ教科書から消えないのでしょうか教えてくださいお願いします

Aベストアンサー

そもそも、大化改新の時代をとり上げている歴史書は『日本書紀』だけです。
『古事記』は推古天皇までですから、それより後に起こった(とされる)大化改新のことはもちろん書けません。『日本書紀』の次に古い歴史書は『続日本紀』ですが、こちらは697年以降の歴史をあつかっているので、大化改新の話は出てきません。

「『日本書紀』と同じ時代をあつかった本がいくつもあるのに、大化改新の記録があるのは『日本書紀』だけ」
といった状況なら、「大化改新は、本当はなかったのでは?」という疑惑も出るでしょう。でも実際は、そんな本はないですから、「『日本書紀』にしか載ってない」のはあたりまえで、疑う理由にはなりません。

たとえば壬申の乱も『日本書紀』にしか出てきませんが、これを否定する研究者はほぼ皆無です。邪馬台国も、オリジナルの記録があるのは『三国志』(その中の魏志倭人伝)くらいですが、邪馬台国の存在自体は疑われていません。

1つの文献にしか出てこない事件でも、「その文献の記述に、矛盾や不自然な点がない(あっても常識の範囲内)」「その他の文献や、考古学的な証拠と矛盾しない」などの条件を満たせば、一応は史実とみなされます(否定するには、有力な証拠が必要です)。そういう事件の存在をいちいち否定していたら、記録が少ない時代の歴史は、ほとんど空白になってしまいます。

大化改新についてはいくつかの根拠から、『日本書紀』の記録を必ずしも、鵜呑みにはできないという説も有力です。が、すべてが史実とは言えないまでも、7世紀の半ばから後半にかけて、これに近い改革が行われたことは、まず間違いないと考えられています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%96%B0#.E5.BE.8C.E4.B8.96.E3.81.AE.E6.BD.A4.E8.89.B2.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6

そもそも、大化改新の時代をとり上げている歴史書は『日本書紀』だけです。
『古事記』は推古天皇までですから、それより後に起こった(とされる)大化改新のことはもちろん書けません。『日本書紀』の次に古い歴史書は『続日本紀』ですが、こちらは697年以降の歴史をあつかっているので、大化改新の話は出てきません。

「『日本書紀』と同じ時代をあつかった本がいくつもあるのに、大化改新の記録があるのは『日本書紀』だけ」
といった状況なら、「大化改新は、本当はなかったのでは?」という疑惑も出るでしょ...続きを読む

Q中国の学生からの問題:「大化の改新の戸籍制度」

中国の学生からの問題:「大化の改新の戸籍制度」
大化の改新の時、戸籍制度が作られました。その時、同一戸籍に入籍する条件は何ですか。
私は中国の日本語科の学生で、この問題を論文として出さなければならないですが、それについて全然見つけられません。皆さん、助けてください。お願いします!

Aベストアンサー

古代戸籍制度については異論、新発見、新解釈などあって、
ネットの範囲の資料では、Wiki関係が一応網羅的に把握できます。
日本語記事ですし、虱潰しに追うのもエネルギーが要るものです。
調査の援けになればと思いご参考まで。

■戸籍の関係年表
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%B8%E7%B1%8D%E5%88%B6%E5%BA%A6_%E6%88%B8%E7%B1%8D%E3%81%A8%E7%B4%99%E8%83%8C%E6%96%87%E6%9B%B8
リンクを辿っていくと制度の変遷と概要が分かります。
直接リンクのないものもあるので以下に挙げます。

・庚寅(こういん)の年籍
689年(持統3)飛鳥浄御原令にともない、その戸令(こりょう)に基づいて690年(持統4)に全国的な戸籍の庚寅年籍が作成された。現存しない。
五十戸一里を基準に行政的に戸を編成して、その戸内の家族(戸口)の名・年齢・戸主との続柄などを詳述したことによって、個々の家族構成を直接的に把握することを可能にし.....
年齢別人口構成や家族形態などを具体的に知ることが出来る.

・庚午(こうご)の年籍
http://www.weblio.jp/content/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%B8%E7%B1%8D%E5%88%B6%E5%BA%A6
703年(大宝3)日本で最初の全国的な戸籍は、「庚午年籍」であるという。しかし現存しておらず、全国的に全ての階層の人民を対象にして造籍したのかどうかも疑われている。

・戸籍と同じように、律令時代の人口(人頭)を知ることの出来る史料として、計帳がある。
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%B8%E7%B1%8D%E5%88%B6%E5%BA%A6_%E8%A8%88%E5%B8%B3%E3%81%A8%E8%AA%B2%E5%BD%B9
目録は、具体的な戸の内容を記載していない。数字だけの統計文書である。
毎年の歳入予定を知るとともに、全国の口数、特に課口数を掌握していたのである。成年男子の21歳~60歳までを正丁(せいてい)といい、課役の対象となった。

*ご質問の、戸籍と構成家族の基準については記載が見当たりません。
 当時は文字、係数に通じていたのは役人です。庶民には名前はあっても
 苗字(姓)がない時代ですし、どのような記録を作ったのか?
 課税と徴兵の基礎データとしての重要性から、
 中央政府に送られたのは員数のみのようでもあります。
 時代が下ると個人名入りの「死亡帳」「陰首」
   (冒頭「戸籍の関係年表」下部参照)などもありますが。

ご参考:
日中歴史共同研究における古代・中近世史の研究
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf
『古代・中近世史 総論』
・9頁の最終行~10頁(通算頁154~155)
実際に日本の郡では課税台帳となる計帳(厳密には歴名)が毎年作成されていた。これは戸ごとの構成員を記した名簿で、名前、年齢だけでなくホクロなどの身体的特徴まで記入されていた。
・10頁中段
律令政府は地方に倉を立てて中央から派遣された国司に鍵を管理させた。同じことは計帳の作成にも当てはまり、中央は畿内以外の諸国から個人の名簿を提出させることが出来なかった。
大和政権は天皇と畿内の豪族による連合政権であり.....。

古代戸籍制度については異論、新発見、新解釈などあって、
ネットの範囲の資料では、Wiki関係が一応網羅的に把握できます。
日本語記事ですし、虱潰しに追うのもエネルギーが要るものです。
調査の援けになればと思いご参考まで。

■戸籍の関係年表
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%B8%E7%B1%8D%E5%88%B6%E5%BA%A6_%E6%88%B8%E7%B1%8D%E3%81%A8%E7%B4%99%E8%83%8C%E6%96%87%E6%9B%B8
リンクを辿っていくと制度の変遷と概要が分かります。
直接リンクのな...続きを読む

Q大化の改新についてお願いします

「聖徳太子が望んでいた朝廷中心の国家」ってありますがどんな国家なんでしょうか?朝廷の意味自体もあまりよく理解できていません。大人用では理解できず小学生低学年用の本で学んでいます。回答しづらいと思いますがレベルダウンした回答でお願いいたします。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

bungetsuです。

>>なぜ税はお金ではないのですか?

当時の日本では、銭は銅銭ですが、中国から輸入された宗銭(そうせん=宗の時代に造られた銭=420~478)が主な流通貨幣でした。
朝廷や豪族、一部の商人は宗銭での取引を行っていましたが、全国的には絶対量が不足しており、特に農村部では物々交換での取引でした。
従って、銭で献納することはできず、言ってみれば、栽培した粟の現物納付でしか取引ができなかったのです。

これは、江戸時代まで「年貢米」として物納の形態が続きました。


話は変わりますが、ここへ寄せられた回答はすごいですね。
私でさえ分からないことが色々と寄せられていますね。
皆さんは、きっと、私より頭か良いのでしょうね。

Q「大化の改新以前は年号はなかった」の真偽

大化の改新以前は年号はなかった、というのは俗説なんでしょうか?

Aベストアンサー

年号とは、現在の「平成」まで続く元号の事でしょうか?

だとすれば、歴史の授業で習うのは「大化」が最初です。
それまでは、「えと」で呼ばれていたと思います。
「○○天皇の丑の年」とかって感じで・・・

ただ、大化の改新のところには、大宝律令以後にしか使われていない官職名が記載されたり、大化になった後にも、元号が途切れたりしていますので、現在では、「大化の改新は無かったのでは?」と、日本書紀の記述を疑問視する声も出ていますから、大化の改新が無ければ、大化という元号も無い事になります。
実際には大宝律令が制定されてから・・・というところだと思います。

年号が、「年を言い表す」という意味ならば、それこそ、大和朝廷以外など、様々な呼び方があったと思いますが・・・

Q大化の改新、大宝律令の時代について教えてください><

7世紀から8世紀の日本の歴史についての質問です。
いくつか疑問があるので教えてください><
(1)なぜ難波宮という都が建設されたのか。

(2)大化の改新があったが、なぜこの時代より天皇中心の国家がつくられるようになったのか。
(3)難波宮から藤原京へと遷都?した理由は?(どうして藤原京が作られたのか?)
教科書や資料を探しても載っていませんでした><
出来れば詳しく説明お願いします。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

東アジア史の視点から
基本線は、随・唐帝国の成立と、周辺諸国への進出です。
581年 隋成立
618年 唐成立
642年 高句麗 淵蓋蘇文のクーデター
645年 日本 乙巳の変
645年 日本 難波宮
654年 新羅 聖骨は断絶し、真骨の金春秋が推戴されて王位を継承
663年 白村江の戦い

それまで南北朝に分かれていた中国本土が一つにまとまり、周辺諸国を圧迫しました。それへの対処として「強い中央集権による、軍事力を作る」というのが、周辺諸国の生き残り策となります。
日本はたまたま、中央集権を作るときの「核」が天皇になった。逆の言い方をすれば、核になった一族がのちに天皇の名乗ったといえます。
高句麗は、淵蓋蘇文が実権を握り、もし高句麗が滅んでいなかったら、淵蓋蘇文が新王朝を築いていたかもしれない。新羅は、傍系の金春秋が、正当の王家となりました。

1)対外対応への迅速化ともいわれています。また、孝徳天皇の本拠地が、大和よりも河内にあったためとも。(これは、乙巳の変、主犯孝徳天皇説です)
2)上で述べたように、中央集権で対抗しないと、唐に征服されるからということになり、その核が天皇になった。
3)乙巳の変での実行犯中大兄皇子が権力を握りだし、半ばクーデターによって、孝徳天皇の本拠地から、自らの本拠地である飛鳥に移動した。
平城京までは、数代にわたって都をメンテナンスするノウハウがなかったともいわれています。藤原京は長期間の都を目指しましたが、「都の作り方」を書籍でのみ勉強したので、使い勝手が悪かったそうです。
※ 藤原京では藤原宮が真ん中にありますが、あれは、観念論的な都のあり方で、実際の隋や唐の都は、平城京や平安京のように、宮は北方に位置しています。

東アジア史の視点から
基本線は、随・唐帝国の成立と、周辺諸国への進出です。
581年 隋成立
618年 唐成立
642年 高句麗 淵蓋蘇文のクーデター
645年 日本 乙巳の変
645年 日本 難波宮
654年 新羅 聖骨は断絶し、真骨の金春秋が推戴されて王位を継承
663年 白村江の戦い

それまで南北朝に分かれていた中国本土が一つにまとまり、周辺諸国を圧迫しました。それへの対処として「強い中央集権による、軍事力を作る」というのが、周辺諸国の生き残り策となります。
日本はたまたま、中央集権を...続きを読む

Q大化の改新のレポート!!

現在私は中学二年生です。
学校で「大化の改新」についてのレポートを書きたいのですが、教科書には資料が少なくて困っています。
僕でも理解できるような分かりやすい資料はないでしょうか?
知ってれば是非教えてください。

Aベストアンサー

>現在私は中学二年生です。
学校で「大化の改新」についてのレポートを書きたいのですが、教科書には資料が少なくて困っています。
僕でも理解できるような分かりやすい資料はないでしょうか?
知ってれば是非教えてください。

こんにちは
一番簡単な方法は、日本史辞典で「大化の改新」を引いてみることです。また、百科事典で「大化の改新」を引くことも参考になります。日本史辞典の最高峰は現在のところ「国史大辞典(吉川弘文館刊)」ですが、中学生には難しい内容です。図書館で数種類の日本史辞典及び百科事典を見ることをお薦めします。
レポ-トのポイントは、改新前と後ではどのような変化があったのか。改新が起こった原因は何なのか。関係人物及び行動です。キーワードは、天皇中心・豪族中心・中央集権・律令体制・公地公民・隋唐などではないでしょうか。
なお、大化の改新について「乙巳の変(いっしのへん)」と言い方をされることがあります。これは、このときの変化が改新といわれるほど大きな変化ではないのではないかとの学説・考え方が強くなってきたためです。歴史事象の見方についてはいろいろの説があり、今まで定説とされているものも研究の結果、新たな学説に取って代わられることがあります。少し難しいことを書きましたが参考に。

>現在私は中学二年生です。
学校で「大化の改新」についてのレポートを書きたいのですが、教科書には資料が少なくて困っています。
僕でも理解できるような分かりやすい資料はないでしょうか?
知ってれば是非教えてください。

こんにちは
一番簡単な方法は、日本史辞典で「大化の改新」を引いてみることです。また、百科事典で「大化の改新」を引くことも参考になります。日本史辞典の最高峰は現在のところ「国史大辞典(吉川弘文館刊)」ですが、中学生には難しい内容です。図書館で数種類の日本史辞典及...続きを読む

Q史学系の強い、または有名な大学を教えて下さい!

いま高校2年生で、そろそろ進路を考えなければならないのですが、史学系という漠然としたものしか決まっていません。
そこで困っているのですが、史学系が強い、または有名な大学がわかりません。(学校の先生は明治大学などと言っていました。)
また、ドイツ史が好きなのですが、中国史も好きです。その場合は西洋史とアジア史(東洋史)どちらを選ぶべきでしょうか?

補足としては、関東の大学を希望しており、ドイツ留学のできる大学がいいのですが…。

Aベストアンサー

関東地方で史学系といえば、
東大、早稲田、明治、国学院、東洋などなど。

それよりもドイツ史の論文や書籍を出している教授が揃っている大学を探すといいでしょうね。

>その場合は西洋史とアジア史(東洋史)どちらを選ぶべきでしょうか?

史学科だと大抵は専門として西洋史や東洋史を選ぶことになると思います。
卒論用にはどちらかを専攻し、他をそれ以外の講義の一部として履修することはできると思います。(それなりにカリキュラムが揃っている大学だけになるでしょうが)

もしくは史学科以外の歴史の関係する学科を探し、薄く広く学ぶのも手でしょうね。


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